『米沢よ、亡びるのか』 №1

2004/05/31 (Mon)
神を恐れぬ役人の破廉恥な所行の数々5月の風のさわやかさは、万人にひとしく安らぎを与えてくれる風物詩として、朔北に暮らしする者たちの待ち焦がれた微風であるはずだった。頬にやさしいはずの5月の風の正体は、国民にとっては思いもかけない逆風となって吹さすさみ、国民の脳天を直撃するものだった。
国民年金を審議する立場にある国会議員の未納問題は、止まるところ知らず小泉首相の未払いまで判明し加えて、政局はガタガタで混迷を深めていくばかりなのだ。さらに首相自ら就業の事実を否定しながら、厚生年金に加入していたことを首相の冗舌から漏れ、厚生年金加入という詐欺罪が判明した。が、これと全く同じケースで、98年には東大阪市長は「2年6ケ月の懲役」判決を受けている事実がある。さて、この処分はどうなるか。国民の見逃すことの出来ない関心事となろう。
今朝の読売新聞は一面トップで「郵政公社の裏金疑惑」を報道している。裏金づくりに利用していたのは旅行会社「曰本レジャーセンター」。当時は郵政局だった同公社東京・関東両支社は、この旅行会社に職員が出張の際に使う交通機関の手配や、郵便事業関連のイベント運営などを委託。事前に旅行会社に支払った金額より、実際の費用が下回った場合に、浮いた差額分を「精算金」の名目で現金をバックさせていたというものだ。関係者によると、こうした手□で4年間に計222 回にわたり総額1億円以上が両支社に還流したてたということが国税局税務調査で発覚。裏金の使途については幹部職員の懇談費や慶弔費用にあてられていたとして、計135人を懲戒処分にしたとある。
役人たちの周辺は「裏金づくり」をやれば出来る環境下にある。特に競争原理を無視した「随意契約」こそは役人汚濁の元凶になるとして、厚生労働省は随意契約を禁じているのだ。
表向きは謹厳実直を装う役人たちの裏金づくりの実態は、枚挙にいとまかないほど国民は知らされてきた。事ほど左様に、わが国の役人天国によって、滅びの坂道を急速に転げ落ちていく現実を、国民は黙って手をこまねくだけでなく、歯止めする手立てはないものだろうか。
さて、米沢市を考えた場合、市職員による不祥事と長年にわたる児童手当ての過払い問題が起きている。問題は長期であること自体に役人稼業の無責任さが見え隠れしている。行政というところは配置転換と同時に過去の責任を問われないように仕組まれているからだ。役人の悪知恵が生んだ手法だといえようが、しかし現実には一般社会の通念という厳然たる縛りの中て息づいている限りたとえ役人といえども、その縛りを疎かにして生きることは許されない。その縛りこそが現社会の碇なのだ。
厚生労働省が諸悪の根源だと断じて禁止した行為こそが「随意契約」そのものであるが、米沢市の環境生活部では長年にわたって随意契約を1社とかわし競争原理の働かないシステムを、今もって頑固に是正しようとしない役人根性にドロドロとした疑惑がわいてくるものだ。随意契約の裏側に何が隠されているのか、正常な行政では「痛くもない腹を探られない」ために、特定業者にのみ偏った委託を避けて、競争原理の働く指名入札制度に委ねる方法を採用するはずだ。それが公平な行政感覚であり、税金の生きた使い方だということになる。 -続く-

危機一髪!教育長浮上!

2004/05/29 (Sat)
ようやく米沢市の教育長が決まりそうだ。安部新市長が新任してから長期間、助役人事がまとまらず、退職後の元務部長を収入役として間に合わせが、助役や収入役が空席でも問題はないとしても、教育長の長期空席は行政にとって重大な責任を負っていたことになる。仮に教育長空席のまま、不幸にして死亡事件などを学校内で起こした時、最高責任者が不在の事件では、教育長の任名権者である市長の業務不履行の罪で、あわや市長失職という危険性をはらんでいた時期にあったのだ。かろうじて市長の首が皮一枚でつながりそうなのだ。6月議会の承認を得て教育長の席が埋まることになる。行政経験のない市長が陥り易い最初の危険な関門であったわけだ。さて、議決されない現時点で新教育長の名を公表するのは控えるが、議員たちが首をひねるような人事のようだ。年令は65才。茨城県出身・東大教育学部卒・山形大学定年退職 学歴はともかく現役定年退職者であることから、激務が勤められるかという年令の問題に加えて。一部には2名の参与と同様大学教授の登用だが、いずれ3教授ともに共産思想をもつ学者たちのようだとは議員たちの間でモッパラ取り沙汰されている噂が巷に流出して市民を不安がらせている。 事実はどうなのだろうか。

