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「鬼の会」廃棄物問題を市民と考える

kage

2004/04/30 (Fri)

 5月13日(木)市役所に隣接する市水道部1Fを臨時会場に
9:30分~11:00の間、市長を交えた市当局との質疑を行なうことになった。
近年、一般廃棄物収集運搬を業として希望する事業所が多くなっているが、それには米沢市の許可を必要とする業務だ。そこで各事業所が担当部局に許可申請を試みるが、いずれも市長名による「不許可」として却下されつづけてきた。

理由は法第七条の縛りであり、米沢市は廃棄物収集運搬処理ともに現業者だけで、予想される市内の廃棄物総量の4倍もの収集運搬能力があり、新に業者を増やさなくとも「間に合っている」として新たな許可を出さない方針だ。が、業者選定や業者委託に関して不公平を欠くものであり、これまでの経過、現状を市当局から明確な説明を問い今後の一般廃棄物収集運搬処理については明朗な解決を市民ともども話し合うというものである。

問題は他市の多くは申請業者に許可を与えているが、なぜか米沢市をはじめとする置賜の市町村は希望業者に許可をしない理不尽さが目立つ。
当局は金科玉条のごとく「法第七条」を盾に、申請を例外なく「不許可」としている。あまりにも強固なガードから、背後に何があるのだろうか?風説は広がるばかりだ。

当日の出席者は鬼の会から、代表と幹事長の2名。発言は認めないがオブザーバーとして20名程度の参加は認められる。市民各層から参カロされることを希望するものだ。
市民ひとしくゴミ問題に無関心でいられる時代は過ぎた。しかも、廃棄物の再利用が叫ばれ「チリ紙交換」も活発化している現状にある。さらに古新聞紙・ダンボール雑誌など家庭では不要なものが、古紙の国際相場によって金の卵になっているというご時世だ。

不況の最中、米沢市内の古紙廃棄物を金に替えて、貧しい米沢市の歳入に繰り入れるべきだとの声が強いのだ。「鬼の会」は市井の声を取り上げる初めての行動である。

年金問題は落語にもならない茶番劇だった

kage

2004/04/29 (Thu)

地球温暖化のせいであろうか、今年も桜の開花が例年よりも早かった。が、開花と同時に異常気象の関係から寒暖の差がはげしく、おまけに開花したところに黄砂を含んだ降雨で、黒い花びら一色になって散ってしまった。   昔から桜は散りぎわが美しいものとして、士魂を支えてきた国花ともいうべき花であった。その桜花は半旗を揚げるがごとく黒く散っていったのだ。不吉な予感は的中した。ご存じ年金議会である。掲示板に書込みがあったがごとく笑うにも笑えない茶番劇でごまかしの幕が降ろされてしまった。国民の怒りもあるだろうが、小生には「そんなものサ」としか表現の仕様がないものだった「いやな渡世になりやした」だ。あきれて口端にすることも嫌な心境だ。ヤルヤル詐欺の証明以外になにがあるというのだ。馬鹿めらが、何がバッチだ!!

近藤代議士の借入金公表について

kage

2004/04/29 (Thu)


話題の国民年金「未納国会議員」問題

kage

2004/04/28 (Wed)

 小生に違和感があるが、確かに国民の模範的立場にある国会議員がよりによって「保険料値上げ」の議会中、閣僚の中から3閣僚が未払いであることが判明し国会がメチャクチャになっている状態だ。閣僚だけでなく議員全体を調査したら、どれだけの未納議員が出るのだろうか。その攻防で国会は無駄な時間を費やしている。国民総参加の縛りではじまった年金制度である。若者の四分の一が未納者であり、年金制度の危機が騒がれている時期である。福田官房長官は「年金未納開示はあくまでも個人のプライバシーに関することだ」として国会議員の年金未納開示に、積極的な態度を見せるどころかむしろ否定的な態度で応対している。常に「臭いものには蓋」の永田町倫理である。日本を代表する政治家とはいえこんなザマでは「ぬしも政治屋であったか」のそしりはまぬがれまい。議会もお笑いで「おまえが出すなら、おらも出すべえ」ガキもしないような喧嘩だ。低俗極まるわれらの代表ではある。

地域民氏に「代議士の借入金訂正」のこと

kage

2004/04/28 (Wed)

