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行政が頑なに死守する許認可権とはこんなものだ

kage

2004/01/30 (Fri)

 さかんに問題になっている一般廃棄物処理業の許認可をめぐって希望する業者と担当課との網引きが行なわれており、担当課は一切言を左右に許可を出さない主義なのだ。しぶしぶ申請書を受理しても1カ月後に申請業者に否認の通知が入る。決済権者市長名でだ。どうも部長あたりの段階でもみ潰されたのだろうという風聞もあることから担当係長にきいてみた。「多分、市長の決済だと思う。上のことはわからない」と自信のない返事が返ってくる。噂のように部課長あたりの裁量で否認した通知ならば公文書偽造という犯罪に抵触する大問題だ。

 一般廃棄物収集運搬業許可申請に対する審査結果について

 廃棄物の処理及び清掃に関する法律第7条第1項の規定に基づく平成14年0月0日付け一般廃棄物運搬業許可申請について、下記のとおり決定したので通知します。

 記

1.決定事項
 一般廃棄物収集運搬業許可申請について不許可とする。

2.廃棄物の処理及び清掃に関する法律(昭和45年法律第137号)
 第7条第3項の規定により、許可の申請が第1号及び第2号に掲げる事項に適合していると認められないため。

米沢市環境生活課廃棄物対策係


 そこで問題の法律とはどんなものかを熟読してみた。

廃棄物の処理及び清掃に関する法律

 (一般廃棄物処理業)第七条 一般廃棄物の収集又は運搬を業として行おうとする者は、当該業を行おうとする区域(運搬のみ業として行う場合にあっては、一般廃棄物の積卸ろしを行う区域に限る)を管轄する市町村長の許可を受けなければならない。ただし、事業者(自らその一般廃棄物を運転する場合に限る)専ら再生利用の目的となる一般廃棄物のみの収集又運搬を業として行う者その他厚生省令で定める者については、この限りではない。

2 前項の許可は、一年を下らない政令で定める期間ごとに更新を受けなければ、その期間の経過によって、その効力を失う。

3 市町村長は、第一項の許可の申請が次の各号に適合していると認めるときでなければ許可をしてはならない。

 1当該市町村による一般廃棄物の収集又運搬が困難であること。

 2その申請の内容が一般廃棄物処理計画に適合するものであること。

 3その事業の用に供する施設及び申請者の能力がその事業を的確
  に、かつ、継続して行うに足るものとして厚生省令で定める基
  準に適合するものであること。

業者の申請に不許可と通知した内容と厚生省令を比較してみる。
 ① 一般廃棄物の収集又運搬業の許可は市町村長の決済であること。
 ② 米沢市としては一般廃棄物の収集又運搬が困難ではないこと。
 ③ その業に供する施設・能力がその事業に的確に継続して行なうという
   厚生省令基準に適合していないということだ。

ならば、業の許可にどんな施設が必要であるか?
     業を的確に行なう能力に欠けているとはどういうことか?
     業を継続して行なえないとは、その判定の基準とは?

 以上、業者と担当課とのせめぎ合いは3点に集約される.

合併どころの話じゃないよ、財政破綻寸前の米沢市

kage

2004/01/30 (Fri)

 故鈴木金造元市議の遺作「雑巾の詩」を改めて読んでみた。全編を流れる詩は米沢市の財政破綻寸前を憂い、いち早く対処しなければ米沢市は取り返しのつかない財政破綻に陥ることを、血を吐くような熱情で訴えているのだ。葬儀列席者に一部ずつ配られていたが今更のように彼を議員として議場に送らなかったことに罪の意識をもつ人も多くいるようだ。米沢市民は才人を失ってしまった。  

さて、本日の米沢新聞は米沢市総合計画と財政計画発表を掲載している。「厳しい財政見通し」だと今さら市民に発表されても、市民にはピンとくるものではなかろう。いつものように減額されたとはいえ不況をよそにボーナスを支給し、相変わらず高額な人件費を支給している現実。それでいて財政破綻寸前はなかろうよ。入札間違いを是だとして頑張りぬいた町田富保総務部長は「切るものは切って、財政再建団体に陥ることのないようにしたい」と決意を述べているが、3月には退職する職員のパフォーマンスではある。

 市民に知っておいてほしいこと。「公務員は退職後は一切の責任も課せられない」ことだ。高橋市政中の過払いや横領などの不祥事一切は安部市長の責任として裁かねばならないということになる。

 米沢市がもし合併するとなると財政試算はどうなるか?

