FC2ブログ
2004 02 « 1.2.3.4.5.6.7.8.9.10.11.12.13.14.15.16.17.18.19.20.21.22.23.24.25.26.27.28.29.30.31. »  2004 04

三十路氏へ

kage

2004/03/31 (Wed)

 梁沢地区に計画されている産業廃棄物終末処理場の会社「森崎興業」の社長は金子剛三氏、NCVの社長でもある。現在、地区周辺でもめている会社の恥部をNCVを使って市民に報せることはしないだろう。 当該会社は前社長の資本力で立ちゆかなくなり、荘内銀行が不良債権化を恐れて力のある金子剛三氏に頼み込んで6億円を融資、前社長の負債の一部として5億数千万円を回収したものだ。荘内銀行は見事な立ち回りをしたことになっているが、予定地周辺の住民の設置反対に森崎興業だけでなく荘内銀行も住民説得に苦慮しているのが現況のようだ。仮に住民の同意があった場合でも、この筋の設置にはブローカーが必ず関与する事業だけに一難去ってまた一難と事業の進展にはまだまだ困難な処理すべき難問を抱えていると聞く。
住民の反対理由のひとつとして「他人に譲渡することはできない」とした一札が山形県側から取られていることをあげている。が、この件は譲渡にあたらない。会社名も同じだし資本の関係から金子氏が株主の了解のもと株式投資して社長に任命されただけのことだから法律に触れる問題ではないようだ。  一部ブローカーたちが水面下で騒いでいるのは、前社長が「認可が下りた時点で譲渡する」として前金5千万円程度の運動資金を受領した経過がある。埼玉県の会社を譲渡先として企画されたものらしい。

ところが以前に処理場を譲渡した前例があり、県は許可を出す条件として「譲渡禁止」を条項に加えた上、処理場の認可を与えたものだ。譲渡が不可能となって困窮したのは前社長らだった。前受金の返済もならず、かといって処理場の造成資金にも窮したところに荘内銀行が慌て出したというのが実情だろう。ところで、埼玉県の譲渡を受ける会社は幽霊会社で5千万の前金を都合したブローカーが別の人間だった。だから前受金を支払った会社は金を受け取ったものの実態のない会社だけに、前金を用意した人物に返されるべき5千万円が消えてしまった。その金をめぐってスッタモンダがはじまっている厄介な処理場計画である。表は住民の反対、水面化では5千万円也の金額をめぐってイザコザは続くばかりだ。この騒動どうなるか、市民の関心事に違いない。

いやなご時世になりやした

kage

2004/03/31 (Wed)

 最近の時世風刺ランキングを見た。題して「日本の怖いもの」ランキング
第一位「そそっかしい医者」 第二位「エッチな先生」 第三位「非番のお巡りさん」だ。

いずれも社会的ステータス保持者たちだ。医者の不真面目さは高額所得に守られた生活が災いしているのではないだろうか。「寄付行為がなければ、研究の続行は望めない」と恥ずかしげもなく宣うバカな医学教授。

スキあれば女生徒の肌に触れたがるエッチ先生たち。ご他聞にもれず米沢にもエッチ先生はいた。いまは故人となったが中学校の体操部の顧問先生である。生徒は体操部の活動は好きだが、部に出れば当該エッチ先生のおさわりが嫌で練習を欠席する。と、部室に呼ばれ一対一のおさわりつきの説教となる。女生徒はついにノイローゼとなり登校拒否生徒となっていく。

「非番のお巡りさん」が普通の男性に戻った時の怖さを女性たちが訴えているものだろうが、常日頃、厳しい教育がほどこされているお巡りさんたち。非番だからといって市民の目につくところで普通の男性になりきれないストレスがある。「お巡りさんだって、普通の男性のように女性と交際してみたい」が本音だろうから堂々と交際すればいい。ところが結婚するに際して上司の許可が必要な組織だ。あからさまに交際の事実を知られることもうとまれる環境の職場にいる縛りが彼らをストーカーまがいの行為に走らせることになるのであろう。おかしなおかしな事情が積み重なっている世の中だ。

公務員だけが仕事じゃない

kage

2004/03/30 (Tue)

 世の中狂ってきたんじゃないかな。高校を卒業する時、就職先を公務員に求めた学友はひとりもいなかったことを覚えている。たったひとつの例外といえば、米沢市が市町村合併前から村役場に在席していた3名が自動的に合併後の米沢市の職員になっただけだ。
多くの学友たちは家業をつぎ農業に従事し、残りは大学に進学していった。

期末を向かえた過日、恒例のクラス会に大方のクラスメートが顔を寄せた。戦後間もない学制改革真っ只中の高校生活だったから、同じ高校に在席しながら第一高校・米沢高校米沢西高校と3度学名が変わったことだった。クラスメートには前市長もいれば元市議会議長や学校長・工学部の教授もいる。政治屋を除けばすべてが酒豪の面々だ。

戦後崩落した社会情勢から勤労学徒が多く、それぞれに選んだ道を歩けたわけではなかった。が、勉学を終えて学校がえりの夜道をカランコロンと足駄を鳴らして帰途する帰り道が級友との語らいができるたった一刻の自由時間だった。二宮金次郎には及びもつかなかったが、わが学友は勤労学徒であった。それは誇らしい青春でもあり、今求めようとして求められない青春時代の輝かしい記録だったと感謝している。

現在は学資に困るような社会の仕組みはない。高校生徒に生活を委ねる家庭もないだろう。われわれの16歳は家庭経済を支えなければという立場にあった。だから農業や家業につけない学友たちは仕事を選ぶ余裕がなかった。さしあたって明日は家族に糊をという時代であったから、仕事があればどんな仕事にも不平はいえなかった。職場の年長者に殴られながら仕事を黙々と覚えていくだけだった。一人前の仕事ができないから給料は無論半人前。それでも母親の哀しむ顔を見たくないばかりに泣き顔や不平不満は言わなかった。頼れるはわれひとりの心境と、われを頼る母がいる。これが励みとなった。そして現在がある。高校生時代に夢みた戯曲作家入りは60歳からの手習いである。せめて青年時代の夢を追うだけのことでいいと集中していたのだが、現在では日本演劇協会の劇作家部門に名をつらねるようになり、日中演劇交流のメンバーとして中国の演劇実情を視察するまでになっていた自分に驚いている。「だからどうなんだ」といわれても私は黙すだけだ。

人の一生は各々が決めることである。自分自身が生きたいように生きればいいことだ。何が良くて何が幸福かは死ぬ時にならないとわからないことだ。人間は魂が美しければそれ以上の何を求めるというのだろうか。

二高校合同演劇公演を見た

kage

2004/03/28 (Sun)