 氏だけでなく代議士の借金など小生にもわかるはずがないのだが、訂正発表されたこと事態がなんぞの「からくり」ではなかったのか?というご趣旨のことだと思われる。さっそく近藤事務所に電話を入れて詳細を訊ねているが、地元秘書のレベルではわからないことらしい。後に詳細を知らせてもらうことにしてあるから少々時間がかかるかも知れない。

川西町の町長選挙にまつわる怪文書に対するアクセスの可否

kage

2004/04/26 (Mon)

 鬼の会の掲示板にのせられた怪文書についてマチマチのご意見がある。「おなじ文面がコピーされて川西町内にバラ撒かれたのは恥ずかしいことである」としたのは川西町民氏から寄せられたご意見だ。そして「内容が真実であれば他の市町村の方々の眼に触れるようなことではなく、当該の川西町民に発することではないのか。高橋候補を弁護するつもりはないが、コソコソと相手候補者を誹誇中傷することは貴殿もブラックと呼ばれる卑劣な人間ということになるのではないのか」それに対して、川西町民一同氏は「中傷や誹謗ではないよ。ジャンバルジャン氏が文章にした内容は真実のことだ。こんどは川西町から立候補するなよ」と反発文書が書き込まれている。
またサクラダ氏は「川西町民一同」とくくられたことを不服としながらも、「掲示板は影じゃない。コソコソとした姑息な手段だとは思わない。しかし、いくら真っ当な意見だとしても川西町の恥部として100%歓迎される意見と手段だとは思えない」と述べている。その意見に賛同された町民その他氏は「出された文章に興味はないが、言いたければ直接候補者や選対本部で言うべきだという感じを禁じえないな」そして「人間悪いことするとバチがあたるよ。バアちゃんによく言われていた言葉だよ」と、標準的なご意見もあった。

小生、いつ川西町の選挙があり投票日がいつだったのかウカツにも知らないで過ごしてしまった。隣町の町長選挙となれば、合併問題が浮上しているだけに誠に申し訳ない思いだ。が、川西町町長選挙には違反行為が付きまとい前町長は頼まれた町長だったと聞いている。川西町選がいつまでも部族同志の争いのごとくダーティな選挙戦を重ねてゆくならば、未来永劫にわたる町の恥部として残ることになってしまう。このことだけは正常な町民感覚をもった町民たちが立ち上がって断固断たねばならぬ悪習だと思われる。川西町は全国に知られた「こまつ座」の発祥の地であり、希代な作家丼上ひさしの故郷でも知られる町だ。町の争いが劇作の材料にならないことを念じて止まない。

ジヤンバル・ジャン氏に

kage

2004/04/22 (Thu)

 川西町の町長選挙たけなわの時期に、相手候補者を中傷するいわゆる怪文書ならばそれなりに効果ある文章を書くべきだろうと思われます。
まず、明らかに書き手は男性で元議員であることが想定されるものです。議員同志で宿泊したことで元議員だとわかり、また土地改良事務所の職員だったことなどで人物像が判明するものです。

事務所での公金の使い込みや事実をもみ消してくれた上司との関係、議会では「ルール!ルール!」と叫びながら、議員同志をチャンづけで呼んだり、職員に暴言を吐くわ、こき使うわで金欲の塊みたいな町長立候補だ。と町民に知らせたいのだろうが、こんな稚拙な内容や文体では相手候補に痛手をおわせるどころか、自候補の品位を傷つけるだけのことだろう。

決定的な不味さは「政治家としての彼を認めるものの、所詮はブラックな人物である」という点を強調すべきだったと思われる。「親に孝行もできないような人間に川西町民の面倒が見られるか?」を強調して有権者の賛同を得る方法がより怪文書の効果を高めると思われる。

いずれにせよ品位のない文章であり川西町の恥となろう。このような書込みは削除すべきだという「社員」氏の書込みもある。が、掲示板の利用は自由であることから小生が管理できないということになる。怪文書の講義をするつもりは毛頭ないが、ふざけた文章や出所書き手の名前までわかるようでは失格のそしりは免れまい。

オレオレ詐欺とヤルヤル詐欺

kage

2004/04/21 (Wed)