 職員数約1200人 退職金:概算で150億円が必要になる勘定
 (民間会社の合併は、その時点で全社員退職と見なし退職金を支払うのが通例)

 経常費(人件費などの経常経費)割合が3年後には97.3%一般企業では当然倒産会社の運命。事務職員だけが多く生産・営業業成績が停滞している会社はボーナスどころか給料すら払えないということ。それらの会社がまず手入れするのは事務職員のリストラであり、給料の大幅減額と再生までの賞与カットが当前。

 米沢市は経常費に思い切った減額処置などのメスを切り込むこと。足らないからと重税をもって市民に負担をおしつけてくるバターンは有史以来少しもかわらない為政者の低能感覚である。まずは、経常経費の削減をもって、市の財政破綻を食い止める姿勢を見せて市民の了解を受けるのが順序だ。「足らないからくれろ!」だけでは道楽子女をもった親と同じこととは思えないか。

トルーマンの日記から

kage

2004/01/29 (Thu)

 昨年発見された米国大統領の日記に記されていた一行「ホワイトハウスは輝いていたが実際は白い牢獄だった」

 光り輝く候補者も当選と同時に緊張と孤独に身をさいなまれる思いだったのであろう。アメリカという大国の指導者としての責任の重荷をはじめて感じた時の正直な言葉であろう。小なりとも市長は米沢市の代表者である。立候補した時点では当選することだけを信じて8年間を歩きぬいた安部三十郎である。

 市長に就任した感慨とは一体どんなものだったろうか。まちがってもパラダイスだったとは思い至らなかっただろう。と、推察する。

 高橋市長初登庁の朝を思い出す。「すぐに来てくれ!」友人から電話がはいった。何事かと聞くと「高橋と一緒に当庁して、市役所を見学してくる」という支持者の婦人たちが集まっていて、大挙して初登庁についていくというのだ「婦人たちを動かすな!」と受話器を捨てるようにして車を飛ばし高橋宅に駈けつけて見て驚いた。服装を整え化粧した婦人たちが玄関前に集まって登庁時間をいまや遅しと待ち構えているではないか。「本日は米沢市の新市長初登庁という特別の日である。登庁するのは高橋個人であり、本日より米沢市長として執務する人物を迎えるセレモニーであるから、あなたがたはこの場で見送るだけに止め、午後になってから市役所に見学に出掛けられたらいい」と納得させて高橋単独で歩いて登庁させたものだった。ところが、自宅から高橋に同道するようにして黒いカバンを下げた人物がいた。「高橋の秘書だ」という。これにも「私設秘書は登庁すべきではない」と慌てて市役所の門前で帰した。

 ことほど左様に歴戦錬磨の高橋にして、初登庁は劇的な感動と不安とが入り交じるものらしい。以上のくだりは三階のベランダから見つめていた小関薫君が証言してくれるはずだ。安部三十郎君の初登庁は新聞で拝見したが、長靴を履き「自由の風の旗印のもとに笑顔で立つ姿だった。若者らしくパフォーマンスともとれる初登庁だったようだ。その時わたしの脳裏をかすめたのは、あの笑顔の曇る時期のことだった。

 トルーマンにして「ホワイトハウスは牢獄だった」といわしめた過酷な責務が緊張と孤独を強いたのだ。すべての提案を阻止すると豪語する18の議員とリベンジを誓う敗北した行政の部課長たちがいる。まさに多難な安部丸の船出に見えた。

 高橋の場合、選挙資金は自民党県連からの500万円を筆頭に支持する土木建設業者からの献金で選挙を賄った。が、安部の場合は一説によると土地売買の資金で賄ったことになっている。高橋は支援金で、安部は自己資金で戦ったということだ。「借りた恩義、返す義理」が高橋にまとわりついていたのではなかろうかと述懐する元支持者もいる。

