「最小の経費で最大の効果を目指した節約行政」財政再建・赤池町

2004/02/27 (Fri)
転落の直接的主因は地場産業の「炭鉱の閉山」だった。よって財政情況が赤字で推移するなか、追い打ちをかけたのが土地開発公社の不良債権だった。炭鉱に代わる産業として先行取得した30haの土地に企業誘致、住宅の確保、失業対策に方向を転換。閉山によって働き手が流出、人口が激減半分以下の人口の町になったことなどが要因となっていった。結果、行政だけの努力ではどうにもならず町全体が「脱出します財政再建団体」を合いことばに「計画行政」と「住民参加」で見事財政再建団体から脱出したものである。計画より2年短縮の財政再建だった
財政再建団体に転落すれば、その不利益は想像に絶することになる。したがって米沢市は財政再建団体に転落した不名誉な経験を生かして、無駄を省いた計画行政を常に心がける緊張を市職員全体にみなぎらせるべきである。
優秀な人材を高給で採用する案はいかにも短絡的な考え方であろう。見るがいい東大出だとされる優秀官僚たちの腐敗を。経済が豊かになるのと反比例するのが多くは退廃のようだ。高給で高級官舎が無料と何不自由ない官僚の考えることは実に稚拙だ。遊興飲食代やらゴルフ代まで他人の金(税金)で賄っているという具合。高級官僚たちよ、自分たちの余りにも卑しい行為を恥としない感覚はもはや廃人以下の種族というべきか。このようなガキどもに日本を任せること自体が亡国の墓場への道なのだ。北朝鮮の独裁がつづくのは飢餓の縛り(生きたいと願う人間の最低条件)があるからだ。彼らに少しでも豊かさを与えたら、さらなる豊かさを求めて暴動が起こる可能性は大だ。
かつて国鉄は「食えるだけの賃金をよこせ!」と、ストライキを繰り返してきた。列車ダイヤを混乱させ国民の足を奪いながら、それでもストライキは繰り返されてきた。彼らの給料は上がったが、結果は倒産にあたる国鉄の解体である。膨大な赤字を残してだ。人間が人間としての尊厳を保つためには程度のある不自由さが不可欠な条件である。昔、教師は聖職者として社会から尊敬され、教師は尊厳に傷をつけまいと低給に甘えながら生徒の教育に全力を捧げた。いまの教師はどうだ。警察官はどうだ。坊主はどうだ。みな聖職者といわれた人たちだ。今は豊かさに崩れて毎日の紙面を賑わしているではないか。

掲示板「ナノ市民氏」に

2004/02/27 (Fri)
米沢市が財政再建団体に転落した年度は51年、6月26日に自治大臣らよって指定されたもので、再建期間は当初8年であったところ5年で縛りがとけた例がある。財政再建団体におちる原因となった額は28億6千万強で、再建団体に転落した直接的事由は、オイルショックによる景気の低迷によって市税および地方交付税の減収によるものだ。一方、金池地区の区画整理や市庁舎の建設、体育館の建設などによって収支が合わなくなったものだ。現在は単年度黒字決算(総務庁認知による)であり、市民が赤字と騒ぐのは借金額であって、特別会計(例えば水道事業などの施設費用に要した借金は水道料で返済する)をまとめた借金総額は赤字の対象にはならない。まして置賜広域事業所の借金は米沢市単独で近済するものではない。小林財政課長の返事だ。結論からいえば米沢市は実質黒字会計にあるという答えがかえっている。はたして、米沢市民の空騒ぎに過ぎないのだと安堵すべきものであろうか。

掲示板「子豚氏」に告ぐ

2004/02/27 (Fri)
机だけが-回り大きいが「その気になって頭の中身は痴呆症なる課長」とはどなたを指しておられるのか知りえないが、ご指摘の、私が口ききして入庁させた事例はない。私は前市長高橋とは同級生の間柄で、ために友人を信じ行政に口だしすることをむしろ避けて通した20年間である。だが一度だけ米沢市が真っ二つになることを防ぐために「南部土地区画整理事業」の白紙撤回の真相を自費出版し、市民同士の一発触発の紛争を沈静させたことは衆知の事実。同級生として対等の付き合いを望む私の信念から、他人はともかく彼に依頼したことは一度もない。子豚氏の感性は信じてくれるだろうか。政治家と一線を画す劇作の道を励んできた私だ。政治も行政も文学的見地から判断している。子豚氏の見方はあまりにも単純で無知でいやしい発想だ。
男子たるもの無益な雑音に惑わされぬよう己れの魂を磨きたまえ。

法律は官僚のおもうままに

2004/02/26 (Thu)
この国の法律は誰がつくるのか。国民でもなく政治家でもない。と、なると官僚か? 地味な法律にひとつふたつ分言を加えたり引いたりすることで役人は国の枠組みとなる法律の趣旨を、骨抜きにしたり違えたりする。法改正に当たっては審議会や公聴会の報告の精神を尊重すると言いつつ、法案のたたき台に、まるで一滴の毒薬を混入させるかのように、それまで議論さえされなかった文言をそっと滑りこませるか、あるいは削る。
その文言は劇的に法律の中身を変えてしまうのだ。
一旦成立した法律は、その後何十年にわたり社会の枠組みとなる。役人のそうした賢しらによって、日本はますます官僚による官僚のための国家になり果てていく。「98年2月に新しい法律の制定要綱を見た時愕然としました」と言うのは弁護士の光石忠散氏である。
「我々の出した報告書と内容的に断絶しているとさえ感じられたからだ。法案は、我々の報告書に沿って準備されているとばかり思って、我々は安心していたところだが、突然この驚くべき要綱が出てきたんです。
有志が連名で厚生省に訴え上申書を出しましたが返事はなかった。そして閣議決定、参議院の審議入り、わずか3回の審議で法案は通ったのだ」委員たちは隠れ蓑に使われただけで、事実「十分な論議」ののち国会審議に委ねるというのは、官僚の意を貫くための典型的な戦術なのだ。すべては官僚の思うままに法律がつくられていくということだ。
それにしても、法律をつくる時、専門家による審議会をつくり、十分に議論させて関係者を一応納得させ、いざ法案提出という段階ではじめて、官僚が作成した似ても似つかぬ法案が提出されるというケースがあまりにも多いのだ。
たとえば総務庁は国民の代表である政治家に原案を隠しながら、その一方で自らの仲間である官僚たち、各省庁には原案を示して意見を聞き念入りに根回しをする。こうして法律は官僚の思うままにつくられていくのだ。したがって法律は国民のためにつくられるものでなく官僚に都合の良いようにつくられていくのだ。
かつて私は米沢市のある部門の諮問委員に選ばれたことがあった。はじめの会合で数10ページもの書類を渡されこれで諮問せよと市職員が言う。そこで「これだけの諮問する書類があるのであれば、目を通す時間がほしい。いまこの場で読破して意見を求められても出来ない相談だ」として、次回から会合には出席せず諮問委員を辞退した。
役人のやることはいずこも同じで、いかにも広く各分野からの意見を集約したようなパフォーマンスで責任を回避しようとする。はっきり言えることは、役人が企画した通りに運営できるよう諮問委員の指名選択はイエスマンだけに限られているということだ。