 ご存じオレオレ詐欺に今もって被害者が多いようだ。教員の妻がつい最近40万円の詐欺に遭って熱を出して寝込んだ話が伝わってきた。郵便局の職員が「念をいれるように」と、送金するのを止めようと説得したが「間違いなく孫の声だ」と聞き入れなかったという。
オレオレ詐欺話はめずらしいが、ヤルヤル詐欺は立候補時に耳がタコになるほど聞かされたが、一向にヤルヤルの約束を守らないのが代議士先生方だ。オレオレ詐欺は犯罪だが、ヤルヤル詐欺は選挙時の集票詐欺に属するがだれも犯罪だとは思ってはいない。ここに日本的民主主義の甘さがある。

風は強いが春まさしく爛漫である。さすがに青森や岩手北部の莟は固いが、北国の桜はあざやかな色彩を見せてくれる。啄木の渋民村近く、チャクチャグ馬ッこで知られる滝沢村を訪れて驚いた。村で「駅はどこか?」と聞いたら「村に駅はない、バスで盛岡に出るより仕方ねえだ」と笑顔で教えてくれる。どの人たちも笑顔で親切なのだ。チャグチャグホールでの仕事だったが、職員の一人ひとりが親しく楽しげに接してくれるのだ。「チャグチャグ祭りの行列を見てほしい。馬が百頭以上も花嫁を乗せて盛岡まで行列するんだわさ」村の祭りを自慢する。

青森の人も同じだ「青森のホタテ貝は日本一旨いんだ。プランクトンが豊富だからな。夏はヤッパリねぶただナ。ただ跳ねているだけで盛り上がれるんだ。理屈抜きだサ。面倒臭いフリのある踊りだば見てるだけで参カロすることできねもナ。北のねぶたに南の安房踊りだけだべ、だれでも参加できる踊りはナ」春と夏がいっしょにくる北国の人たちの祭りを待つ笑顔がこの辺りでは見られないものだった。

まもなく米沢市も春の上杉祭りが目の前に迫っている。上杉軍団の甲冑行列は数年前から距離を短くした。「疲れるから」がその理由のようだ。川中島の模擬合戦は武田信玄の城下町甲府市でも行なわれている。米沢の合戦と違うところは合戦の最中に武将たちに無意味な笑い顔がないことだろう。

観光客に「期待してきたが、二度と来なくてもいい」といわせない米沢人の祭りでありたいものだ。

日本の女性たちは個性を失ったのだろうか

kage

2004/04/16 (Fri)

 小生の勉強会の部屋が築地だから、有楽町駅から銀座四丁目の交差点を通り抜けて歌舞伎座、新橋演舞場の前を築地の魚市場方面に歩く。場外魚市場とは大通りをはさんだ向かい協栄ビルの3階がその場所である。築地小劇場誕生の地が演劇協会創設の地になっているからであろう。近くには朝日新聞社があり、国立ガンセンターがある。
仕事がら歌舞伎座に出入りすることが多いのだが、幕間の時間を歌舞伎座の売店を楽しむのも乙なものだ。以後の感慨は小生たった-人の勝手な思いだからお許しいただきたいものだ。歌舞伎座の売店を眺めていると、ご婦人用のハンドバックのコーナーに、あまりにもステキなデザインのバックが陳列されていたので、腑甲斐なくも棒立ちにさせられたものだ。衣裳は布地に平山郁夫画伯のシルクロードを坊佛とさせるキャラバン模様のパックだった。こんなステキなバックを手に持つ人は、いかなる美女であろうか。年甲斐もなく豊かな想像をめぐらせながら、悦に入っている時間が楽しかった。

銀座に限らず失礼だが、歩いている女性のバックは猫も杓子もルイビトンまったく個性というものがない。この様な風景はどこの土地でも見られることだろうが、ルイビトンというバックのデザインに限って、美意識を感じないのは小生の教養のなさであろうか。

歌舞伎座で見たあのバックが、どうにも頭から離れないのだ。幸い三人の娘たちは外国製のバックを欲しがらず、何故か甲州の印伝に深い興味をもち凝っているようだ。

どうも女性たちはバックや袋物が好きらしくて、妻ですら三十以上の袋物を持っているようだ。勿論 買ったものや自分の手づくりのものも入れてである。バックに興味があるならば当然ルイビトンの類のブランド物を欲しがっていいはずだが、わが家にはトンとそれらしきものは見当らないのである。「ルイビトンは欲しくないのか」と聞いてみた時がある。妻や娘たちに「あんなダサイなもの」と一蹴されてしまった。話はこれだけのことだが、日本の女性たちはもっと個性というものを大切にすべきではなかろうか。と、余計なことを考えている。世界中が禁煙運動の最中に銜えタバコで通勤する女性たちを目にするたびに、君たちにはルイビトンがよく似合うと思いたがるのは小生だけであろうか。