権力者が戒めとした「宥座の器」

2004/05/21 (Fri)
古代中国の魯の国を治めた桓公の朝廷に不思議な器があったという。公は常にその器をそばにおいて謙虚な心を忘れぬ戒めとしていたと古書は伝えている。宥座の器に適量の水を入れると起き上がり、さらに水を加えると倒れてしまうという不思議な器だった。桓公は政に決断するに当たって器が正常に起き上がる状態を良として政治を貫いたという。側近が進言するのは生きた宥座の器であらねばならない。仕える主人にたいして慎みのある振る舞いを即し、時には耳の痛いことも進言するのが「生ける宥座の器」だといえる。逆に側近たちが邪な心をもって公に進言するのでは国は滅びてしまうであろう。
米沢市の行政の実際は、側近(各部長)らが「生ける宥座の器」になりきっていないことが行政の停滞に繋がっていると某議員は訴えている。
行政経験のない奴が、市長になって一体なにが出来るというのだ。側近たちは市長を舐めきっているのが現況だと語る。
したがって、各部課を洗い出せば市民に不都合なことばかりが目立ってくるともいう。前市長・前助役・前建設部長夫妻らが、窪田地区で「そばの接待」を受けた写真が市民の中にも議会にも配布されて物議を醸した事件があった。
そばを接待した連中は、市所有の重機を貸与して除雪作業を行なうのが狙いだった。これには土建・建設屋が怒った。毎年除雪作業を委託されている業者はそれぞれに高額な除雪機械を用意して任務を遂行しているのに、そばを接待しただけで市有の重機が使用できるのだ。これを公平な処置とはいえないであろう。むしろ、慎むべき卑しい行為だと市民の目には映るのだ。
20年間の高橋市政の歪みは各所に見られ、ほじくれば際限のない歪みのようだ。米沢市は確実に滅びの轍を歩いている。

往生際の悪い行政

2004/05/20 (Thu)
鬼の会が1週間の期限をきって市長に差し出した建白書に対する返答期限を市の担当者は、さらに1週間の延期を申し出てきた。理由は各省庁に伺いを出す場合公文書の郵送ということになっているからだという。本会は行政側が永年続けてきた業者癒着の構造を悪しき慣習とし、その慣習は市民にとって不公平の極みであり、自由競争の原理に反するとして行政側を糾弾したものである。ひとつは法律の解釈を曲げて特定の業者以外に業の許可を出さないという勝手な論理に対する市民として不合理であること。さらに競争入札の原理を無視して、都合のいい業者を選び勝手に随意に委託契約を結び各戸が拠出する資源ゴミに高額な収集運搬費をあて、しかも、特定協同組合の収集所に運んだ古紙を無料提供するという破廉恥な行為を永年にわたってつづけている現況だ。古紙は売れる時代であり5年間で約2億円の収入になるものだった。高額な運搬費用を払い、古紙を無料で横流しするような行政は信用できないとして米沢市に改善を申し入れしたものだ。
まず、① 法律上は協同組合に委託する行為は禁じられていること。
② 競争入札を無視した随意契約は巨悪の根源だとして全廃すべき 省庁の指導がなされていること。
以上の2点だけでも悪しき慣習の証明が成立するものである。にもかかわらず行政の立場を重んじるあまり、なんとかして行政の正当性をひねり出すべく狼狽えながら努力しつづけているとしか思えない行動に撤しているのだ。
担当職員にとっては面白くないことだろうが、米沢市民には費用の点からも断ち切らねばならない無駄な支出であり、歳入の損失である。
行政は市民の立場に立脚した法理論で事業をすすめるべき立場にある。が、不幸にして一部業者の利権の立場から鬼の会の建白を不服とするならば、早晩市職員としての職を辞退してもらうしかないのだ。このような市民不在の部課はほかにもありそうな気配だ。

政治家に必要なものは「金と票」だ!