日本にもある勝ち組とは

2004/02/26 (Thu)
勝ち組は北朝鮮だけの事象ではないらしい。事実、財務官僚の蓄財の動きはまさしく勝ち組たらんとする謀略である。財務官僚は税収に関して吝嗇であるのに、自分たちは退職金を沢山貰い、天下りを繰り返すたびに巨額な退職金を受け取って税制の恩恵にたっぷり浴している。その税制とは源泉徴収制度である。この制度は1940年に始まった軍費調達を捻出するためにヒットラーがはじめた税制を東条首相が真似て導入したものだ。
以来、いまだ続けられていて財務官僚の蓄財を助けているというわけだ。「日本の官僚はタカリ集団だ」それを可能にしているのが400兆円を超す財政投融資だ。財役で特殊法人や関連法人を沢山つくって退職金を貰い、優遇措置を受けて蓄財するのだ。ちなみに中央省庁の官僚は、50才をすぎた頃に一人が事務次官に昇進するのを機会に同期の者は皆一斉に退官する。
彼らはその後20年間にわたって出身省庁から「世話してもらう」つまり、2-3年ごとに天下り先を世話してもらうのだ。天下りする度に退職金が入る。だがだれも退職金の異常優遇税率を追求しない。官僚出身の国会議員は全国のおよそ3割りを占め、その多くが自民党だ。彼らは自らと古巣の同窓生が恩恵を受けている制度が、いかに国民にとって損失であろうとも問題提起はしない。野党もしない。彼らは官公庁労に支えられており、これまた口をつぐんでしまう。
かくして悪癖ははびこりつづけてられていくのだ。これでも日本は先進国だとして誇り得るだろうか。

掲示板(野次馬)氏に答える

2004/02/25 (Wed)
時代の流れには安穏と過ごせる時期もあるだろうが、反対に存亡の危機もある。米沢市の財政はまさに米沢市存亡の危機にあると捉えるべきであろう。 筆者は単に市職員の給与を下げるべきだとは言っていない。税収も望めず地方交付税も減額という時に、総務費(職員給与・社会保険負担費を含む諸費)を前取りして、残りが少ないからといって市民サービスの低下やむなしの結論はあまりにも知恵のない話ではないかといっているのだ。窮乏の時期は痛みを分け合って耐えるべきだと言っているので、市職員の給与も市民全体のレベルで考えるべき時期ではあるまいかと考えているのだ。それは私だけの意見だとされるのであれば一笑に伏して結構。官に手厚く民に厳しい制度はまさに後進国の評価であり、断じて日本は北朝鮮化すべきではない。 貴殿の論調には「慇懃で仕事の出来ない人もいる。優秀な人材で仕事のできる人には十分な給与体系を」とある。それは一般の事業所で現に査定され実施されているが、貴殿の仕事が出来る人とはどんな職員のことだろう。茶を飲み隣人と世間話をかわしながら出来る仕事は一般企業には見当らない。市民課のカウンターでは、 女性雑誌を隠し読みしながら市民を待つ職員の朝まだき姿を見る。カウンターは市役所の顔である。公僕の意識と粛正が足らない。
官僚天国あいも変わらず

2004/02/25 (Wed)
昔、士農工商、いま官政公民の時代であり、いつの世も庶民は農民のごとく報われることの少ない税負担者の地位に閉じこめられている。今朝のテレビは消防庁の幹部が無料で住んでいる豪邸を問題化して報道していた。が、消防庁はインタビューを拒否。相もかわらぬ官僚高官の無駄な待遇に問題がある。ちなみに官僚官舎の近くに第一線で活動する消防士の寮があって、一部屋に二人が同居する狭い寮である。
同行した不動産鑑定士の賃貸家屋の場合の算定によると、どの官舎も月額40万円はくだらない家賃価で、日本庭園つきの長官官舎はナント月額400万の賃貸評価が出る始末だ。報道陣にかぎらず唖然とする官僚待遇である。
年金事業団が投資して建てたグリーンピア構想は、国民が老後のためにと考えてせっせと厚生年金や国民年金を積み立てたものだ。その積立金を政府はこのうえなく無計画に国民の虎の子の年金資金を使い散らしてしまったのだ。
その責任の所在も問わないうちに年金の支給率云々を取り沙汰している。官僚の感覚にはすでに失敗した責任の弁解すらもない。厚生省所管の特殊法人、年金福祉事業団が1980年に開業した大型保養施設だ。全国に13カ所ある「グリーンピア」はことごとく失敗におわって売出しされているのはご承知の通りだ。
こうして年金の積み立て金や税金は渡り官僚のドル箱化され、無駄使いされて消えていったのだ。官僚には反省もなく次なる餌を求めて渡りを繰り返していくことになる。こうして官僚と政治家の国民不在のもたれあいはつづけられていくのだ。ここまでされて怒らない日本人は世界中から「無能扱い」されはしないのだろうか。