 久しぶりに時間がとれ、はじめて伝国の杜の劇場に入ってみた。普通の人は気づかないことだろうが、緞帳の前に1ボーダーが露出しているのはどうしたことであろうか。客席から見えない位置まで吊り上げるか、一文字で隠しておくべき照明器具である。たとえば一文字を引くとすれば、緞帳の絵柄が大きすぎて上辺の月が見えなくなるという配慮であるとすれば、緞帳の制作に問題がある。一体に緞帳の暗さはどうしたことだろう。本来、緞帳の図柄は明るいものである。米沢出身の著名画家の緞帳画としては失敗作だ。
さて、演劇として評価できる段階までは到達してないものだった。が、東高校の出し物は高校演劇として立派な取り組みをしている。3人のアクターの懸命な演技は評価できるとして、アルツハイマーの父親役を演じた男性に深さを求めるのは無理なことだろうか。

舞台装置はカガミを設置するなどして堂々としたものだが、生活感が感じられないのは寂しいものだった。壁を利用すればハウスではないホームを画けたろうと思う。劇中、地中海がテーマであるならば、父親が持ち帰った海の絵には白い壁の家並みを書いた図柄がほしかったと思えるし、海岸辺に松の木では細心の注意に欠けて残念に思う。

中央高校生徒の感性であろうか、コントの羅列でテレビの番組を見せ付けられた思いがした。もはや演劇と呼ぶにはあたらないものであった。しかし、コントを引っ張るだけの力量あるリーダー発見がせめてもの救いだった。

両高校に期待することは、まず、テレビに左右されないこと。そして高校生の感性を豊かにして、取り上げる台本は感動できるものにしたい。舞台の成功は一に台本の選定にあるということを肝に命じることだ。そして客に受けようとしてはならない。淡々と役柄を素直に演じていれば、台本のもつ感動は観客に必ず伝わるものだ。

演劇の劇は劇薬の劇である。できるだけ良い台本を読み、良い演劇を鑑賞することを勧める次第。

いやなご時世になりやした

kage

2004/03/27 (Sat)

 夕食時のテレビを見ていて驚いた。何に驚いたかって画面に登場した女性アナウンサーの衣裳の下劣さだ。少なくとも各家庭の座敷に登場する格好ではない。出演している男性が背広・上着を着ているそばで寝巻姿同然の衣裳でこれ見よがしに振る舞っている。吹雪の夜などは見ているほうに寒気が張りついてくる。
男性によるセクハラが問題視されているが、女性の裸思考に問題はないものだろうか。メデア花盛りのわが国である。テレビ各局の視聴率競争のためか下劣極まる番組が多すぎのではあるまいか。

低劣なテレビの影響からであろうか、ヤタラに言葉の表現が曲げられている。まず「ナマアシ」はじめは何のことかわからなかったが素足のことだと知った。日本語ではナマのつく言葉では「素顔・素焼き・素形・素浪人」他にナマのついたものに「生ビール・生放送・生の声」があり、「現ナマ・考え方がナマ・生噛り」などなど、ちょっと崩れた言葉で「ナマ言うな」などだが、「ナマ足・へソ出しナマ腹」に至っては言語道断。言葉の乱れが目立つこの頃である。

掲示板に本庁舎から離れている教育委員会の職務態度が書き込まれていたが、教育者の監督委員会にしてそのザマである。教育関係者は生の人間教育という責務の中で生活が保証されているはずだ。日常の勤務にその自覚がないのは問題である。現今、公務員が取り沙汰されている時代だ。せめて市民に後指さされないような配慮が必要であろう。特に女性の社会進出によって、勤労の実態が甘くなっていることはいなめない。女性戦士たちよ働くという現実はそんなに甘くはないのだ。

子育てマム様へ

kage

2004/03/26 (Fri)

 ふれあいプラザ館長さんのエッセイ「子育ては?」は、拝見しておりませんが、要旨は痛いほど読み取れるものです。
「三世代同居の家族が減ったために、保育園入所の待機児童が増えた」という現実にたいして「少子高齢化の時世なのに保育園入所児童が多いのはおかしい」祖父母が保育すべきだと館長さんは論じておられるようです。と、論じられながら「税金の優遇措置の廃止によって、専従主婦の子育て専念がしづらい状況になった」と分析されておられるようです。いずれも館長氏の論旨は浅い意味では正解だと思われます。

しかしながら、館長氏の次のくだりに多くの問題がひそめられていると考えます。「保育園に子供を預けること」と「子育ての放棄」論旨はあまりにも乱暴な意見であり、「子供の他人任せ、人任せでは家庭は成立しない」との論旨にいたっては誤解をまねく要素があると思われます。

子育てマム氏の問題提起の要点は4点。①の点は家庭の状況によるものだから、結論を急ぐべきではないと思われる。② 税制の措置があったとしても、子育てに専念できるような金額ではないという現実。まして、税制措置が廃止となればなおさらのこと子育てに専念するには経済的に考えにくいという現実が待っているという縛りがある。③ 女性は家庭にいて子育てに専念すべきだという考え方と、女性の社会進出の否定とは必ずしも受け取るべきでないと考える。なぜならば、女性が子育てをするこの行為はまさしく社会を構成する要因を担っているからで、女性の社会進出の定義は外で働くことだけに限定されるものではないと考える。④「保育園に預ける親は子育ての放棄」だとする館長氏の考えはナンセンスの何ものでもなく、テレビの見過ぎとしか考えられない意見だ。

このヤリトリの中に当該子供たちの目線で考えられていない。問題が希薄すぎる。子供たちにとって保育園にいる時間を苦痛と考えるか、楽しみながら団体生活の中で社会性が身についているのではあるまいか。母親と一日中一緒に暮らすことが子供たちにとって案外苦痛をともなっている場合だって考えられる。このすじの論争は国家的規模で行なうべき重大な国家課題だと考えられる。

街を彩る矢絣の女性たち

kage

2004/03/25 (Thu)

 久しぶりに真昼の街を歩いてみた。矢耕の着物にエンジの袴姿の女性の姿が目につく。「ああ、短期大学生たちの卒業式だな」と気がつく。卒業式に着物を着る風習はいつ頃からのことであったか記憶にないが、彼女たちが好んで着たがる着物は何故か矢餅の着物に袴だという。大正年間の女学生を舞台にした小説「談雪の下で」(題名が違っているかも知れない)は米沢女学校(現・東高校)に学ぶ女子学生の青雲のこころざしを書いたものだが、NHKの朝のドラマにぴったりの小説である。今日、街で見かけた失耕の学生の婆がオーバラップする。矢餅に袴姿のスタイルは学問を修めようとする女学生たちに限られたスタイルである。が、街の女性たちは何を間違えているのか、たしかに矢絣ではあるが色とりどりの少なくとも清楚とはいえない着物である。手にブーケとも花束ともつかぬ花の包みを持ったその女性たちは、道路の向かい側に知り合いを見たのであろうか、二の腕をたくし上げ大声をあげている。余計なことかも知れないが矢耕袴姿の学生に寄せていた小生のイメージとは異質なものを見たような気がする。だから現代の女子学生には矢絣は似合わないのだ。もっと、心の中に矢耕を着て学問にいそしんだあの青雲のこころざしに回帰してほしいと願ってその場を去った。
米沢市は織物の街で知られ、織物が米沢市の生計を立ててきた。しかし、織物は斜陽であり技術の乏しい街から順次淘汰されていった。西陣織や金沢の友禅は健在である。