母への手紙

kage

2004/04/14 (Wed)

時は春、
日は朝、

朝は七時、

片岡に露みちて、

揚ひばり名のりいで、

蝸牛枝にはい、

神、知ろしめす。

すべて世は事も無し。  

春欄漫の季節が朔北の米沢の地にも到来した。詩はご存じR・ブラウニングの「春の朝」である。よく眠り足りた翌朝などは、心身ともに爽快で、目に入る万物の色彩はすべて鮮やかである小生はこの詩が好きで、若い頃は時々、口ずさんだものだった。

朝---春---人生の朝ぼらけ…「お早よう」と声をかわす。春の朝の読書。「母への手紙」と題した故春日一幸氏のコラムを読む。(以下原文)

私がやりたいことは、只ハラハラして、良くても悪くても、あなたはそれをジッと優しくくるんできてくれました。こんな深く濃い母と子というものが、外にあるでしょうか。私はもっちりした味の、温かいこころのあなたという上等の母を持ったことを、本当にありがたいことだと思っております。

果てしない夢を追ってその後、私が古里を出てまたもや街なかで繰らすになった時、私はあなたが息子のために流されたあの涙のにじんだチリ紙を、永らくの間、肌身離さずお守りにして、持ち歩いておりました。何時しか、その尊いお守りを失ってしまいましたが、しかし、私のために何回も何回も泣いて頂いたあなたの涙は、私の体の中に流れが溜まって、そのまましっかりと私のいのちのもとになっております。旅先の食べ物の不自由から、とんでもない長い手紙になってしまいました。この私の涙が溢れて止まりません。

母上、これからは、私ももっと落ち着いて、なるべく心配をかけませんが、ほんのこころのつぐないに、あなたも私に、何か無理難題をいい付けてくれませんか。

今、私の願いは何かと訊ねられれば、「それは次の世もあの頑固な父、でもこすいことや、ずるいことの微塵もなかったあの父の子として、同じあなたの腹から生まれたい」という、このひとことです。そして、その次のまたその次の、次の世も---。  

野口英世の母シカさんの手紙に触れた時とおなじような感動を覚えた春の朝の読書だった。「わが子の虐待・子殺し」「孫子の親殺し」が、連日、朝のテレビに暗い陰をなげかけている今日この頃、春日一幸氏の手紙に救われたような思いだった。母と子の関係は時世にいじられない「もっとも素直で愛情を面に出した関係」が、昔も今も変わらぬ摂理だと安堵した朝だった。

国会答弁の「適切な言葉」

kage

2004/04/13 (Tue)

 国会中継を見ていると「粛々と受けとめる…・」などと、バカ丁寧な古語を使った答弁を見かける。だれにも分かるような平易な日本語を使ってなぜ答弁しないのだろう。だれもが抱く疑問であろう。その謎は国会答弁用に用意された官僚言葉手引きがあるからだ。
①「前向きに」 遠い将来にはなんとかなるかも知れないという。やや明るい希望を相手にもたせる言葉。

②「鋭意」 明るい見通しはないが、自分の努力だけは印象づけたいときに使う。

③「十分」 時間をたっぷりかせぎたいということ。

④「努める」 結果的には責任を取らないこと。

⑤「配慮する」 机の上に積んでおく。

⑥「検討する」 検討するだけで実際にはなにもしないこと。

⑦「見守る」 人にやらせて自分はなにもしないこと。

⑧「お聞きする」 聞くだけでなにもしないこと。

⑨「慎重に」 ほぼどうしようもないが、断りきれないとき使う。だが実際には行なわれないということ。

田舎のオッサン議員たちも、時々使うことがあるから議会は楽しめるものだ。

イラク人質拉致・解放問題

kage

2004/04/12 (Mon)

 当該問題について寝不足がつづく。全世界が注目する日本人人質拉致・解放に関する問題については諸説が続出している。人質救出を最優先すべきところに建前はあるが、解放の条件となった自衛隊の即時撤退には政府は一貫して拒否した態度を固守している。
たしかに人命は地球よりも重いものかも知れないが、危険地帯と政府が認定したイラクから邦人の脱出の呼び掛けにも関わらず、現地に残って行動を起こしていた3名の生死の覚悟と責任の入内さを問題にすべきだと考える。冬山未経験者が巌寒の雪山に登頂を試みたようなものである。人命救出のために多くの救助隊と場合によってはヘリの出動もあって、多額の救出費用が後日請求されてくる。人命が保たれていようと、不幸にして失われていようと費用は一緒だ。問題は家族が味わう悲しみと費用の負担の重さだろう。全てを覚悟して冬山に登る人はいないだろう。どこかに技術と力量の過信が大自然に向かうにあたっての謙虚さに甘さがあるのではあるまいか。