女尊男卑時代に生きる

2004/02/24 (Tue)
男女同権が叫ばれて久しいが、とみに強くなったのは女性パワーのようだ。政治家は女性票の獲得こそが当選のカナメだとして、女性票の獲得に必死であることを見ても容易に理解できるというものだ。肝心カナメの女性群に問いたい。浜田広介氏は詩で「強くやさしい男の子 やさしく強い女の子」と、性の望まれるべき特性を表現されている。近年、特に若い女性の希薄な行動に日本国の未来が象徴されているようだ。まず、家族の生活を支える家庭料理ができない女性が増えているのは事実のようだ。不洗米などの出現もあって困ることがないだろうが、いまでは「米をとぐ。」という用語は死語となったらしいが「ご飯を炊く前に米を洗う」と教えると「洗剤を入れて米を洗う女子大生が必ずいる」と呆れたように話す。
そこで調理の味つけ用語「さしすせそ」を女子大学生に聞いたところ「せッて何だろう。洗剤のことかも」「おとし蓋ッてどんな豚肉かな」「湯でこぼすッて沸騰したお湯をこぼれるまで放ッとけばいいの」とのたまう。
ちなみに「さしすせそ」は調味料の入れる順序だ。「さ」は砂糖、「し」は塩、「す」酢、「せ」は醤油、「そ」は味噌のことである。普通の男性でも知っていることを若い女性の多くは知らないのだ。知らないということに違和感すらもたない女性が多いのも事実のようだ。ところで、若い女性ドライバーたちの社会性の欠如にヘキレキさせられる日常である。道路に雪はないが路傍は除雪した雪の瓦礫で道幅が狭くなっている。対向車同士が道を譲り合えばいいものを、多くの若い女性ドライバーは銜えタバコでスピードも落とさず突進してくるから慌てるのは日常茶飯事のことである。雪で片目同様の車もあって危険きわまりない。年配男性の場合、狭い道をすれ違う場合たがいに挨拶をかわして感謝の心を示すのがなりわいだが、若い女性ドライバーにはそれが皆無だ。このように社会性の欠如と倫理感の不足した女性も未来を背負う子供たちを産むのだろう。かつて「女子大学生亡国論」を唱えてひんしゅくをかった某大学教授の末来感に賛同しなければならない現在の女性観ではある。
男性が求める永遠の女性観とは、昔も今も変わらぬ「心のやさしさ」に溢れた大和撫子こそが男性の活力を生むのである。無論、己れを棚にあげた理想の女性観である。

雲丼鎮魂祭りに参加して

2004/02/23 (Mon)
二度目の参加であった。降る雪もなく夕映えの斜平山を借景として雲井の墓石は常安寺に建立されている。「義雄院英心常英居士」碑を囲むようにして、こぶしの芽が遅い春を待ちかねるように膨らみを見せている。住職の読経がすすむ間、70余名の焼香が行なわれ郷士の英傑に鎮魂の祈りを捧げた。墓前の吟詠「客舎壁」は龍雄の詩人革命家としての迸る気概をほうふつとさせるもので、新政府転覆をめざした龍男の傑作だが、通釈には手心が加えられていたようだ。龍男ゆかりの縁者は龍男の反逆罪を認めようとせず無罪を証明しようとしているがそれは無理というものであろう。新政府の非合法活動をしている薩長出身者に憤慨し「討薩檄」を作成して東北各藩に送達したことは知られている事実だ。歴史家にとって異議はあるだろうが、龍男が斬られたのは小伝間町の牢内である。
小生、劇作家として初めて舞台専門誌に掲載されたのが雲井龍男捕縛前夜「白布峠の雪」であることから、龍男を小生は文学的にとらえてきた。
龍男の首を落としたのは山田浅右衛門の孫吉亮十七才である。龍男は二十七才の若さで小伝間町の土壇場の露と消えたが、米沢市は詩人革命家の存在に誇りをもって然るべきであり、龍男無実論はあまりにも米沢的で女々しくはないだろうか。
科書(とがしょ)が読み上げられ同志の原一鉄、三木勝、大忍坊、梁瀬勝吉、浄月坊らが次々と処刑されたが、まず龍男が最初に土壇場に向かっておもむいた。五尺そこそこの小男である。吉亮はこう述懐している「全身から溢れる精悍の気は、苛酷な拷問に耐えてきたのもさこそと思わせるものがあった。全身の鍛えぬかれた筋肉は刀をすらはじきかえすような気迫があった」そして吉亮は「掛縄を切って差し上げなさい」と言って九寸五分の小脇差で掛縄を切る。龍男はにっこりと笑い「忝ない。拙者は雲井龍男と申す者、冥途の土産に御尊名をうけたまわりたい」「山田浅右衛門吉利が三男、同苗吉亮、当年十七才にございます」「おお、お若いのになかなかの御挨拶。ご造作をおかけする」「なにか言い遺されるお言葉でも--」「いや、いまさらありません。ただ、お差し支えなければきょうの刀の銘を--」「備前岡山の住人、東多門兵衛尉藤原正次、二尺一寸五分をたずさえて参りました」「さすがでござる。そこまでのお心づかい、重ねがさね痛み入れます。では、見事、お願いつかまつる」「かしこまりました。お心置きなく」龍男は莞爾として正面を向き、みずから首を差しのべる。吉亮は目を半眼にとじて「諸行無常 是生滅法 生滅滅己寂滅為楽」と結んだとき龍男の首が落ちた。
明けて明治四年元旦から斬首刑にかわり絞柱による絞首刑になる。龍男らの処刑に先立つ二十日に太政官は新綱領を発表し二十七日付けをもって全国の藩に頒布していた。龍男は最後の斬首処刑者とされたが、新政府はいかに雲井龍男の存在を畏怖したことかが証明される。