米沢市の織物の代表は袴である。小生が先代桂三木肋・柳や小さん一行を呼んだ時に三木肋は寄席芸人から袴の注文を集めてきて猪股織物に依頼して帰ったものである。

米沢市の成人式には、大抵の女性が晴れ着を身につける。その着物はすべて他産地からの調達になる。米沢市民でありながら米沢市内の呉服屋で米沢織りを見ることはできなかったし「米織りだけは着たくない」が米沢市民の合い言葉だった。こんなにも市民に歓迎されない織物産業が伸びるわけがない。と、青年時代から考えていた。適中したがちっとも嬉しいと思ったことはない。日本人であること、学生であることのケジメで着物を身につけてほしいものだ。

合併問題-答えようのない市民意識調査

kage

2004/03/25 (Thu)

 25日が蹄切の合併に対する市民意識調査。小生は意見を記載して早々と送付したが、昨日までの回答数は20%そこそこだったようである。調査に問題はあるにしても、米沢人は「大事な時に意見を述べない。そして批判精神だけを持ち続けている」という閉鎖的な市民性があるようだ。この閉鎖性は米沢に敗北の歴史が積み重ねてあるからだろうか。だとしたら米沢の市民性に未来はない。米沢市民に望むことは「まず、動きだすことだ」自分の考えを披露してみることだ。そのことによって反発や他の意見があったとしても怯むことはない。そこから成長するのだから。行動も起こさないで、他人を批判することは最も卑しむべき行為である。米沢市民よ、いつまでも敗北の歴史に僻むことなく、行動による新生米沢市建設のために提言をしようではないか。
「鬼の会」のアクセス数も3万1千を越えた。考えてもみなかったアクセスの量である市民が自由闊達な表現の場として開いたホームページである。どうぞ輝かしい郷土の未来を築くためにも、ご自分の考えていることをお寄せいただきたい。

歩いていると「毎回、見ていますよ」という声が多くなってきた。興味半分の方もおられると思うが、ご自分の意見というものを披露していただきたい。匿名で表現できる掲示板であるから思い切った意見も述べやすい。主宰者として望むことは生き生きとして生の声である。最近になって、にわかに郷土が生んだ希代英傑雲井龍雄が取り上げられてきた。雲井に関しては小生の知るかぎり、多くの作家が挑戦してきた。が、雲井の劇化は難渋を示してきた。私ごとで恐縮だが、雲井の劇化は小生がわが国では最初である。「白布峠の雪」二幕がそうであり、戯曲春秋誌第2号に掲載されて好評を得た。在京の劇作家による評価は山形新聞に掲載されたから目にとめられた方もいるかも知れない。時間をみて手を加え、2時間30分程度の舞台化を考えているところだ。なんせ米沢にいるとヤブ用が多く、それに時間をとられて集中することができないでいるのが現状。

楽しかるべき運動会は今

kage

2004/03/24 (Wed)

 楽しいはずの運動会にも各地で陰りが見えている。ある学校では生徒は平等であらねばならぬとの考え方から、ゴール順位をつけない学校があらわれた。なかでも自由平等が高じたせいか「よーい、ドン!」の合図とともに、四方八方バラバラの方向めざして走る生徒たちの姿には気が動転した。こんな運動会も楽しかろうが、ここまで自由・平等観念が必要なものであろうか。小生もそうだが、三人の娘たちも走ることには全く自信がない。それでも小生と違って娘たちは意気揚揚と運動会に出かけていって走り踊っていた。
長女は一緒にスタートした生徒が転んだので、起き上がるのを待って走るという具合。次女は遅いけれどゴールめざして懸命に走ったようである。三女にいたっては、ゴール手前で立ち止まり仲良しの友達を待って一緒にゴールするという按配だった。それでも鉛筆1本の賞品をうれしそうに家に持ち帰って大切にしたものである。

等級をつけることは必ずしも差別や不平等とはいえまい。走ることの得意な生徒にとって輝かしい晴れの舞台が運動会なのである。スポーツは参加することに意義があり、勝敗に拘泥することではないかも知れない。しかし、スポーツの醍醐味は勝利することにあるより努力した者が真の勝利者になれるのである。オリンピックはクーベルタンの意義を尊守して開催されるのであろうが、それは建前であり実際は国力の披瀝に他ならない。オリンピック選手の多くは小学校の運動会が出発点であることも考えなければならない問題であろう。勝者には勝者の誇りを与え褒めたたえてやるべきである。ハルウララ的な小生ら敗者は別の道で勝者たらんとするものである。大人たちの余計な平等論は子供心を傷つけるなにものでもないということを知るべきである。子供は大人が考えてくれるほどヤワじゃないのだ。幸い米沢市の運動会では等級もあり全く普通の運動会のようだ。学校と地域が共催の形をとっている学校もある。その点では米沢市の学校教育はまともだといえようか。そこで考えさせられることは、運動会や遠足の日は「ほか弁」や「コンビニ」の弁当が花ざかりになるという。まして「仕出し弁当」もあると聞いてはなにおかいわんやである。生徒にとって母親の手作りの弁当こそが「頑張りのエール」だと思えるのだが。

米沢で生まれた商店を応援しよう!

kage

2004/03/22 (Mon)

 近年の大型店舗をもつ商店が米沢で生まれた商店を壊滅させている。昔はどこの町内にもあった八百屋・魚屋はほとんど壊滅状態になって、その姿をみることができなくなった。町は寂れ、老人は買いまわり商品を手にするのに苦労を強いられている。最近になって、買物はなるべく「きむらで買う」という声が広がっている。たしかに、他県から大型スーパーが大挙して店開きし便利になった面もある。しかし便利もさることながら、売上金のすべてが他市県に流れてしまう。米沢市民の金が流れてゆくのである。
ある銀行の支店長は「昔から取引のあった商店がどしどし廃業してゆく。米沢市民の金が米沢に一泊もしないで流れて行くんです」 元議員の奥さんは「米沢生まれのきむらは他の大型店と戦っている。その健気さを応援したいのです」またある主婦は「きむらで足らない物もあるが、その時以外は米沢市民として頑張ってもらいたいから買うようにしている」とエールを送る。 米沢だからといセクト主義ではなく、米沢で最後の商店になるだろうキムラの頑張りをどうしても応援したくなるという主婦の言葉は暖かい。 滅びゆく米沢の商店の生き残りとして、頑張りつづけているキムラを利用することで、米沢市民としてのエールを送りつづけたいものだ。

一日中、お母さんの顔を見ていたい!

kage

2004/03/22 (Mon)