同じことがイラクで拉致された3人にもいえるだろう。1人は朝日新聞に提供しているフリーカメラマンであり自分の仕事で出掛けたものであるから、当然生死の覚悟は出来ていただろう。後の2人は今でなければ出来ない支援活動ではなかっただろう。混乱するイラクの危険地帯が解消された後ですべき仕事だったであろうと考えられる。申し訳ないが、彼ら2人は若さからくる熱情と仕事の崇嵩とに駆り立てられ、イラク事情の判断を甘くしたのではあるまいか。彼ら3人を責めるわけではないが、政府の本音として事のほか迷惑感は拭えないだろう。「一盲衆盲を引く」とは言わないまでも明らかに「井底の蛙」の謗りは免れまい。とはいえ小生も同胞であるだけに理屈抜きに解放するという約束の時を待っているのだ。無事解放され一旦帰国した上で、ボランテア開始の時期を見極めることが何よりも優先させなければならない。

インスタント文明について

kage

2004/04/07 (Wed)

 インスタント食品による弊害について、小市民氏は「豊かな食文化の破壊」と「地方の特色ある食が廃れてきた」とある。正月に西瓜が店頭にならび、年中苺やきゅうり茄子が食べられる。と、いう具合に季節感が失われてきた。子供の頃、食物と同時に季節感を養ってきたものである。
さてインスタント商品について小生も一考せざるを得なかった時がある。3人の娘たちが育つ期間、わたしは3度の食事の意味は家庭団欒の幸せを噛みしめる時間だとして、食事は季節感のある材料によって、家庭で料理をつくるものと妻に提言した。料理好きの妻と意見の一致をみて食事はインスタントものを極力、わが家の食卓から排除することにしてきた。まず、小生が食べないことにした。結果は子供たちに支障がでてきた。まず、インスタント・ラーメンとはどんな味のするものか。幼稚園や学校で友達との会話に入れない。妻は困って、私の留守の日を選んで娘たちの疑問に応えていたようである。が、娘たちは母親の料理がおいしいからとインスタントものには興味をもたなくなってきた。

コーヒーについても、嗜好品は手間をかけて時間を楽しむものだと豆を挽かせ、サイフォンでコーヒーを楽しんでいる。ならばインスタント・コーヒーがわが家にないわけではない。「コーヒーがお好きな家庭のようだから」と贈答品のコーヒーはある。妻も娘たちも小生が留守の間はそれを愛用しているようだ。最近、嫁いだ3人の娘の家庭を訪問すると、サイフォンはどこの家にも用意してあり、インスタント・コーヒーを飲まなくなってきたという。亭主に本物を出して喜んでもらうためらしい。インスタントものはゼリーに使ったりして用途を考えているようだ。

ところでインスタントもの出現による食卓の変化は家庭の母親が食事をつくる時間を他の時間に浪費していることと、料理の知識がないことに起因すると考える。かけがえのない子供たちの成長に伴って食卓の理念が母親によって違ってきたことだろう。実は食卓がどれほど子供たちの成長過程に教育的な意味をもっているかを考えてみるといい。食物を通じて母親の愛情も伝わるだろうし、食卓にのぼる食種によって、家庭の経済状態も子供たちに伝わるのではあるまいか。インスタントものの多くは揚げ処理されたものである。油は短時間で酸化する食品である。酸化するということは腐るという意味である。したがって、揚げ物は体の中で過酸化脂質となり、血管壁にベッタリと張りつき血管を細くして血液の流れに支障を来す物質になることから、油処理した食品は遠慮したいものひとつである。

成長期の子供がアレルギー体質になる要因でもある。「医食同源」母親はできるだけ材料を選び手づくりで食物をつくる努力を惜しむことなく、食卓を囲んで子供たちの健康管理もかねながら家庭の団欒をもつことであろう。運動会や遠足の朝、弁当屋が注文にテンテコ舞いすることのないように。子供たちは母親の弁当を期待するものだから。