米沢藩は敗者の歴史

2004/02/22 (Sun)
置賜の歴史をみると、すべてが敗者の歴史である。関が原の戦さに破れ忠臣蔵の世論に泣いた。さらに維新には奥羽列藩同盟ゆえに敗北し辛苦を舐める歴史だった。考えてみるがいい、海に縁のない山国から多くの人材が海軍軍人となって海に消えた。それはなぜだ。郷土の先人に泥ぬるつもりはないが、戊辰戦役で官軍の長岡攻略がおわり、会津に攻撃の矢が向けられ最後の合戦場となった戸のうち原に、米沢藩が応援にきたと知った官軍は攻撃を中止して米沢藩の出方を見守っていた。色部指揮する米沢藩は十六水門橋に出向いて雷筒を放ち「義理は済んだ」として引き上げたのだという。
長州藩の米沢藩に放った檄は「その所業武士にあらず、未来永劫政治の枢軸に登用させるべからず」。米沢に「滅びの美学」はない。上杉の亡霊だけが今もってまとわりついている負の歴史をもつ町の認識が足らない。
歴史的な背景から考えてみると、暴論になるかも知れないが米沢の優秀な人材の多くは軍人となったが、その多くは海軍であったことを考えると戊辰の役に長州が吐いた言葉は米沢藩抹殺の檄だとしか思えてならないのだ。

市町村合併問題から

2004/02/22 (Sun)
安部市長は選挙時の公約だとして、合併問題を市民に考えてもらうとして広くアンケートを企画しているが、ナンセンスもいいところだと考える。報道によると長井市・南陽市・川西町・飯豊町の2市2町の合併検討協議会の合併担当課長会議が開かれ、事務レベル協議がスタートしたとある。
米沢市は当初、川西町との合併を策定したが、川西町議会の反対によって頓挫し、長井市を含めた策定にも長井市議会の反対で再び頓挫したはずだ。
合併問題は頓挫であって座礁ではない。相手に嫌われた以上、米沢市は他市町村との合併を白紙にする以外に手はないはずである。それともいつまでも合併特例債に未練をもってチャラチャラするのはあまりにも未練がましい。
置賜の中心である米沢市が大同合併論を展開して「おきたま市」の大構想を策定しなかったことに禍根を残すことになろう。

2/21の米沢新聞より

2004/02/22 (Sun)
市民注目の「児童扶養手当誤支給問題」に担当者の処分が決定したとある。戒告処分は3人、訓告処分は5人とある。さて、処分の戒告。訓告とはどのような処分なのか広辞苑でしらべてみた。戒告「いましめること。行政上、義務不履行の場合に一定期間に義務の履行を催告する通知。公務員の義務違反をいましめる処分」
訓告「教え告げること。いましめ告げること」とある。
さて、実際に行政で行なう処分とは具体的にどんなものだろうか。報道によると昇給延伸3か月、勤勉手当ての減額のようだ。
庶民感覚からすれば、市職員の給与を全体的に減額して米沢市の財政建直しに寄与するのが本筋だと承知していたところ、まだ市職員の給与は上げるという不埒さにただ唖然とするばかりだ。さらに勤勉手当てを減額するようだが、ここでいう勤勉手当てとは民間でいうボーナスに充当する手当てのことだ。
市職員にかぎらず仕事は勤勉であることが常識だから、あえて勤勉手当てとはおかしな話。市職員全員が勤勉であるとして一様に手当てを支給されるのはおかしな話だ。小学生から段階評価が行なわれている時代に、公務員等しく勤勉評価はないだろう。勤勉でないと思われる市職員の実名を市民からあげてもらうしかあるまい。

難病に被患しないために神様の食事を

米国人の保養地カンクンで見た不健康

2004/02/21 (Sat)
昨年、業界の世界大会に招かれてメキシコの南端に位置するメキシコ政府が開発したリゾート地カンクンに旅した。カリブの海とメキシコ湾に囲まれ、世界中の著名なホテル群が立ち並んだマンググローブ繁る保養地である。驚いたことに、デフデフのアメリカ人たちの保養地でもあるかのような異様な1週間を過ごしてきたが、ボプサップをうわまわり、まるで屋久島の大杉の群落に舞い込んだような錯覚にさえ襲われたものだった。男だけでなく女性も丸太のような腕を出してポンドステーキに食らいついている様は、まさにガリバーの世界にワープしたような気分だった。天を突くような男女が手をとりあった様は許せるとしても、あのデブデブした脂肪の固まりには閉口した。
米国政府は現在、大腸ガンの発生に対策として米国ガン予防研究財団はガン予防15カ条を提唱してその20年の研究結果から「野菜や果物にはビタミン以外に重要な植物活性成分がありそれを摂ることによってガンは予防できる」として潜在酵素の活性化持続を推奨している。さらに人間の病気の発生は食物に熱を加えることによってはじまった。と、されている。が、これまでの食生活をいまさら簡単に変えられるとは思わないが、理屈抜きに体質を改善しなければ今後、ますます寿命が短くなる。と力説するのはアメリカのベストドクターに選ばれたリチャード・ディボス博士だ。簡単にいえば「過酸化資質を取りのぞいてサラサラ血液をつくる」という努力を米国あげて努力しているのだ。
デブデブの過剰な脂肪男女を見て、棺桶のサイズと棺桶を持ち上げる人の数を考えながらカンクンの地を後にし農耕民族である幸せを噛みしめたものだ

清里から消えた六本木の怪

2004/02/21 (Sat)
かつて美術館運動を行なっていた12年間の中で2度市民の有志と清里を訪れたことがあった。清里は長野県境にそびえる八ツ岳の麓にあって高原野菜で知られる野辺山がすぐ隣村である。戦後、引揚者が開拓した高原地だ。
人里遠く離れたその地は高原列車で名高い清涼な地で、山また山の中に東京の六本木かと見まがうような若い女性向きの都会が目前に展開する。
街の周りには百恵夫妻経営のペンションをはじめ欧州風に彩られたペンション群が取り囲んで、若者にはとっておきのパラダイスだったといえるだろう。
当時は無論若者たちに交じって観光客でゴッタ返しする繁盛の地だった。
あれから10年を経て、テレビは商店街の無残な残骸を映し出していた。その原因を報道は伝えなかったが、バブル期の落とし物であったろうと推測しているが。
見た目はいかにもカラフルだが、原色の強い底の浅い商品だけの羅列だったように思う。南太平洋の島々では原色も映えるだろうが、やはり高原では中間色が似合うような気がしていた。
同行した人たちは買物好きな人が比較的多かったものの此処での買物はなかったようだ。場所を考えた商品の選定の難しさを乗り越える英知がその街を繁栄させる基礎なのであろう。