2004/05/19 (Wed)
国民年金不払い問題が長く尾をひく国会になりそうだ。これは国民の「票」に深く関係しているからだが、今までの数々の汚職や疑獄は「金」が介在するものだった。国会議員に限らず地方議員にしても「金と票」の前には人格を喪失するのが議員の常識となっているようだ。本会が取り上げた一般廃棄物収集運搬業の不許可問題の裏面を探ってみると現職県会議員の姿が浮き彫りされてくる。不条理な行政がつづくならば、議員の名前を公表する必要もあり、いかに議員職の肩書きにものをいわせて業者に癒着し「金と票」を得ていたかがわかる。
若い頃は権力の行使などは「マサカ」の域でしか捉えていなかったものだが馬齢を重ねるにしたがって議員たちには「金と票」がなににも替えがたい聖域であることがわかってきた。議員たちの手口は、まず行政の担当者に擦り寄り脅し、すかしながら業者に優位に働くように手を打ち、その業者に儲けさせ儲けの一部が流れるように仕組む。公務員は議員と称する肩書きには滅法弱く、反発を感じながらも自己保全のために、鵜飲みも致し方ないというのが実際のようだ。だから、議員、公務員のどちらからも正義感が失われていくのが現状。
したがって、業者も悪いとはいえ経営上の問題がからむし、公務員といえども議員の便宜を計ることによって己れの出世欲が満足できるというものだ。だから両者は或る意味では被害者かも知れない。悪いのは議員職の肩書きを振り回す連中だと思っていい。諸悪の根源は真の民主政治を理解せず無責任な投票を繰り返す民衆にあるのだが、民衆にも言い分はある「選ぶにも選びたい人物の候補者がいないからだ」
出でよ!社会正義を標榜する勇気ある候補者よ! 鬼の会は来期市議選に候補者を擁立する。このままでは米沢市の伸張は停止してしまうからだ。

国民年金未払いにみる政治家の国民軽視の現況から

2004/05/17 (Mon)
突然の小泉首相の訪朝決断の裏には何があるのか想像の域を出ないが、国民年金不払いが時の首相までに及んで、国民の政治不信は頂点に達するがごとき現況にある。かように政治家というのは、相変わらず権力闘争に終始するあまり常に国民は不在である。ご多分にもれず米沢市政は、勉強不足の職員とヤル気のない議会員たちの集団だけに市民は常にカヤの外におかれて不況にあえぐだけだ。職員の不勉強も問題だが、市会議員の態度や行動に市民は怒りをもって選択する必要があるのではあるまいか。鬼の会は市民の訴えによって「こんな市会議員は不要だ!」の欄を設けて、次期市議選挙時の参考に供することにした。理由を添えてどしどしアクセスされることを期待する。
廃棄物問題にして本会員が某市会議員に知恵を借りにいったら「オレはしねえ。余計なことしなくても、議員年金も出るし議員をやめるつもりだ」と返事がかえってきたという
議員の大半は議員年金が出るまでの期間を目標に、落選しない程度の見せかけの働きさえすればいいと考えているようだ。ようするに仕事がなくなった元織元の旦那芸として、不遜まる出しの議員も目立つ。もちろん、市民が選ぶどころか燃えるゴミとして廃棄したいような議員だ。このような議員が跋扈している議会であってよいわけはない。
鬼の会は水戸のご老公であり、桃太郎侍であらねばならぬ民主国家の不幸を嘆く。
本日(17日)安部市長宛てに「建白書」を送った。長年、高橋市政は市民の目のとどかないところで一部業者癒着の構造を策定し、歳費となるべき多額の再生物品を横流ししていたことが判明した。市担当職員たちの必死の慣習存続をタチ切る本会の追求に安部市長はどのような裁断を下すものか。市民の凝視がなによりも必要なことである。これは裁量権をもつ市長の責任であり、許認可権をもつ市長の法律を無視した行為である以上、新市長の裁断は「悪しき慣習」の即時廃止であり、公平を原則とした競争入札以外の解決策はあるまい。が、安部市長に英断を下す知恵と勇気があるかどうか。市民の関心事である。

「悪しき習慣」と断定!