 19歳に成長した全盲の男性がいる。「家族がこの子をしっかり守ってやらなければ」と、母親は家族をまとめあげ、無事に盲学校を優秀な成績で修め卒業させた。家族たちには言葉に言い表せないほどの苦労があったに違いない。 ある人が全盲の彼に聞いた。「もし、あなたの目が見えたとしたら、今なにを見たいと思う?」彼は答えた「お母さんの顔を一日中見ていたい」 その言葉に感動したその人は、次の問い掛けを忘れてしまったという。小生に話してくれた人は4月に開所する知的障害者の施設理事長である。 彼に「お母さんの顔を一日中見ていたい」と言わせた言葉の陰には母親と家族の愛が凝縮されている。 家族の崩壊が取り沙汰されている現在、久しぶりに救われた気持ちがしたものだ。
私ごとだが小生の戯曲に「次の世は虫けらでも」と題した越後ゴゼの物語がある。肺炎で亡くなったゴゼの幼児に、若いゴゼが泣き叫ぶ「こんど生まれてくるときは、お母さんから暖かい目をもらってくるんだよ」そして苦渋に滲んだ声で祈るように「こんど生まれてくることがあったら、虫けらでもいい。見える目がほしい!」。確かな目をもった自分たちの目に映るものは一体何であろうか。答えは自分で出してみるがいい。

増えてきた「まともな意見」

kage

2004/03/22 (Mon)

 掲示板の書込みが増えてきたのは誠に歓迎すべきことだ。が、書込みには意味不明なものもある。文章力を考えて書き込んでいただければ、さらに有効な掲示板となって「鬼の会」の存在意義が明確な形となって伝わって行くことになるだろうと考えるものだ。掲示板の書込みを読むのが小生朝一番の仕事であり楽しみでもあるわけだ。米沢市民としてやはり郷士は美しくあってほしい。つまらない人たちに汚されたくはない。そんな思いをもって開いた掲示板であるつもり。
一且緩急あれば権力を恐れず、先人雲井龍雄の勇気ある意志をもって立ち向かう市民性がほしい。大人しいだけでは、たしかに温厚な人という定評はある。が、自分の意見をもたない何の魅力もない人間としか小生には写らない。米沢は歴史的に敗者の町だ。したがって権力や権威にとかく弱い市民性でありそれが根強く残っている町だ。米沢市民よ、いつまでも歴史的な敗者の論理を持ちつづけるのは止めて、闊達な意見を掲示板に反映させよう。そして願わくば敗者から勝者の道を奪回してみようではないか。そこに「鬼の会」の願いがあり目的がある。

議会の珍事

kage

2004/03/19 (Fri)

米沢市の来期予算案が議会をすんなり通過した。常に共産党議員からのイチャモンが名物視されてきたものだ。 共産党議員の弟、市長の兄、兄弟愛は美しいというべきか。

市立病院の東北大学医学部の教授への寄付行為は各地で波紋を広げているが、米沢市からも、ご他聞にもれず市民には内緒の黒い寄付がなされていた。 市民監査請求によって「市長の責任で市民に返還すべきだ」との結論が出た。官のやることにも限度があるということだ。早急に返還すべし。市長といっても高橋前市長が返還すべきものか、安部現市長が返還すべきであるか? たしかに、寄付行為は前市長時代に行なわれたことだ。だが、官組織はうまくできていて、市長の座をはなれた途端にすべて責任を追求されることはないのだ。後任市長が前市長の後始末をしなければならない。一般社会では許されないことだが官はそれでも正しいのだ。

市内オンブツマンの監査請求によって、市立病院が東北大学医学部教授にあてした寄付行為は越権行為だとして指摘された問題。議会は当該案件を来期に見送ることを正式に決定した。教授の要請に応えなければ医師の派遣が無理になるという配慮から生まれた税金による寄付行為である。「白い巨塔」東北版をまざまざと見せられた、医学部教授の思いあがりの独善以外の何ものでもない。 さて、この問題、対処を一発間違うと今後に尾を引きかねない。市民の医療に直結する問題だけに腰のひけた議員感覚では解決できるとは到底思えない。教授や医師たちには比較的社会性に欠けるきらいがある。しかし、社会的評は高く、経済的にも恵まれた立場にいる。それでいて対処する相手が病める弱者である。この問題、教授らは舐めてかかっているような気がする。「寄付がないと研究ができないのだ」というわがまま者である。市民が怒らないで誰が怒るのだ。

官はえらいのだ、そして正しいのだ

kage

2004/03/19 (Fri)

 官のやることは何事も正しく口出し無用が大原則だ。たとえ市民バスが駅前出発時間を無視して10分早く発車しても、官が運航しているバスである以上、バスの時間無視は正しい行為なのだ。 たとえ発車時間までにきて乗り遅れた市民がいたとしても、早めに来て乗り場に待機していなかった市民に落ち度があるのだ。
市役所は公共的な建物とはいえない。1階市民待合所に社名の入った電話機の見本やテレビなどが過去に置いてあったからだ。いつから社名を表示することが禁止条項にあたるようになったのか?

いつからでも問題はない官が決めたことだ、官が認めた社名ならば問題はない。アクテイ米沢周囲の駐車場には、公用車専用と常に空いているスペースがある。周囲の駐車場が混みあっていても駐車は許されない。官が決めた官専用のスペースに車は止めるな。土日祭日もかな。

議会の駐車場の指定もおかしい。各社の取材を受けるような議会でもあるまい。議会中も常のように空いている駐車場だ。それでも官の決めたことは正しいのだ。

市役所は市民のものであるはずだ。市役所の駐車場は官が無料で使用している。この不条理も官のすることだ。やはり正当なことだろうな。

官の憲法「遅れず、休まず、働かず」

職員の採用 試験は建前・画接が本命。 コネ採用 200万のところ時節柄400万に値上がり?

官の鉄則 責任追求されるような仕事はしない。予算は遣い果たすこと。    

過ちは認めないこと。

諮問員構成 諮問員はすべてイエスマンであること。

商人は嘘をつく人間か?

kage

2004/03/17 (Wed)

 ある公立大学女性教授が常に口にする言葉を苦々しく聞いてきた。国立の大学教授をしていた母は「商人は嘘をついて人を騙す人間だから決して商人のいうことを信用してはいけない」と子供の頃から親に教育されてきたという。商人に気を許してはならないというその理由とは「安く仕入れて来た物を、高く売り付けようとするからだ。そんな行為は入を騙すことになる」これが母のいう商人不信の証拠だと語る。通常の社会ならば一笑に付されて済むことだろうが、実はこの問題は簡単に笑って済まされることではないような気がするのだ。
官僚や役人、とりわけ田舎者の市の職員どもに根強く残っている「儲け罪悪感情」というものがあるからだ。商人は儲けるのが生業であり、人を騙して利益を得ているわけでもあるまい。正当な報酬として常識的な掛け率で商っているわけだが、特にお固い職業についておられる方は承知しないようだ。仕入れ値を隠して高く売り付けるという論理はおかしいのだが、「儲ける」という言葉や行為自体が嫌われているようだ。彼らは働きの量で給料をもらう経験がなく、時間の経過とともに自動的にもらえる給料に慣らされているから、多少の不満はあってもそれ以上は我慢の子でいて、自分の価値観を的確にとらえることができないでいる。市井の人たちの努力に比べればさして努力もいらないしする気力も育っていない。商人は仕事の量によって収入の高低があり、現在のように不況風が長くつづけば銀シャリから大根メシで耐えなければならない。公務を司る市職員らに切羽つまった苦労がない。