置賜地方に広がる売春システム

2004/02/20 (Fri)
以前、米沢市の2つの病院職員と1つの銀行女子行員で組織するいかがわしい組織があった。応じた女子行員がヤクザに写真を撮られ、銀行が恐喝された事件があったが、支店長の左遷によって闇の中で解決され離散した事実があった。が、こんどは置賜地方に斡旋する闇の事務所があるという。事務所経由で利用し家をおん出された婿殿の話だ。応じる若い女性は置賜地方にもいて足らなければ山形・仙台からも応援にきてくれる態勢がとられているという。いずれも普通家庭の子女だという。交際料金が安いから便利だったと婿殿はいうが。
数年前、明らかに女子高校生からだと思うが「2時間だけアルバイトをしたい」という電話を受けたことがある。「そんなアルバイトは要らない」と断ったが、あとで友人にそのことを話したら「2時間とはモーテル時間だよ」と笑いとばされてしまった。気のおけない他の商店主に聞いてみたら「オレのところにもきたけど断ったさ。そのすじの電話は有名だよ」
文部科学省の「青少年の意識調査」で、日本人の性にたいする意識の低さを合わせて考えてみると、わが置賜にも性の乱れが蔓延する日が近づいているようだ。

公僕とは?奉仕するとは?

2004/02/20 (Fri)
岩波書店刊広辞苑によると「公僕とは?」公衆に奉仕するの意。公務員などの称とある。それでは「奉仕とは?」つつしんでつかえること。献身的に国家・社会のためにつくすこと。商人が客のために特に安価に売ること。と記載している。この言からすると市の職員ははたして市民につつしんでつかえているであろうか。市民サービスを第一義として活動しているであろうか。しかも、奉仕の精神をもって機能的な活動をし、かつまた総務費用を安価に押さえた上で活動しているであろうか。
税金の大半を総務費用として使い、わずかに残った予算をもって市民サービスにあてるとは言語道断。たしかに民間企業の年収が高い時期がつづいた。しかし、時世とともに給料が半分に減額された銀行員も現実にはいる。
米沢市は経済的にはもはや死に体の市だ。一般企業なら倒産していてもおかしくはない情況にあるではないか。助役が止め、市長が退職し収入役・教育長まで退職するという夜遂げ同然の逃避行きはあまりにもみっともない責任逃れとしか思えない。
公僕の項には責任の追求・逃避行禁止の縛りは記載されていない。が、戦時中は戦前離脱は極刑であった。
第一中学校には「自由の快翼を張り、責任の重荷を負う」と時の天野文部大臣の書がある。当時、三年生であった小生も在学中に天野文部大臣の講演を木造体育館で受けたものである。「自由に予算を使いきり、責任の重荷をさけて逃避する」これが米沢市の痴態だといわずして何んという。

中央商店街の開発はどうなる

2004/02/20 (Fri)
はじめ熱心な動きを見せていた武田誠県議と山田鶏卵社長が周囲に土地をもつ庄司氏を仲間に組入れて「県が借り切るアパート構想」を画策していた。無論、欲にくらみ県の補助金目当ての構想である。企てから庄司氏は抜けたがいまもって意気軒昂な山田鶏卵社長はあきらめていないようだ。
一方通行の解除には20m幅員の道路が必要になる。大沼の通りを真っすぐに拡幅すると共立ビルの補償が莫大になる。そこでお祭り広場をかけて緩やかなカーブ状態で線引きすると問題の山田ビルが補償の対象になるという具合だ。
市の構想をいち早くキャッチできる立場にいる武田誠県議の触手が働き、黒い画策が問題となっているようだ。大沼が事業から撤退したことによって億の税金が無駄になったが、以前「大沼の出店はありえない」という小生の意見に前市長は「オレが大沼の社長と約束したんだ」と言い切ったが、大沼の事情から事業参加はありえないと信じていた。
仮に大沼の出店があったとしても肝心の商店主は保証金をもらって仕事を止める考えの主が多いのだとも聞く。ふざけた話だと思うが開発負担金に耐えられる商店主が少ないこともあるらしい。当該商店街は昔は市役所・警察署・税務署・会議所の門前町として特別努力しなくとも栄えた街ではある。
加えて有名靴屋が出店し4つの大型店が建ち並んで米沢市の一等地とだれもが羨んだ。陰りは10年後におとずれただけである。ジャスコの解体ファミリーデパートが吸収され客足が極端に減りはじめ、共立ビルの有力テナントが抜け出る至って事実上商店街が自滅してしまったという流れがある。
自浄努力もしないで米沢市の中央商店街だと自認しながら行政の手助けを待つという姿勢に共感はない。これ以上、あの街に血税を投じるのは無駄でしかないと思うのは小生だけだろうか。闇の暗躍が活躍するだけの街並みだ。