凡人殿に一言

kage

2004/04/07 (Wed)

 行政の怠慢については、行政はどれだけ市民の税金を浪費してきたかを後曰証明することになるが、街づくりの核は行政職にいる市長であり、市長の意を受け実現に努力するのが市役所職員であろう。市長はじめ市役所職員に街づくりの理念や知恵が不可欠であることは当然の理である。備えあるべき知恵や理念の欠如が米沢市を中途半端な都会指向で創造しようとしたところに根本的な過ちがあると思いたい。貴殿は都会にあるような大型店の出店に市民はもろ手をあげて歓迎していると断じ、行政は市民意識の上に成立するものであり、行政の堕落は市民性が深く関与していると結論されている。論旨の一部では共感できるものの、行政は市民性を熟知し市百年の計を確実な感性で捉え、実現に向かって着実に市民をリードする先見の明と堅実な勇気を必要とするものだ。凡人氏は論旨の中で責任の一部を市民性に転嫁している部分がみられるのだ。なるほどわが国は民主主義の国家であるから、国民の選挙制度による審判によって首長が選出される制度ではある。が、市民が選んだ首長に能力が乏しい場合その最終責任は審判をくだした市民の責任だということになる。たしかに建前はそうであろう。だが、市民の審判は同時に市民の大いなる期待と付託を伴うものである。首長・議員・市職員たち等しく市民の拠出した税金を授受して生計を立てている人たちは一堂に市民の期待に応える活動をしなければなるまい。そこに公僕と呼ばれるゆえんがある。その精神やいずこ。
小生に行政を叩くという表現は似合はない。市民として期待にそぐわない行政感覚に意見を具申しているのだ。貴殿はわが市の規模に見合った発展の道を市民レベルに浸透させることが先決だろうと述べられているが、まったく同意見であり、行政が感覚的に取得することこそが最重要なことではあるまいか。

放漫の罪

kage

2004/04/06 (Tue)

 キリストは傲慢罪を七つの大罪の筆頭においた。人は傲慢であるとき、傲慢になったとき諸悪諸罪を犯すというのである。  
価格表示が新しくなり総額表示になった。タバコやガソリン代を支払う時、商品に課せられた税金の割合に驚くであろう。しかし、固定観念があるせいか税金の重さに気もこめず、ガソリンやタバコの価格は幾らだという風に慣らされてきた。このたびの価格表示は税金を含めた表示とされた。

これは便利であるがご用心のほどを。政府の思惑は消費税の値上げが狙いてあると思われる。価格一本表示だから、計算は楽でも、税金の重さに無頓着になる恐れが出てくる。だから、卵やホーレン草の値段を見ても商品相場が上がっているのだと考えて、値上がりした税金の含まれ方にあまり気をとめなくなってしまうのではあるまいか。

消費税の値上げに頼るほかなくなってきた政府の懐具合だ。何兆円もの無駄使いしたあげく税金に活路を見いだそうとする安易な傲慢さも、この傲慢が東大出身者で固めている高給官僚たちの国を操縦する術である。コッパ役人どもはどこの土地にもいるものだが、米沢市の場合、水道・下水道事務所の役所流れは最たるものらしい。

彼らは業界に甘いおどしをかける。水道・下水道にかぎらす仕事中に予期せぬ事故が発生したりして、行政処分として免許を取り上げなどされたら一巻のおしまいになってしまう。そんなとき役所流れの退職者が実力を発揮して事故のもみ消しをしてくれるのだ。だから危険負担として役所流れを雇い入れるわけだ、彼らに出す高い給料はマサカの危険負担分として組合員各自の負担金となっている。が、負担金は工事代金に含ませているから業者は痛くも痒くもないわけだ。これが水道・下水道の業者癒着ということになる。

市民はもっと退職役人の流れを監視することである。永田町の官僚も米沢市のド田舎役人もやることは一緒だ。規模が少し小さいだけがとりえかな。これをコッパ役人くずれの傲慢という。キリストでなくとも市民の目で監視しようではないか。

ある建設会社の懐古談から

kage

2004/04/04 (Sun)