 最後まで新市長に抵抗を見せる議員及び幹部職員の名を列ねて市民の判断材料に供することにする。一言、自民党沼沢幹事長がもってきた500万円については時の県会議員が選挙運動費用として100万円ずつ頒けたという。沼沢元県会議員が近年、呆れ返ったように私に語ってくれたものだ。

投稿に感謝!

kage

2004/01/29 (Thu)

 出社してはじめに目を通す仕事は、事務員が整理する 「鬼の会」の綴りだ。今朝は各層からだと拝察される「市民からの声」が3編乗っていた。いずれも児童手当て過払いについて安部市長の談話を問題にしている。2編は「全額返還」は不当な発言であり、市長は市民派だと思って投票したが1票を返してもらいたい等の痛烈な意見だ。あとの1編は高橋在職中の不祥事が新市長になって発覚してきたもので、責任をとるべき高橋前市長の退職金から支払って然るべきではないか。このままでは責任をとらないという前体質が市役所幹部職員から臨時職員まで波及していくのではないかという懸念された意見である。

 どのような意見であれ、市民の声を聞かれて感謝したい。本会の目的は市民の生きた意見を互いに交換することで、そこに何かが見いだせるのではないかとそんな淡い期待から、郷土米沢市の方向づけが見えてくるのではないだろうか。為政者や議員だけの米沢市であってはならない。市民がつつがなく子育てのできる米沢市であってほしい。また、郷里を離れた人たちが再び回帰を願う米沢市は望郷の地でありたい。そんな願いをこめて開いたページです。どうぞ大いに活用願います。本日でアクセス15,000を越えました。感謝!

役所の独走を許すな!!

kage

2004/01/28 (Wed)

 産業廃棄物業の許可をめぐる紛争を避けるべきだと考える本会は、本日開かれた発起人会を傍聴した。メンバーの中には専門の講習会(埼玉県)一週間を受講してきた真面目な業者もいる。が、市役所は申請書類の受理はするものの回答は等しく「間にあっている」であり、廃棄物の処理および清掃に関する法律を盾にして不許可の通達を業者にする。このパターンは常に変わらない。業者は「山形市や福島市の例をあげて、なぜ置賜地方に限って許可を出さないのだろうか?」と怪訝さを隠せないでいる。役所が盾にする法律を読んでみたところ、地域々々の実情に合わせて自治体が決済することに任せているのだ。米沢市の場合は環境課が窓口となって市長が決済することになっている。

 ところで今までは、申請した書類を審査した結果、すべて否決通達は市長名で通達されているが、はたして市長が本当に目を通して決済したものかどうかにも疑いが生じている。話では部長クラスで否決し市長までいかないのではあるまいかという。だとすれば事は重大な犯罪を構成していることになる。

 自由経済の時代だ。一部の業者だけに特権を与えて「間に合うから」という理由だけで、法律を逆手にとり業者を参入させない行為は、だいたい公平さに欠けるではないか。間口を緩和して自由に競争させれば良いことだ。各自、営業努力に切瑳拓摩して、営業が成り立たない場合は業を捨てるだろう。それが自由競争社会というものだろう。あくまでも米沢市が許認可権をもつ以上、他市に歩調を合わせて業界の緩和策を考えるべき時であろう。許認可権をもつ係がこれ以上、市民の要望を阻止するならば問題は複雑怪奇な展開を続けていくことになるだろう。中には100万円を用意して武田誠議員を動かせば許可が出せる。などのキナクサイ風聞も聞こえてくる。所詮、行政というものは許認可権を伝家の宝刀とすることが多いものだ。ここにいまわしい汚職が熟成するメカニズムがある。行政よ、市民の負託に出来るだけ答える姿勢を保つべきが筋だと考えるがどうだろうか。もし、頑なに許認可権を固守するならば市税の不払い運動も起きかねない勢いのようだ。新市長に批判的な部長の多くは、3月には退職する。無論、市長の面に「後足で砂をかける」ようにしてだ。それでいて、市税が基本となる高額な退職金をおくびもなく懐に収める。在職中どれだけ市民に尽くしてきたかを問うてみるがいい。値打ちある答えが出せるかどうかだ。その答えこそが自分のネウチというものだ。