修身が教えたトップの心得

2004/02/19 (Thu)
戦前戦中の小学校には「修身」という科目があった。その中で勤労と勉学を同時に果たした二宮金次郎があり、嘘をつくのはよくないとした狼少年の逸話などを学んだ。中でも仁徳天皇の竈の煙が印象的で60年を経た今でも鮮烈に覚えている。大和朝廷の統一がすすむ以前の小国家時代に16代天皇として仁徳が即位。天皇は館から村をながめ、家々のかまどから煙が立ちのぼっている風景を見て「この村にも平和が訪れた」と、ことのほか喜び安心したという。あの帝国主義時代に修身という科目を通して小学生にさえ「上に立つ者の心得」として日本人の心の教育をしていたものである。 敗戦後、新生日本の教育だとして古い制度や教育方針を廃棄してきた。崩落した戦後復興のためとはいえ経済至上主義が最優先され、教育の退廃と学歴偏重社会を産出した。「国旗や国家を認めない国」として誇りさえも失って平常心の教師たち。戦勝国おしきせのPTAなるものの運用は父兄が拠出した会費を教師たちが都合よく使うという組織が現実のPTAという姿なのだ。昔ならば生徒の前で醜態を曝すなどの行為は一切なかった教師だったが酔いにまかせて「オレ達だって労働者だ!」と、のたまってマナーも低下する一方だ。
高校生に「タバコを吸うな」と厳しい処罰を言い渡す職員室に乗り込んで、「生徒にタバコを禁止させたいならば、先生も学校でタバコを吸うのは止めるべきだ」と抗議したことがあった。多くの教師は「オレたちは大人だ」といわんばかりの態度でせせら笑ったが「キミの言う通りだ」と納得して禁煙を通した教師は、後に北海道大学に教授として招かれて行かれたが忘れがたい恩師だった。現在、度を越した教育の退廃に英断をもってナタを振り下ろすという英知もなければ勇気もない。
国家の宝はリリシズムあふれる教育を身につけた人物であろう。他人の痛みを分かち合える豊かな心をもつ群像こそが終身教育の目的であったはずだ。
今、早急に復活させるべきは修身の教育であろう。坂道を転げおちていくような教育の悪化に憂いを残しながら人生の終焉を向かえたくないものだ。

傍観者氏に答える

2004/02/19 (Thu)
2月16日付ネットに載せた「官僚よ計算を忘れていやしませんか」に対して傍観者氏から反論が寄せられ、ありがたく拝読させていただいたものだ。氏が言われるのは「何を基準に公務員の給与や職員数を半分にしろというのか」という反論であった。無論確たる基準というものはもたない。あえて自分なりの基準を申し上げれば、現在の社会的事情または風潮を基準として考えて異論はないと判断するものだ。
たとえば民間企業なら借入金が年商を超えた時は倒産を免れず、そこに至る以前にまず行うのは人員整理と人件費の削減であることは常識である。
社会保険の半分は市民の税金負担によるものであり、生産性のない市役所職員がボーナスを当たり前のように受け取っている意味がわからない。本来、賞与の性格は生産性によって左右されるもので当然その支給額が固定されている趣旨のものではあるまい。不況で税収が見込めない現象とは会社や商店で売り上げが減少することと同じ理屈である。官僚・公務員に見られる「はじめにわれありき」で総務予算の減額を計らないのはあまりにも独善的で時代錯誤とも思える甘えの構造の上で仕事をしていると言いたいのだ。自らが公僕と自認するならば公僕が受けるべき待遇とは平均的市民の収入を上まわるような待遇ではないはずだ。ちなみに人員整理により次の就職口をハローワークに求めた場合、30~40歳で年収約200万・退職金は期待できないのが現状である。
又、公務員の労働効率の悪さは国民周知の事実であり「民間に出来ることは民間に」というのは国家の方針でもある。そこでNPO等に業務を委託する考えを早急に具体化し市職員の数を減らす時期にあると考える。
私個人の考え方を述べるならば、だれがどんなに高額な収入を得ようと私には関係のないことで別に羨むことではないと思っている。が、市民の大方の見方は以上のような考え方をしているということだ。
傍観者氏がいみじくも喝破しているように「つまらない公務員もいる」という事実を自ら是正すべきであると思いは至らないものだろうか。

なまはげ伝説に異議あり

2004/02/18 (Wed)
三十年も前のことになるが、一度だけ男鹿半島を旅したことがある。季節もなまはげが活躍する時期だったと記憶している。歓迎の意味で宴会の席に秋田の市長さんが出席されていた。
会場ではなまはげの実演があって宴席を盛り上げていたが、実演が終わったところで市長さんになまはげの由来を聞いてみた。
市長さんは「いろんな説がありましてね」と困った様子だった。
そこで「なま はげの由来は、ロシア船が難破した折りに男鹿半島に辿り着いた漁民ではありませんか?」私の勝手な空想に市長さんが痛く感激され、以来、なまはげの伝説由来として、ロシヤの漁民説が伝えられている。 通常、市長たるもの一介の旅行者の意見などはあしらって聞く耳をもたないのが普通だ。だが、秋田の市長さんは私の見方を納得したらしく、瞬時に採用してくれたものである。
調子にのったわけではないが、名物秋田音頭のリズムにあわせて即席秋田音頭を披露したが、翌年の文芸春秋誌に名前は忘れてしまったが某作家のエッセイが掲載されていた。
滑川温泉の宿でそのエッセイを読んで驚いた。秋田音頭の新作だとして、男鹿の宿で歌った即興秋田音頭がそのままそっくり載っているではないか。
そういえば年増の芸者が「いま歌った音頭を教えてくれろ」と記録していったことを思い出した。旅の恥はなんとかというが。

日本の高校生の低い性差意識

2004/02/18 (Wed)
高校生の生活と意識に関する調査」として文部科学省所管の財団法人一ツ橋教育振興会と日本青少年研究所が、昨秋4ケ国1000人のアンケートをとったその報告である。「女は女らしく」について、28.4%(日本)58.0%(米国)71.6%(中国)47.7%(韓国)で、ダントツ日本は低い意識が目立った。
「男は男らしく」の調査では 43.4%(日本)63.5%(米国)81.1%(中国)54.9%(韓国)であった。
「結婚までは純潔を守るべきか」については 33.3%(日本)52.0%(米国)75.0%(中国)54.9%(韓国)で50%をわったのは日本だけという結果だった。
「次の行動は本人の自由か?」という問いについて
◆学校をズル休みする ◆親に反抗する。先生に反抗する。は他の3ケ国に比して日本が突出して肯定しているという。笑ってすまされるような問題ではあるまい。日本は滅びの坂道にさしかかっているようだ。