 米沢市内ではばたく建設業者と小生の懐古談である。
小生は「3月の期末近くになると、公務員たちが予算を消化するために、慌てて物品の購入や休暇の消化のために走り回る様子達見てきた。ところで、仕事の100%を達成なおこれだけの予算が余りました。と、公務員は何故そのことを誇りにしないのだろう。一般の企業では歓迎され、有能な社員であると金一封ものだがと、私はかねがね不思議に思いつづけてきた」と話したところ業者はうなずきながら「私どもの会社は毎日仕事を探して歩く小さな会社でしだ。無論、工事費も少なかった。ある時、友人の紹介で会社のトップにあい、ラッキーなことにその場で会社創立以来の大きな注文を受けたんだな。鬼の首でもとったような気持ちで会社にもどって報告した。会社は一丸となってその注文を受けることに決定して、無理な工期に挑戦して見事に完成させた。当該会社のトップもいたく感激されて礼を述べられ精算後本社に帰っていかれた。何分にも工期が切羽つまった状況だったので、精算は出来高勘定が条件だった。会社で精算したところ約束以上の金額を頂いていることがわかった。その時、私は本社にトップを訪ねて「工事金が余りましたのでお返しにまいりました」と、余剰金を受け取ってもらったことがある。トップは「前代未聞のことだ。業者が工事代金が余りましたとはねえ」感激したトップは以後工事の全てを弊社に任せてくれるようになったのですよ」全国各地を当該トップの発注を受けて建築に明け暮れたものですよ」と懐古談。公務員の余剰予算の消化活動などは、一般企業からすれば、いかにチャチな努力であり、笑う価値もない行為であるか知れるものだ。「役所では予算を残すと来期の予算が削られるからですかよ」おなじように庶民にない公務員には「雪下ろし休暇」という制度があり、昔は薪炭手当てというものがあったが、いまはどんな名称の手当てとされているか。役人はいったい手にした既得権などは手離すことなど決してしないものだ。

どこまで滅びれば気づくのだ

kage

2004/04/03 (Sat)

 米沢に住む市民ならば街の周囲を見渡してほしい。まず、花形産業といわれた家庭電気器具商店の店先には品揃いはなく、店舗内の照明さえ消えているところが多く見うけられる。どこの街にもあった青果物店や鮮魚店の影は全く見当らずシャッターで固く閉じられている。まさしく市内の商店は軒並み、たちゆかなくなり廃業の一途を辿っている有様である。かつて米沢市は歴史的にも敗北の道を辿ってきた。近世になってさえも敗北の道を辿ろうとするのか。
北部道路沿いに立ち並ぶ大型店は資本力に任せて品揃いも完璧に近く、価格もそれなりの構成であって一店で希望の品が揃うという魅力と便利さはたしかに存在する。さらにユーザーを満足させるに十分な楽しさもある。この便利さをユーザーから取り上げようとすることは何人にもできない、が、しかしその煽りをモロに受けた業界は閉店以外に道はないという社会構造になってしまったようだ。これは一に行政の怠慢であり力不足である。いうなれば米沢百年の計どころか、時代の急速な流れを適確に認知し対応に手をこまねいた証の何ものでもない。米沢市民は永年、それなりに米沢市内の商業と調和して暮らしてきたはずである。行政のいう「間」にあってきたはずである。行政に先を読む先見の目があったならば、無秩序に大型店の進出に歯止めをかけられたはずである。「米沢市民には間にあっているから」と大型店の進出を阻めたはずである。行政は「県が許可したものだ」といって逃げをうって責任逃れをするが、相手が県であれ国であれ、米沢市が食いものにされるのを防ぐためには命を張って阻止すべきだった。その点では市議会も商工会議所とともに同罪である。

たしかに従来の商業道徳や商取引上のルールなどは無視される時代になった。同時に米・塩・酒などの価格撤廃によって、ユーザーに良い感じを与えてこなかった殿様的商売も廃棄されたようである。問題は地域社会という広い視野で見つめてこなかった行政の怠惰は米沢市を限りなく滅びの街に化そうとしている。いまさら中央商店街をあげるまでもなく、元ジャスコ・ファミリーデパートなどの跡地姿は撤退、移転と相次ぎもはや瓦礫と化している。たった十数年間の中心商業地にすぎなかった。八幡原工業団地は旭コマグがたった十四年で撤退。行政の誘致企業の選定にも甘さが見られる。行政はそれでも市民の付託に応え得る仕事をしてきたと胸を張って言えるのか。退職と同時に何も彼も責任を追求されずに済むという不思議な組織の中で「過ちを認めず、市民の言うなりにならず、常に市民の上位に君臨すること。それが役人の価値だ」