祭りの賑わいは香具師らの活躍があるからで、町の活況は商人が売場を展開するからだ。織田信長は岐阜統一にあたって、楽市楽座を開き全国から商人を、呼び城下町に賑わいをもたらした。その中で商人たちがもっている各地の情報を手にいれていた。信長は商人を大事にしたゆえんだ。

このたび、超ゲルマニウムの体感体験会を東京の研究所から専門講師を招いて、20・21の両日アクテイ米沢を会場に開催することに決まり、その教宣のために作成したチラシを数枚もって置賜総合文化センターに持ち込んで驚いた。「この建物は公共の場であるから、利益につながるもの、または社名の入った印刷物は一切お断わりする」と一蹴された。利益を生む行為や社名のPRに準ずるものは公共とは一線画したものであるという理解である。米沢市民が米沢の会社・商店が広く市民に知られて何が不都合であるか。市民の営業活動を支援するのが行政というものであろうが阻止しようするのは何故だ。「決まりがあるからだ」と頑張る職員。そして「緩和する動きがあるからそれまでは」と抜かす。教育委員会に属するナントカ課長の言い分だ。

役人というものには本質的に「利益を得る行為を卑やしい行為」だとする考え方が根強くあるらしい。米沢市を形成しているのはコッパ役人だけではない。農工商それぞれに従事している人たちが、それぞれの立場を堅持して市をつくりあげているのだ。その農工商のつつがない活動を不況のどん底に落としているのは、租税でメシを食らっている公の職業だとする市職員・商工会議所はじめ市会議員らではないか。大手スーパーが乱立し、大規模商店の進出に縛りもかけず、市民には便利ではあろうが、そのために店舗を閉じた数は無数だ。

無差別に大型店舗の進出を許す前に、小店鋪ながら永年商いをつづけてきた店が無残にも消えていく姿はもう市民にやさしい行政でなかった証左だ。

市民の消費した金は肝心の米沢市にとどまらずその日のうちに他都市に運ばれていく。商人の痛みがわからないようなコッパ職員に告ぐ。一市民として糾弾せねばならぬことがある。職員と一部業者との癒着関係だ。市の態勢が崩壊するだけのネタが此処にある。少なくとも米沢市を訴訟するだけの準備は整っているのだ。

合併の憶測

kage

2004/03/16 (Tue)

 川西町の住人は「米沢市と合併するのが自然ななりゆきだと思う。第一川西町は財政的にも完全な行き詰まりを見せている。米沢市に助けてもらう以外に救いはないと思われるのだが」という。「米沢市の議会は川西町との合併に賛同したでしょう。合併を断ってきたのは、川西議会あんたでしょうが」 長井市を含む二市一町の合併案も長井市の反対でオジャンとなった。どこの市町村も米沢市との合併を嫌っている。このままでは合併問題はスンナリとはいくまい。
長井市は合併の方向をかえて、南陽市、川西町、飯豊町と合併の規模を広げて二市二町の合併を模索しはじめている。依然と独立独歩は高畠町と白鷹町か。残された小国町は越県合併の方法もある。

掲示板にもあるが、高畠町民の米沢嫌いは堂々たるもの。歴史的には天領から米沢藩に委譲された士地柄らしく、天領時代の比較的自由闊達な暮らしから、米沢藩の締め付けに自由を奪われたかのような遺恨を今もって遺伝子が記憶しているのだろうか。米沢藩の中心は米沢にあり、租税は周囲からの調達にあった。したがって米沢は役人官僚の町であった。今風にいえば、米沢市は公務員の町であり、周辺の村は公務員たちを養うための租税提供者にすぎなかったということになる。加えて理不尽とも思える苛酷な縛りもあったろう。武士官僚たちの威張りは程度の差はあっても今もって変わらないものがある。

市町村合併とはいっても、歴史的な怨念を風化させた上で、未来の郷土を見つめた上での大合併が望ましいものだと考えられる。米沢衆はウダデからだとか、ザワ衆は嫌いだ。などの狭量で未来の郷士は築けまい

キムタコ氏とジャック氏に

kage

2004/03/16 (Tue)

 両者の意見は時世をあらわして面白い。市職員のジャック氏の職業観は暗くないかい。資本家の利益第一主義の仕事を否定し、両親の希望もあり地元に就職するならばということで、難関を突破して市の職員におさまっているということだ。
ジャック氏が噛み付いたのは「利益第一主義の資本家の仕事が馴染まないから」とのくだりだと考えるが、ジャック氏よ、利益第一主義と資本家を決め付けるのは卑屈にとれて若者らしくなくて哀しい。青年会議所のメンバーにおよんで彼らを勉強しなくても親の七光で遅滞なく生活ができると羨んでいる。しかも、前市長のコネで市役所の職員になったバカどもが6Fに屯していると指摘して侮蔑しているようだ。氏は80倍の競争を経て市の職員になったという思い上りが見え隠れする。ジャック氏よ「だからどうなんだ」と私は老婆心ながら聞きたい。世の中斜めから見ちゃだめだ。顔をあげて堂々と正面を向いて歩きだすことだ。君のような考えはすくなくとも米沢市民の公僕にふさわしいとは到底おもえないよ。もっと自重すべきだ。

キムタコ氏の意見は正常な感覚の持ち主ならだれもが持っている正論だよ。「君はいったい市役所の職員として何をやりたいのだ」のツメは泣かせるセリフだ「勉強とは世の中の仕組みを知り、自分が社会の役に立つにはいかなるボジョンを選ぶべきかで、単に市役所に入るためにするもんじゃねえ」いい啖呵だよ。

ジャック氏へ。君はきみが選択した職場で公僕たるにふさわしい仕事を命がけでやったらいい。キムタコ氏よ、公務員と市井の勤め人とは根本的に職業に対する考え方が違っていると思うよ。まず、給料の出どころが違うじゃないか。歴史的にみても税金に頼って暮らしてきた人たち「公卿や大名族」近代では「役人・官僚」らが考えることは、予算に陰りが出た場合はすぐに租税を上げることを考え、自分達の経費を削減することは考えないものだ。それが今でも継承されているという具合だ。いい例が3月の公務員たちの購買意欲だ。予算を使いきるために悪知恵を絞る季節到来だ。民間ならば与えられた仕事を完璧にこなした上で、いかに予算を浮かすかが問われる能力というものだ。ここが役所と民間の根本的に違うところだ。