2004/05/16 (Sun)
「鬼の会」の申し込みになる「一般廃棄物収集運搬」に関する米沢市当局との懇談会は、13日 9:30分から米沢市水道部会議室で行なわれた。市側から市長、助役、担当部長・課長・補佐ら 6名が出席、他に市議会議員が5名と一般市民の傍聴者30名ほど。本会代表は「一般廃棄物収集運搬および処分については、20年もの長期高橋市政の歪みであり、悪しき慣習は業者癒着の構造だ」と断定し、はじめから市側の対応の醜さに加え、明らかに法律無視の行政に激しく迫った。行政側の対応はただ狼狽するばかりで、防戦すらもできず法律違反の事実を突かれ公務員の勉強不足が露呈し傍聴した市民は呆れかえったままの散会となった。
鬼の会は米沢市長に「建白書」を、17日付で提出。返答を1週間後と期日をきって米沢市当局に迫った。傍聴した5人のうち4議員は事の重大さに議会棟で話し合いをした。
ある議員は「鬼の会は豊富な資料をそろえて売壁に市当局を弾劾したといえる。法律については不勉強で申し訳なく思うが大変な勉強をさせてもらった。建白書にたいする市長の返事が1週間後に出るだろうから、それを見て議会も動き出さねばならないだろう」
建白書(けんぱくしょ)の意味は辞書を紐解いていただければわかるが以外と知らないコトバのようだ。

永田町政治を冷笑している場合じゃないよ。

2004/05/11 (Tue)
国民が選んだ国会議員たちの中に国民年金不払い者が続々露見して、国民の顰蹙による政治不信が増大している。が、何も閣僚・議員たちだけに不払いが起っているわけではない。不払い云々よりも、むしろ制度そのものに欠陥があるわけで制度そのものを是正すべき視点を見失って政争の具に利用している国会そのものこそ笑止千万なのである。かように議会は国民側の視点を無視しているのではあるまいか。官房長官や政党代表者の辞任などはどうでもいいのであって、これから引きずってゆくであろう参議院選挙までの政争のために、国民生活がカヤの外におかれることは迷惑なことだ。書込みにもあるが、投票用紙に自分の名前を記名してワザワザ投票権を無効にしてウサを晴らす行為などはバカの骨頂と断定してよいものだろう。
人は他人の行為に対して無責任な批判を繰り返すものである。が、そのような人は自分から行動を起こさない人たちである。人間はこの世に生をうけた以上、生の存在のために何んらかのアクションを起こして然るべきだ。そのアクションは人によって「物差し」の違いはあろう。たとえ行政であろうと市民の立場から物事を考えず、市民から離反・離脱した政策や慣習行為が綿々としてあるならば、その是正に向けて立ち上がる勇気や行動が不可欠となろう。
「わたしには興味がないわ」といって市議会立候補の準備をせっせとすすめている薄っぺらな田舎者の存在もある。衣川の戦いじゃあるまいし、水鳥のはばたきに敵襲と錯覚し敗走した平家の軍勢のごときヤワな米沢市民だけじゃあるまい。それとも貧困を重ねた上杉の末裔として「長い物には巻かれろ」主義で主張を失った市民として終焉を向かえるというか。
13日、鬼の会は、行政の「無批判のまま頑なに慣習を持続させよう」とする悪癖の是正を願い正論をもって対峠する。

不景気風が吹くと古紙が儲かる!?