市民よ、いっしょに怒ろうではないか。鬼の会は行政の不合理さ、尊大さに徹底して戦う用意がある。いま、行政を相手どって訴訟を準備している。勝ち負けは問題ではない。眠れる世論を呼び起こす原動力となるためだ。

市政の無責任さを問う

kage

2004/04/02 (Fri)

 はじめに新市長、安部三十郎氏の資質に問題あり。年度末を向かえて卒業式はなざかり。
ある教育界のオーソリテイが語る「市長はどこの卒業式にも出ないと言明し、それぞれの卒業式で祝辞を述べる市長代理を振り分けた。市長が卒業式に出ない理由を「日の丸の旗に頭を下げたくない」からだと語ったという。いやしくも日の丸の旗は国旗である。国を否定する市長は米沢市にはいらない。市長代理を指名された彼は「市長が卒業式にこないのは日の丸の旗に頭を下げるのが嫌だという理由からだ。と前置きしてから祝辞を代読するという条件ならば代理しましょう」と、骨のあるところを見せたところ、市長は慌ててある学校の卒業式に出席したという。公私混同でつまらない意地を張る極度の頑固者だという評価が市井に広がっている。  

年度末に発表された市役所人事は市長の裁量ではなく、問題の町田前総務部長の人事だと事情通は語る。町田は総務部長時代に前代未聞の六中入札問題を起こした張本人であった。間違いを認める態度すらない公僕が、米沢市の収入役に収まった。ところで町田新収入役に市民の信頼は薄らいでいる。収支の不明朗さで市民を困らせることのないように。  

市長は大学教授を2名市の政策参与として任命したが、政策にはまず市長自身の政策哲学ともいうべき指針を市民に知らしめ理解してもらうことが筋ではないか。  

市井の声を市長に提供する。「市長は単なるゲーム感覚で立候補し、市長に当選してみて一番慌てたのは自分自身ではなかったか。だから今になっても、ただ今勉強中はないだろうよ。市長はたった-人、代役はいないのだ。それがいつまでも勉強中では市政の遅れは目に見えている」「米沢市民は前市長の院政を嫌ったあげく選択を誤った感があるわい」「このままでは4年間は待てない。リコール運動を起こす動きがある」「市長のやることといったら市民受けの幼稚なパフォーマンスだけにすぎない。黒塗りの高級車には乗らない。黒い色は大名たちが乗った籠の色と同じ色だからだ。ブルーバードで結構。自宅から歩いて役所に通う、運動にいい距離だ。自由の風の標榜は、市政を考えようと考えまえと何処吹く風と、それもオレの自由だということか」  

合併問題、市民はアンケートに白けムードだ。第一問題の提起が希薄で幼稚だ。こんなものに税金を使ってもらっては大いに迷惑だ。アンケートに対する不平不満の出ること出ること。市長自身が市町村合併に対する意見を持っていないのではなかろうか。と、いう疑惑が盛り上がっている。「私は米沢市の百年の計を考える時、合併に対する市長としての考えはこうである。市民の皆様のご意見を拝聴した上で、熟慮 し議会に計って決定したい」通常ならばこうであろう。市長自身が意見を持っていないのではないか。という声が巷に流れている。アンケートの回収率はなんとか34%ぐらいにはなるのではないか。と市の担当職員の返事だった。  

北部区画整理事業は大型商店街の進出のためでなく「住宅用地確保のための整理事業」だった。それが本末転倒して米択一の商店街と化している。ために、市内の既存商店は軒なみに閉店に追い込まれている。米沢の金が一夜にして他市に運ばれていくという仕掛けだ。米沢に金の成る木があるわけではない。米沢市自体が疲弊に疲弊を重ねたあげく、米沢市は滅びてしまう運命にある。市の行政の弱腰と前市長の八方美人的な性格から、大型店がとめどなく何の制約も受けずに出店できる---米沢市はまさしく植民地化に慣らされてしまった。商工会議所の存在すら不能集団。米沢市内の既存商店を閉鎖に追い込んだ市の失政の罪は商工会議所とともに大罪というべきであろう。  

市民よ! 怒らねばならぬ時は怒らねばならぬ。米沢市は疲弊し滅びの道を転げているのだ。市のリーダーの値打ちは、多額の退職金で老後を安泰に過ごすことではない。市の百年の計を立て、それがつつがなく効果をあげ進展しているかを見極めることにある。  

「結果論」ではすまされるものではない。