乱暴な表現になるが、役人というのは市民を自分達より低い者扱いするものだ。まず威張りたがる。そのために許認可を握ることを喜びとする。何度も何度も市民に足を運ばせることを何とも思わないし、むしろ快感とさえ受け取れる場面がある。人間は弱い動物だから、権力をもって身の保全を考えたがるものだ。社会にかぎらず家庭でもそうであろう。さらに申せば、士農工商の時代に事実上、経済活動によって社会を動かしてきた商人たちが、歯軋りしながら耐えてきた商人たちの気概こそが近代社会の基盤となってきたことをもう一度考えて見よう。

いやなご時世になりあしたなァ

kage

2004/03/15 (Mon)

 人の不幸につけこんで飯を食っているのが「医者」と「坊主」と「弁護士」の各先生たち。この先生方いずれも高額所得者であるが、坊主は正当な申告さえ免除される特別職養護職に映る。いずれも商売のためには「病人を増やすこと」であり、「葬式の数が多くなること」「争いごとが絶えないこと」が望ましいことになる。
 医師が一人でこなせる医療にも限度がある。そこで検査づけと薬づけで売り上げを伸ばすことを考える。これは医師らの営業努力だといえばそれに違いない。
 坊主は檀家数を増やす努力にも限度があって、葬儀のお布施を値上げすることに恥も外聞もなく50万円程度の請求をする。伴僧布施は談合によって一律ひとり8万円也。どう考えても1日の働きとして8万円は高額だと思われるのだ。請求され、無理だと心中思っていても喪主に断れる機会をあたえない。まして喪主は世間態を考え、旨くもないお茶にウン千円の香典返しを承諾する。弔問客が帰ったあとは坊主と葬儀社の支払いの心配で、ただうなるだけの眠れない夜を明かす。

 弁護士先生は話を伺うだけで5千円他。いずれも半端な手付金じゃない。依頼主は弁護士先生がついているからと一回の公判でケリがつくと思っている。しかも、必ずこちらの言い分が通り勝訴するものだと安心している。刑事訴訟はいざ知らず少なくとも民事訴訟はくだらない。弁護士同志の阿吽の呼吸が整うまでに何回も何年も裁判は繰り返されるのだ。その度にかかる費用が馬鹿にならない。そして納まりは当事者同志は和解勧告によって「話し合い」の解決となる。いままでかかった弁護士費用は何だったのだろうかと後悔する。

 現在、死亡する人の多くはガンである。ガンは命取りの病気だと一般に認知されているから、ガン患者の死亡には病院や医師の名に傷がつきにくい。ガンを治療する方法だと抗癌剤を適用する。患者にすごい負担をかけながら高価な抗癌剤を使用する。髪が抜け、体力は減る、これではガンに互角に戦えるものではない。ガンの再発率はまことに多い。これだけ過大な医療費を消費させている日本医療界だが、ガンの治癒率の低さはどうしたことだ。ことさらに免疫力を減退させる検査づけは無駄な医療だと思うのは素人のたわごとであるか。訪れる患者に、馬に食わせるほどの医薬品を与え、人間の体が化学合成物質を拒否することぐらい常識であろう。

「医食同源」に基づいて、ことさらに食物を選ぶ必要がある。日本人の体には植物性の食物が適しているのだから、大根、菜っ葉・穀類で十分健康は維持されるものだ。あの天皇家の食事を調べてみるといい。植物関連の食事が多いのだ。骨が無いからといって子供にハンバーグなどの肉食ばかり多量に与えていると医師や坊主の世話になる日が遠くないということだ。政府もとどまることのない医療費に頭を悩ませないで、国民に予防を心がける政策に切り替えるべきだろう。わが国には世界に冠たる発酵食物があるではないか。味噌、醤油、糠づけに梅干しなどなどだ。

いやな時世になりやした(その2)

kage

2004/03/12 (Fri)

 「カラスは朝になっても、夜を着ている-」こんな書出しではじまる詩がある。 カラスは即座にコトバを返す。「中身のみすぼらしさを隠すようにケバケバした化粧して着飾る姿は母親の仮面じゃねえだカアッー」  
近年、恐ろしいコトバが取り沙汰されている「女性から母性本能が喪失してしまったのか、それとも女性にはもともと母性本能などは存在しなかったものか」論議は続けられるであろうが、人間も動物であるかぎり動物の生態から学ぶ以外に手はないだろう。確かに動物界を見るかぎり、親が子育てにかぎり全身全霊を子供の育成のために子を外敵から保護し、食物を探して求めて与えている様子が理解できる。しかしいつまでも子供を親の庇護のもとに置かないところに人間との違いがある。人間はいつまでも親と子の関係が甘いようだ。人間といえどもある時期には独立するという精神を養っておく必要がある。独立精神を阻害しているのが実は母親なのだ。母親にとって子供は未来永劫子供であり、成長しても臍の緒がどっかで切れないでいる。それが子供にはウザッタイ負担となる。本来、子供は自立するものである。自立精神を遅らせているのは案外母親の経験主義からきているフシが感じられる。「末は博士か大臣か」という親の願いがあるかぎり子供は負担に虐げられることになる。そこが母親の気づいていないところだ。子供は本来強制された勉強よりは遊ぶことが似合うものだ。学校の宿題よりマンガ・アニメに没頭したいものだ。「よく遊び、よく学ぶ」が正解であり「学ぶこと」を先に望むのは子供失格であり、むしろ危険性を感じる。「母親の幼児殺し」「子供や孫に殺される親」などのニュースが連日報道される世の中だ。この現象は今後も続くであろうが、日本の親子関係の甘えの構造からきていると思われる。子供は自分の手で食べられる方法を身につけた時が成人なのだ。親はその日を子供が見つけるまでの教育に撤するべきだと考える。子供がいつまでも幼児性から抜け切れないでいるのは親の子育てに問題がある。幼児期は体罰を加え性格なりを矯正する時期なのだ。子供はペットじゃない。子供が可愛いのは自分だけのことじゃない。可愛い子供だから、時には叱咤して家の手伝いもさせ、外に出して遊ばせることだ。「遊ぶ時間を勉強に」こんな親から子供は心の中で離れたがっているのだ。勉強づけのあげく有名大学に入学、優秀な成績で卒業、めでたく官僚となったまではいいが、成長期に学んでこなかった敗者の劣等感などの痛みを知らないだけに「常にまず我ありき」だから、社会の善悪にさえ麻痺した精神状態がつづく。日本人を代表するような優秀な頭脳をもつ官僚が考えることは「まず、我ありき」なのだ。だから不条理な税金の無駄使いはする、足らなければ税金をあげれば事は済むという考え方が変わらないのだ。犯罪人を取り締まるはずの警察官僚ですら、自らが税金を裏金と称して懐手してはばからない国は何も日本だけのことではないとしても、立場上 恥辱感や使命感は育っているべきであろう。たまたま検挙される警察官といえば、セクハラの類でゴミにひとしい。締めあげ、検挙すべきは警察官僚の悪事にある。  