よき市民の第一の義務は必要なときに怒ることである。

kage

2004/01/28 (Wed)

 そして行為によってその怒りを示すことである。と続く金言は、英国の政治家ジェームス・プライスの言葉である。日本は明治維新を最後にクーデターの起こりにくい国家とされてきた。長年にわたり日本国民は縦割りの社会に慣れ親しんできたことから、官僚・役人を信じる心根が存在している。しかし、戦後半世紀を経て、縦割り社会の矛盾が各所・各分野で見られるようになってきた現況では、これらを起爆剤とした国民運動が起きる予感が走る。公務員と国民の待遇の格差。官僚の横すべり、政治家のダブル年金支給などなど。いままで国民に知らされていなかった部分が明るみに出るにつけ、これが民主主義の実態なのかと国民の震えがとまらない。爵位の制定で身内の安泰を計った薩摩勢、偏執組閣を長州勢が固め、警察の実権を土佐勢にと勝者連合の政治体制だったことは周知の事実だ。

 新政府が発布した期待の「5カ条の御誓文」は発布とともに廃棄されている。郷土の志士雲井龍雄は、こうしたまやかしの明治政府を弾劾せんと同志とともにクーデターを起こそうとした英傑だ。龍雄ならずとも全国各地に明治政府を倒し、新らたな政府を興そうと動いた人物がいた。国民期待の新政府がいかにまやかし人物たちによって編成されたか、そして新政府によってどれだけ縛りがきつくなったか、そのへんのくだりを島崎藤村は「夜明け前」で語っている。

 なぜに部落の長たる青山半蔵が新時代のおとずれとともに狂乱した死をとげたのか、時代の変わり目を生きた木曽馬籠宿を舞台に描かれている。

 時代は明治から150年。平成の世も明治新政府の悪癖をそのままに写し、暮らしの差は官尊民卑に変わりはない。米沢市役所職員退職者の行く先はすべて安穏暮らせる行政の出先機関で、しかも責任を問われない職場だ。

 彼らは自分の間違いを認めようともせず、すぐに税金から損失補填を考え、管理能力の欠如を認めないまま、臨時とはいえ同僚の使込みを個人の犯罪だとして、その時点から同僚意識と絶縁する手際のよさ。前高橋市長市政で起きた犯罪に高橋幸翁前市長のコメントは無しで良いか? 本欄掲示板にコメントを寄せられた「スミレちゃん」が云うように高橋市政では握り潰されていたかも知れない市役所の「爆弾」がこれからもゾロゾロ出てくるかも知れない。

 いまこそ市民が怒りを感じ行動すべき時であろう。怒りを単なるクドキに止めておく米沢市民は忍耐強い市民であるか、無知無能な市民であるか。または縦割り社会の「上意下達」に適した市民なのかも知れない。こんな米沢の環境では青雲を志す若き有能な人物を放出するだけの街になるではないか。人間は怒らねばならない時に、行動で示さればならないのだ。

過払い・使込み、役所の業務に疑義

kage

2004/01/27 (Tue)

 「過払い問題」や「日本赤十字米沢支部の使込み」は安部市政に代わってから露呈したものだが、問題の発生は高橋前市長での不祥事である。責任は高橋体制であることは明白な事実だ。市長を退任したからといって責任逃れするようでは「立つ鳥跡を濁さず」どころか「後足で砂をかける」ようなものだ。 高橋前市長は常に「わたしは清廉潔白だ」「わたしの自慢はダーティな職員を出さないことだった」と云いつづけてきた。退任と歩調を合わせるように出ること出ること、自慢の職員のダーティさ加減。どう考えても在職中に伏せておいた問題としか思えない。探ってみると相当なものが出てくるような予感がする。出てこなければ、それは組織による巧妙な隠蔽策によるものだろう。と、市民は怒ったり、あきれたりしている。