2004/05/07 (Fri)
そのためではあるまいが、一般廃棄物収集運搬業を希望する業者が増えていることは事実だ。そのためには市町村長の許可が必要となる。この申請に対する許可をめぐっては各地バラバラな対応を見せている。まず、頑なに申請に許可を出さない米沢市を筆頭にして、なぜか置賜地方に限られているようだ。福島市や山形市は簡単に許可しているのだが、業を希望する業者の不満は頂点に達しているのが現実だ。本来、許認可をもった部課というのは何となく市民に威張りたがる習性があるが、米沢市の場合は法律を持ち出して申請を拒否している。鬼の会のスタッフは連日連夜、市が拒否する金科玉条の法第七条を研究したところ法律の解釈に市側の一方的な錯誤を見つけだした。総務省に問い合わせたり自治法と首っぴきの成果である。
職業の選択と自由競争の原則は一般社会通念では変わらない大原則であるはずだ。が、どうも米沢の市政にはその原則論が欠如しているとしか思えないフシがあるのだ。素直に考えれば一般廃棄物収集運搬業は望めば誰もが許可を受けて自由闊達に伸張していくべき業務だ。その業を特定の人たちに委託して他に許可を与えないということの裏側に黒い政治力が動いているとしか考えられ ないフシも見え隠れしているのだから始末が悪い。業界通のある人は場合によっては2社ぐらいならば条件によっては許可が出せるのだが、という声さえも漏れてくるのだ。どうも不純さが目立ち過ぎる市の今までの処置だ。
そこで鬼の会は「平成のルネサンス」と定義して行政に風穴をあけ、そこから自由の風を吹かせようと決意して、市行政の殻に望もうとするものだ。会合は開かれたものにするため、広く市民各位の傍聴を望むものだ。
5月13日(木)9:30~11:00
水道部1F会議室
出席者
米沢市側 安部市長・助役・生活環境部長ならびに担当職員
「よねざわ鬼の会」 代表者・幹事長
他に、市会議員・地区委員・報道関係・商工会議所・
青年会議所・一般市民
※傍聴希望の方は鬼の会宛ご連絡下さい。

NHK課外授業に感激!!

2004/05/06 (Thu)
おなじみNHKの課外授業に出演した柔道の世界チャンピオン山下選手が母校を訪れ、生徒達に柔道する前の基本中の基本を示したのには感動した。まず柔道着を生徒たちに着せ、畳の上にあがる前に最敬礼を説き、対戦相手に座してする敬礼を教える。さらに翌日は嫌がる生徒たちにトイレや校舎、校庭の掃除をさせて「学ぶ者の態度は周囲の掃除と礼儀にある」と人間の基本的精神をたたき込んで生徒たちの共感を得る番組だった。礼からはじまり礼におわるのはあながち柔道だけではあるまい。が、彼は柔道の精神を説き、礼によって培われる人間の徳を教えていたような気がしてならない。普段では家庭で学ぶものなんだろうが、現代の家庭が教えない人間学というものだった。こどもが良く育たない裏には「礼儀作法」の重要さを教えない家庭の責任が大きい。朝すれちがうこどもたちから「お早う」と声がけされた一日はどれだけ清々しい日々を過ごせることだろうか。人の交わりとはそんなことから始まるものだ。
18年ぶりの公演「ふるさとキャラバン」が来る!!

2004/05/06 (Thu)
米沢市連合青年団が18年前に招聘した劇団「ふるさとキャラバン」が今月28日米沢文化会館で「天狗のかくれ里」を山形新聞・山形放送・ふるさとキャラバン主催で公演する。すでにチケットはプレイガイドで販売しているが、ご希望があれば「鬼の会」事務局でも扱っている。この劇団には数々の賞歴があるが、なかでも菊田一夫演劇賞やスポニチ文化芸術大賞グランプリは白眉だ。最近では「うつくしま未来博・ジャパンエキスポ大賞や池袋演劇祭大賞がある。ミュージカル仕立ての演劇で、観る人たちのだれにも楽しさと感動を与えてくれる劇団だ。演劇は楽しいものでなければ演劇じゃないという哲学が、多くの観客を動員できる劇団の基礎的栄養素であり ポリシイであることが嬉しいものだ。夜のテレビも楽しいだろうが、たまにはテレビを放れて劇場に足を向けるのも文化教養というものだろう。ぜひ、米沢での公演を成功してほしいものだ。入場料は3000円(大人)で、内容がこどもにも理解できるものだからできれば親子での観劇が望ましい。こどもの 入場料は1500円。6:30開演。

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