議員年金廃止法案提出のいざこざ

2004/02/18 (Wed)
民社党の若手議員河村たかし氏による「議員年金廃止法案」の提出をめぐって国会内ではそれぞれの思惑が交叉しているようだ。提案者河村議員は「議員年金の70%は国民の税金で賄われている。10年間議員を勤めれば年金額は、年額412万円それに比して国民年金は40年支払って年額70万円そこそこだ。おなじ国民年金でありながら明らかに不平等の謗りはまぬがれるものではない。年金は国会が決定する。その国会議員が国民年金の額において、国民全体が受給する年金の6倍の格差は見苦しい。われわれは公僕であるはず、本来ならば年金の額にして国民全体の受給を下まわってこそ当然だ。ここで格差是正に努力しなければ国民の議員ばなれは食い止められなくなる」と、一年前から運動を重ねてきた河村議員だ。これに対して「国民の人気とりだ!」「自分だけ辞退すればええ!」「総理大臣になる人だ!」などのヤジが飛びかう。まず、社民党と共産党が反対意向を示す。自民党は困惑「議員年金が廃止となれば老後の生活が苦しくなる」と本音を洩らす自民・民社党議員もいる。河村議員は力説する「老後の生活が苦しくなるというが、国民はそれで生活しているのですよ。議員年金を廃止して国民全体が同じ年金で生活すべきで、そうしてはじめて年金問題に力が入るのではないか」河村議員の意見に賛同する若手議員26名で議案を提出するという。が、国民期待の不平等年金に国会のメスが入るのかどうか。凝視する必要がある。

官僚よ計算を忘れていやしませんか

2004/02/16 (Mon)
国民にとってうれしくない日々がつづく。高橋県知事は「本年は税収不安と地方交付税の削減で県の財政は厳しく、県事業も減らさざるをえない」とのたまっている。歳入が減るのであれば まず職員給与を引下げ、経費をおもいきりカットすべきである。おかしいのは全予算から、まず給与や経費を確保し、残りが少ないから事業が出来ないので県民サービスを劣化させざるをえないとはトップの考えることだろうか。
時世にそぐわない職員給料と職員数だ。ここにテコ入れしないで県民サービスを減らすはないだろう。県民が主役の山形県だ。県民とは税金を集めるだけの「歩」でしかないのか。不況のさなかであることを承知しているなら県民ともども一様に痛みを分かちあうべきだ。
米沢市も同様に市職員の給与を減額して市民サービスを最優先させるのがトップの使命であるはずだ。職員の給与は首長の裁定で出来るものだ。おもいきって職員給与や議員報酬にメスを入れ、嫌だという職員には退職してもらえばいい。なにも大胆な意見ではあるまい。これだけ公務員と一般勤労者との間に格差が出てきたのでは致し方あるまい。市民ならばおなじ痛みを共有すべきてあろう。かりに職員の給与を半分にすれば年50億の予算が使えることになる 税金のすべてが職員の給与では、どんな事業所も成立するものではない。給与のほかに高い社会保険料の負担もある。一般の会社では保険料の重い負担に耐えかねて、正社員制度をなくし脈遣社員を採用する会社が殖えている現実をなんとみるかだ。
官僚国日本といわれて久しいが、官僚とは常に「はじめに我ありき」で、給与・経費を確保し、差し引き勘定のあとで事業の規模を考えるのだ。これはガキの論理でガキでもできる低級でお粗末きわまる計算というものだ。とても東大卒などの高学歴をもつ人が考えることでもあるまい。
まず市民、県民、国民のサービスを第一義と考えよ。わが国は北朝鮮でないのだ。が、国民格差は広がるばかり。官僚よ、歴史が証明するように腐敗は官僚からはじまっていくのだ。山紫水明の日本国にも、心の砂漠化は急激にひろがりをみせている。

死にたいと云いつつ今日も薬飲む

2004/02/15 (Sun)
お互いに どちらが先かと 思う老戦友の 賀状今年は 五枚減り
風邪ひけば もうあの世かと 先走る
とり換えの 部品が欲しい 老いの坂
肘折温泉の湯治宿でみつけたものだ。「老人選句」とあり、老いの客が投稿したものだ。「下を見て暮らせと上にいるつもり」これは全国民が中流意識を自覚した頃の句か。「老いらくの恋は呆けない良い薬」と意気盛んな句もあれば、「咳ひとつするにも嫁はうるさがり」とすき間に生きる老いもいれば「残り火を燃やして見たい人に逢い」となかなかの強者もいる。「湯の煙 老妻の背も色香あり」「いると邪魔いないと淋しい老いの中」「二人して並びたかった金婚式」「老いて知る夫婦の絆その深さ」「離婚まで考えた城まだ守り」「見るだけの妻となりたる五月かな」と老いて知る夫婦の情感がたまらない句だ。「やれやれと思う時には邪魔にされ」「農はいや土地は欲しいとよくぞ言う」家族の中身がわかるような句もあるが「ケチケチと貯めて六文銭持たせられ」老いは淋しいものだが、妻にたいする愛情は深まるものらしい。

冬咲きの牡丹展

2004/02/15 (Sun)
高畠駅広場で開催している「冬咲きの牡丹展」を見物してきた。遠く島根県の温室より取り寄せた鉢植え牡丹を雪の駅広場に展示しているものだが、春の牡丹と違って一味も二味も風情のあるものだった。
もとは春咲きの牡丹の鉢物だが、夏に冷蔵して眠らせ秋に芽を出させるという季節を人工的に作為したものだ。高畠町のカセ鳥を思わせるような藁で囲いをつくり、鉢が見えないようにこれも藁を敷き詰めて雪の花台も覆っている。
藁のツトの中に囲われて電球が仕込まれているから、夜は一段と幻想的な展示となるに違いない。
米沢市は恒例の「雪灯篭まつり」が開催されている。上杉公園の土手に掘られた雪洞のオレンジの明かりが何とも美しいものだ。雪で造形された灯籠よりも、いかにも雪国の情緒をほうふつとさせる童話の世界で楽しめる。
雪害を逆手にとった雪国の人たちの創意はすばらしいものだ。