さて、1、049万円使込みの手口は、日赤に寄せられた社費や協力費のうち167件の伝票を抜き取り電算で操作していたもの。元臨時職員33才の若い職員の手による犯罪だった。2001年7月から、2003年9月までの間だとするからには高橋市政の時期である。全額返還したからといって犯行が消滅されるものではない。が、さきの過払いや今回の使込みも同じ課でのできごと。一口にいえば管理体制のズサンさが露呈したものだ。たてつづけに起きた福祉課の不祥事だが、それでも川崎市長のように「行政を甘く見るな」と云いたいところが本音かも知れない。

一般廃棄物業をめぐる役所の対応

kage

2004/01/26 (Mon)

 不況のさなか一般廃棄物業の認可をめぐり、市役所の対応について大問題が噴出した。25日、一般廃の営業を希望する会社代表・個人など数社が会合を持ち、協議会を結成して団体で市役所の担当課に認可を迫ること決った。 発起人会は28日に開き即日にも協議会を発足させたいという意気込みだ。市役所の言い分は「米沢市の人口から勘案して廃棄物の出る量は決っている。その量を処理するのに必要な業者数を市は確保し委託していて問題はない」として新規参入者に窓口を開こうとはしないのが現状のようだ。問題は既存業者に処理を頼むと結構高額な処理料金がとられる。認可をもった業者が少ないことから、乱暴な表現だが料金は「業者の言いなり」という具合で市民の多くに不満はつのるばかりだ。これは認可制度の悪癖の部分だが、認可をもった業者が多くいれば、当然ながら処理価格は安くなる。現在の試算では3割りから5割は安くなるという見通しのようだ。認可制度を撤廃するわけにはいかないとしても、自由経済の社会だ、窓口を広くして価格を各業者の自由裁量に任せることが寛容なこと。例えばこんな例も現実には増えている。親しい会社に処理を任せたいと頼むと「許可証 がもらえないので」と断る以外に方法はないのだ。断りきれない客もいて折角、仕事がもらえるのに仕事が出来ないことになっている。客がいて、仕事が目の前に山ほどあるが肝心の許可証がもらえないとあって断腸の思いで仕事を断ることになる。仕事が目の前にぶら下がっているのに仕事ができない悔しさはいかばかりなものか。担当職員に理解してもらいたいという願いもある。「間に合っている」からだけで自由競争の時代に通用する感覚とはいえまい。希望業者と併合して「資源を無駄にしない市民会議」結集の気運も盛り上がってきた。限られた資源を行政感覚をして「燃やす・埋める」だけの知恵では時代に逆行するだけではあるまいか。市民の願望は不要な廃棄物を、安く処理してくれる業者の出現であろう。 それら市民の願いに逆行するような許可性の固守に執着する行政ならば、自由の風を標榜するあの旗のもつ意味はなんであろうか。新市長に問わねばなるまい。世界の資源回帰思想に逆行する行政は要らない。

安部市長ピンチ非協力な部課長たち

kage

2004/01/25 (Sun)

 米沢市役所の内部事情にくわしい人物の話。高橋体制に馴れ親しんできた部課長らは新安部市長に非協力的な態度で市長を困らせているという。安部市長は祭日も当庁して米沢市の実態を探るのに懸命に働いているのだという。試みに電話してみたら日曜日にもかかわらず当庁していたが、あいにく出掛けた後で留守だった。長市長から高橋市長に代わった時のことを思い出す。農林課の職員が米沢市政要覧にいたずらして高橋市長のあいさつ欄に長前市長の写真を張りつけ庁内を回覧して失笑していたものである。 首長の変わり目には市職員の動揺は大きいもので、部課長職ほど動揺の差が著しい。これらが新市長に米沢市の実情を説明する義務があるのだが、相手が行政に精通していないだけに、説明のほとんどが部課長サイドからの都合主義からの報告になる。いわゆる「新市長いじめ」が始まっている現状だ。いやしくも市民が選んだ市長である。いくら自分たちの候補が惨敗したからといって今は怨念を捨て、市民の公僕たる理念に撤すべき時であると考える。 ようやく20年の高橋市政から脱却し、高橋院政をも打破した賢明な市民選択をかちえた米沢市民たちである。 米沢市職員一丸となって米沢市のつつがない発展を考えなければならない時期であろう。ここは永田町ではない。米沢市、わが故郷であろう。これ以上の「市長いじめ」は市民は許すまいぞ。