 日本人はおとなしい国民性だと馬鹿にされている有様だ。国民よ!心から怒るべき時だ!心に銃をもって、不条理な世情を撃つべき時だ。永田町界隈のカラスは見かけはシロだが、一皮むけば中身は黒衣裳。まさに日本国は滅びの途上にある。

いやなご時世になりあした

kage

2004/03/11 (Thu)

 どなたがどんな仕事をして、どんな収入を得ておられようと全く自由なわけで、人がとやかくいう問題自体が不順だと考えております。が、掲示板のヤリトリは公務員職を中心として待遇に集中しているような気がいたします。どんなに良い待遇であり、高収入であったとしても所詮人間は「起きて半畳、寝て-畳、なんぼ食っても一日五合」のワクの中で暮らしてる生きものではありませんか。ただ、公務員が目立つような世の中であっては、社会機構の貧しさが露呈した現況だということに尽きると考えます。確かに、永田町界隈の人物の貧しい思想から、警察の裏金づくり財務省官僚のノーパンシャブシャブなどなど、常人には考えられない破廉恥な行為がつづいていることは事実のようです。

 わが国には形式だけの民主主義は確かに存在しています。が、その制度が熟成しないわけは、国民から銃を取り上げている社会だということです。丸腰の国民なんてチットも怖くないのですよ。 アメリカは国民に銃が浸透しているという事実が、官僚、議員も含めて緊張感をもった行動にしているわけです。市民が銃をもつなんてヤバンな国民だと軽蔑することが間違った考えだということです。古くはイラク、今北朝鮮の核問題が真剣に騒がれています。核は暴力の最たるものですから、核をもつ国が他国の核潰しをすること自体おかしいのです。端的にいえば「お山の大将オレ一人」の理論なんです。「オマエを信じないが、オマエはオレを信じろ」は無理なはなしでしょう。が、それが現実なんです。

 地球上から戦争がなくならないのは、常に世界中が「陣取りゴッコ」をしているからで戦争が無くなると困るのが武器商人というわけですから、わが世の春を謳歌するためには、ナンクセをつけて争いを起こさせる業師が活躍しているわけです。昔から人は単独で仕事をしていたわけですよ。時代の趨勢によって、企画する人、運営する人、働き手として雇われる人に分類されてきただけのことで、世の中をナナメに見ないで黙々と自分で選んだ仕事をやればいいだけのことです。不況のせいで公務員が目立つだけでしょうが。人の仕事を羨むことなく自分の仕事に誇りをもって生きればいいことだ。確かに永田町関連の不祥事には腹がたつものの、そんな生き方しかできない群像を哀れだと考えることはできませんか。「人間、大根、菜っ葉を食らいて医食同源」の健康維持の哲学。掲示板記載の「米沢が好きで市の職員になったわけでない」という公務員氏。無理に米沢を好きになる必要はないよ。が、六階に屯するバカどもとは言い過ぎだよ。バカはバカなりにあんたと同じ人間だ、食を求めて市職員になったのさ、何倍かの競争を経て職員になった人にしては軽薄な表現だ。

三位一体改革の問題点

kage

2004/03/06 (Sat)

 国から地方に渡す「補助金の削減」。国の税収を地方に移す「税源移譲」。 国が地方に配分する「地方交付税改革」の三つを同時にすすめる小泉内閣の税制改革の目的は「地方の自立」を目指すとともに「国から地方への支出を減らす」国、地方の財政をともに健全化する狙いだ。政府は2006年度までに4兆円の補助金を削減し、見返りにその8~10%程度の税源を地方に移し、あわせて地方交付税改革をすすめるという目標を定めている。
 地方自治への国の関与を批判してきた各自治体が、財政面では引き続き地方交付税交付金などによる国の援助を求めるという二面性を色濃くもちつづけているため、三位一体改革の成否は、改革を受け入れる側の地方の税財政改革の進展の度合いに左右されるだけに地方にも課題が山積しているのだ。

 三位一体改革に対する評価では、補助金削減の見返りとして、所得税の一部が移譲されることに22県が評価したが「明日につながる負け」などとして今後の本格的な移譲を期待して評価する意見が大半だ。42都道府県が所得税とならんで消費税の移譲で、一層税源移譲を求めている。一方、評価できない部分では、36都道府県が「地方交付税の削減」を挙げ「地方交付税の改革(減額)のみが突出し、削減ありきの改革」「国の財政再建のための地方への負担転嫁に過ぎない」と15府県が国への不信をあらわにした。「国の権限が温存され、地方の自由度が高まらない」と、21の道府県が不満を見せている。三位一体改革には他にも問題点が多くすんなりと改革されるとは思えない。

放漫経営のツケ・三位一体の衝撃

kage

2004/03/06 (Sat)

 「地域総合整備事業債」地方単独事業の支援制度として、1978年に創設された地方債。88年、国が市町村に一億円ずつ交付した「ふるさと創生事業」推進のため使途が大幅に緩和された。これだけで事業費の75~90%を賄えるほか、元利返済の最高55%を国が地方交付税で補填するため「無駄なハコもの整備の元凶」と批判が強く、2002年3月に原則廃止されたものだ。
 国は1992年度以降、130兆円を超す景気対策を実施。県内市町村も国の掛け声に応え、2001年度までの十年間、毎年総額1300億円以上の公共事業を積み重ねてきた。飛躍的に伸びたのが市町村の単独事業。88年に旧自治省が地域総合整備事業債(地方債)の対象事業拡大などを打ち出したため、市町村は競って地方債を発行「ハコもの」や道路、公園を整備した。地方債による事業費は毎年160~200億円に上った。その「ツケ払い」の公債費は2002年度単独事業費を上まわり、2004年度から四年間がピークになる。しかし、地方交付税の大削減は、市町村財政の正念場に襲いかかった。しかし、単独事業を決めたのはあくまでも自治体の責任である。 新庄市内を歩くと「市民プラザ」「雪の里情報館」と、モダンなディザインの建築が目に入る。いずれも地方債などを利用して建てたものだ。建設償還もさることながら年間1億円の市費が維持に費やされる。2004年度当初の財源不足を職員給与の削減で埋める新庄市だ。高橋新庄市市長は「かなり背伸びして国に付き合ってきたが、その償還に懸命なのに地方交付税も減らされた」と苦渋の説明をする。

 山形市は給与削減を検討する委員会を設置。山形市助役は「給与が高いのは事実。職員にも給与のあり方を考えてほしい。合併によって、人件費が億単位に増える計算だ」

県内市町村、軒なみ財政危機の嵐にさいなまれているが、その責めを負うべきは、国か自治体であるか明快な説明が求められている

合併特例債とは

kage

2004/03/04 (Thu)

 合併後のまちづくりのために発行できる地方債のことで、合併の際に策定する市町村建設計画に盛り込まれた事業や、地域振興のための基金積み立てにかかわる経費に充てられる。公共施設などの建設費の95%を賄え、元利償還金の70%が交付税で充当されるなど財政面でのメリットは大きい。さて、合併特例債にたいして、かならずしも喜んでばかりはいられないようだ。地方は国を100%信用できない事情があるからだ。