農協の体質は変わらないのか

2004/02/12 (Thu)
一通の電話が舞い込んできた。「農協は癒着体質から一歩も脱皮しようとしていない」という告発の電話だった。告発によると、JAおきたまの広幡支所が合併によって空き家になっている。それを改装してJA経営になるディサービス施設として活用することになったが、改装請負業者の選定をめぐる会議(経営管理委員会)が1月23日に行なわれた。席上、発注を担当していた須藤某から「今回の改装請負業者は特命随意契約として太田建設に決定してもらいたい」と発言した。常日頃から太田建設とベッタリの須藤発言とあって「それはならない、規約に則って入札で決定すべきものだ」の反対意見によって、28日現説、中1日おいた30日が入札日と決まった。正当な入札を望むのであれば、入札日まで中1日というのは業者にとって至難の業であった。が、結果は後藤組の落札となった。
が、ここに疑問があるのだという。1月23日の役員会当日には太田建設作成のエズラまで揃っていたのだと告発する。だから告発者は表向きは後藤組落札となっているが、太田建設との裏工作があったと力説するのだ。JA職員による多額な横領事件が発覚し、JAおきたまの信用がガタ落ちしている反省もなく、須藤某のような一部業者との癒着によって農協本来の信頼に傷がつき過ぎる。自浄努力を今重ねていかないとJAの未来はないと嘆く告発だった。考えてみれば農協にまつわる黒い噂は絶えないのだ。

あきれた官僚天国日本

2004/02/12 (Thu)
中央官僚の腐敗は日々報道され、滅びゆくわが国の未来を暗示させている。こんどは警察官僚による裏金づくりの体質が明らかにされようとしている。槍玉にあがったのは北海道警察の旭川中央署。
裏金づくりの手口は「旅費のピンはね・捜査報酬費の偽造」などによるもので、それらをプールして、署長の交際費・餞別・冠婚葬祭費・ゴルフなどの遊興費にあてられていた。
これらは内部告発によって明らかになったものだが、元原田旭川警察中央署長は警察官僚の腐敗を防がねばならないと自らテレビ出演して実態を語った。「私は月5万円を交際費として貰っていたが、今考えてみると慚愧にたえない。裏金の手口で大きいのは捜査協力費・情報提供者に対する報奨費の領収書偽造だ。
警察には捜査に協力してくれた人を対象にした報奨費が払われることになっているが、実際には偽の受領証を作成しその金額をプールするのだ。したがって、受領者に直接取材するとほとんどの人が受領していない空の受領書であることが判明した。受領書の名簿は電話番号帳からランダムに選ばれていた。警察官僚たちが編み出した末端まで警察関係者が知っている事実だという。
これに対して北海道警察本部長は内部文書に目をそらして「警察にその事実はない」とキッパリ否定。悪を取り締まる警察が国民の血税をくすねているのだ。これは氷山の一角に過ぎない。全国の警察が同じ手口で税金の私物化を計っているのが実情らしい。滅びゆく日本の一角をかいま見る報道である。

女性4人に1人が献血お断わり

2004/02/10 (Tue)
恐ろしい世の中になったものだ。厚生労働省の発表によると、昨年度の献血希望者は44,055人の中6,310人が血液検査の結果、献血不適格者が出たという。内訳は男1,441人対して女性は4,869人、ダイエットによる鉄分の不足が主な原因だった。血液の比重が下ると貧血が起こりやすい。偏食が第一の原因。
血液の比重は水を1とした場合の血液の重さだ。赤血球の数が多いほど高くなる。赤血球の仕事は酸素を体の隅々まで運ぶ役割をする。日本人の血液比重の標準値は男性1.952-1.060、女性 1 .049- 1.056。普通の生活をしていれば献血不適格者などでないはずだ。
スラリとした肢体に憧れる女性心理は理解できるとしても、表面だけに気をとらわれて肝心の内面の身体的・精神的健康を心がけないような女性では、聡明な男性には縁のできるわけがない。まず、人生なんといっても健康が一番。せめて血液だけはサラサラと春の小川の流れるように保ちたいものだ。
蛇足だが、サラサラ血液にするには野菜や果物を大量に食べ、甘味を押さえたケーキなどはなるべく遠慮したいものだ。サラサラ血液の決定版は深海サメでも「アイ鮫の生きた肝油」が最高だ。残念ながら東北での発売は3月頃になる予定だ。学術的な分析ではアイ鮫が最高でしかも研究所まで生きたまま運んでくるという条件がある。
それには世界で3艘しかない専用を使用しての開発らしい。生きたままのアイ鮫の臓肝の油には現代の魔法が住むというからかごいものだ。小生と家族はいち早くサンプルを食べその効果に驚いているところだ。受験期にある勉強中の人には最適だ。「目が疲れない.集中力がつく」利点があるからだ。

赤ちょうちん、会議の時より意見でる

2004/02/10 (Tue)
重要な会議ほど罐ビールを飲んでやるという意見はどうだろうか。会議で意見がでないのは意見がないからでなく意見を吐くと責任をもたされるという恐れがあるからに違いない。常にサラリーマンだけにとどまらず、一般社会でも上意下達を強いられてきた歴史的な背景から、責任を回避する意味合いから積極的な発言をする人が少ないようだ。一般人なら仕方ないと許されても、議員と名のつく人たちに活発な意見の交換が見られないというのは市民に杷てサギ行為のようにも思えるのだ。
米沢市の破滅的な赤字財政を予想したのは故鈴木金造前議員一人だけではなかったのかも知れない。だとしても議会の発言なくして赤ちょうちんでのアルコール含有発言では脳味噌に問題が残る。議員は議会で発言するから議員であり、赤ちょうちんでは議員のホラ話としか聞こえない。失礼ながら議員諸公全員せめて頭を丸め市民に無能力であったことを詫びるぐらいの器量はないのだろうか。