合併まったなし

kage

2004/03/04 (Thu)

 市から合併問題にたいするアンケートが送付されてきた。市民はアンケートの内容をみてどう応えればいいのだろうか。
   合併する市町村の相手があっての選択ならばよし、一度は主導権をめぐる問題から、米沢市排斥の中で進んできた。だが、三位一体改革は米沢市以外の市町財政を危機的状況追い込むことになる。 「苦しい自治体同士集まったところで、さらに状況を悪化させることは、小学生にも分かることだ」と切り捨てるのは山形大学の楠本雅弘教授だ。教授の指摘を待つまでもなく周辺自治体は「寄らば大樹」とばかり米沢市を軸とした合併に回帰しはじめているというのだが、米沢市長が代わっての仕切り直しという段階のようだ。

 目黒長井市長は「特例法の期限を考えれば、米沢を待てない」と勝手な見解を示している。市川山形市長は「私たちは特例債を頼みに合併をすすめている。国が約束を守るよう働きかけるべきだ」とトーン落ちした発言をする。2004年度の地方財政計画で、国は2兆1千億もの地方交付税などをカットした。突然、総額167億円もの財源不足を抱えることになった県内の市町村は、国への決定的な不信感を抱くことになる。国の地方債計画では、一般公共事業債が前年度5.7%減ったのに対し、合併特例債は175%の大福増。現状では明らかに合併を選択する方が得策に見える。 土田東根市長は「だが一国・地方併せても七百兆円もの借金がある。合併しても特例債が出るかどうか、元利償還に交付税措置があるのか、危ないものだ」と国不審の声もある。

サラリーマン氏に

kage

2004/03/03 (Wed)

 掲示板に書込みのうち、YTSのスクープスペシャルは全国放送で、局独自の放送ではなかったそうだ。 内容も北海道警察の第2弾放送で山形県内の警察に報道が及んだことはない。と、報道部の談話でした。
山形県警に及ばないことを県民としてせつに祈るばかりだが。北海道の場合は内部告発によって明らかにされたものだが以前から疑われていた警察官僚のドケチ精神から発露した悪知恵であろうから、立場を利用した不届きな行為であり、法の番人とはいえども官僚のやることは同じかと侮蔑の目で捉える外ないのでは、と達観することなく、厳しい観察眼を駆使することだろう。 情けなくて知りたくも聞きたくもない話だ。

自治体の給与削減-難航する組合交渉

kage

2004/03/03 (Wed)

 自治体の給与削減「自治体職員の給与は都道府県人事委員会の勧告を参考に決まるが、財政悪化に伴い、多くの自治体が1990年代後半から削減している。都道府県では2003年度に長野県、東京都、北海道が削減。市町村でも削減例は増えており、 総務省によると2002年8月で一律削減の自治体は883(全体の27%)となっている」

山形県の場合、鶴岡市の職員給与削減条令案をめぐって、市職員組合が一歩も譲らない構えのようだ。市が職員給与の一律3%とボーナスの平均0.2ヶ月分削減を組合に提示したのが1月9日。「2004年度当初に約13億円の財源不足が生じる」ため説明。議会への条令案内示まで2ケ月弱しかなかったこともあり、組合は「これは交渉ではなく通告だ」と反発。だが市が交付税の大幅削減を知ったのは昨年末だった。富塚市長は「他に削れるものはない」として組合と合意しないまま、新年度予算案に組み込んだ。したがって、協議は今も膠着状患だ。

新庄市も2月5日、3年間で総額約2億7千万円の給与削減案を市職労に提示した。高橋市長は「1才児までの医療費無料化を撤廃するなど、住民サービスへの影響も出ている。職員にも負担を求めたい」と説明。市職労は「安直な削減を認めれば、交付税改革の度に給与が削減される」として2005年度以降の見通しを求めている。「まるで自分のクビを切るような思いだ」かつて 自治労県本部の執行委員長を務めた小屋鮭川村村長は組合との協議を苦渋の表情でふりかえる。小屋村長は給与削減を求めたが、組合は財政難の責任明確化や行政改革の見通しを示すよう迫った。このため削減案は提示できなかった。「予算案は数字のつじつま合わせで、本音は1億円足らない」と明かした。一般職員の給与削減の動きは松山町、櫛引町でも出ている。自治労県本部は「訴訟などの手段に訴えるしかない」と強硬措置も辞さない構えだが、一方「国民も厳しいこの時代に、住民に理解を求めるのは難しいだろう」と本音をのぞかせる。「自治体職員も応分の痛みを---」 という流れは止まりそうもない。県内37市町村のアンケートで財源不足159億円。

米沢市もご多分にもれず財源不足はいなめない情況にある。さて市職労はどう対処するか。議員さんの反応はいかに?

癌の花いま真っ盛り

kage

2004/03/01 (Mon)

 どうも身体の調子がいまいちだと嘆く人の大方がガンにやられているような気がする今日この頃だ。
現在、知人にガン療養中の人が5人いる。再発した人が4人、もう1人も再発を心配しながら怖れの日々を送っている。

病気になれば医師にかけつけ診断と方針を仰ぐのは常識だが、はたして医師は病気を克服させてくれるかどうかになると高額な医療費の割合に保証はない。
医学が進歩したと信じている国民の期待を裏切るようにガンからの生還は少ない。

古代から現代にみるガンの発生率が多いものであったろうか。ガンにかぎらず、アトピー性皮膚炎などの奇病が新生児に広がっていて医師の手に負えなくなっているのも事実のようだ。
医師は皮膚病といいステロイド系の塗り薬でかゆみを押さえている治療らしいが、米国では完全に血液の改善で治癒しているのが現状だ。現代は難病奇病に悩まされているが、その原因は従来は海水から造られた塩に含まれている微量ミネラルの不足が原因だとされている。

「塩の専売法」によって、日本国民は海水を電気分解して造る化学製品「塩化ナトリュウム」を食べさせられてきた。これは化学製品だから必須ミネラルは皆無で、ただショパイだけの塩を食べづけてきたツケだろうと考えている。
安価であることで国民に定着してしまっているから、なおさら本物の塩を食べようとはしない。肝心の必須ミネラル分は捨てられてきたのだ。塩の回帰を望む

現代無用物あれこれ

kage

2004/03/01 (Mon)

 古い朝日ジャーナルのページをめくっていたら、現代無用物として次のような項目が載っていた。
少々、感じることもあって掲載してみることにしたが、どんな反響が出てくるのであろうか。
①戒名 ②敷金 ③時価 ④おいしい水 ⑤お色直し ⑥男性用化粧品 ⑦血液型性格判断
7項目をどう思われるかな?

勝手につけ加えるならば
①男子学生のダブダブズボン ②男女のピアス ③怒髪天突式男子髪型 ④男女の干しワラ風赤毛