米沢市役所職員になる方法は

kage

2004/01/24 (Sat)

 かつて今泉清画伯が米沢新聞に「市の職員に採用されるには200万円を市長に渡せばいい」と投書したことがあった。彼は「市役所職員でわたしの教え子が家にきて話したのだから間違いはない」と断言しそう書いた。最近、画伯と会った時にそのことを話したら「絶対間違いではない」と言いきった。

 ある人が公務員批判をしながら次のように話してくれた。「職員に採用されたいなら、県会議員クラスの人間に頼みこむことが第一の手段。無論、金は要る。効果があがった場合、その人間一人を採用するために市は募集をかける。募集に集まってきた人数が10人だったとする。市は、まず、かたどうりに試験をして順位を決める。が、成績の順位は問題視しないのだ。二次試験の面接で本人の成績如何を問わず、面接の結果、だれさんに決りました。と報告してめでたく市職員に採用されるという仕組みらしい。一次試験はあくまでも正当性を見せるためのダミー試験だという。なかなか手のこんだやりかたをするものだと嘆息して話してくれた。また、ある人は市長室で市長と懇意な工務所の社長と同道して直接市長に200万円を手渡しして職員に採用された。という職員もいる。賄賂の相場も400万円に値上がりしたとかしないとか。

山形大学医学部でも名義貸し

kage

2004/01/24 (Sat)

 朝刊を見て「ブルータスお前もか」の感を強くした。医局から慣例によって派遣された大学院生7名は東北各地の医療機関で、割りのいいアルバイト感覚で名義貸しをし高給を受けていた。しかも、なかには1日も勤務地に行かずに10万円ほどの収入をえていた院生もいる。月16日間以上の勤務実績がないのに健康保険証の交付さえ受けていたのだ。大学側は「申し訳ありません」と謝罪し関係者に厳重注意をしたとコメントしているが、サギまがいの行為をしている割合には、護送船団的な意識で甘えの体質はかわらない様子だ。名義貸しの多くは薬剤師がはじめたものだ。いずれにしても、人命を左右する、職業がもつ尊厳さは彼らの行為によって踏み躙られた。「心」の問題を第一義とすべき医師たちですらも収入でしか自分を評価できない人間に成り下がってしまったということになる。

銀行方式を真似た過払い問題

kage

2004/01/23 (Fri)

 銀行の職員が記帳間違いで、客が預金を下ろしたのにあづかりに記帳して客に通帳を渡すことがある。通帳の残高が残っているので、引き返して残高から下ろしたとする。客に悪意はなかったとしても、その金を支払いに回した。無いはずの金が支払いに回され現金は残っていない。このような場合、銀行の支店長は慌てて客を訪れ、借用書にサインを求め客に貸し付けをしたことにして一 件落着とする。過払いの問題も同じように当該家族に長期貸し付けしたこと にする手口は、銀行が行なう常套手段だが、問題はいまさら行政から借用書を 書かされるいわれはないはずである。担当者は銀行方式で済ませたいだろうが行政から振込まれた金額によもや間違いがあるとは思うまい。行政を信頼したからこそ余分な金も生活費に消えていっただろう。行政の信頼を失墜させた罪は重いものだ。降ってわいたような災難に対象家族も迷惑だろうし、担当者も当該家族同様、減報なりの厳重な処置を受け、当該家族同様痛みを分けることであろう。

自由競争の時代にそぐわない行政感覚

kage

2004/01/23 (Fri)

 不況の煽りだけでなく「一般廃棄物回収業」を希望する企業が増えている。 が、行政の担当者は「間にあっているから、新たな業者の参入は認めない」という方針らしい。時代錯誤も基だしい感覚である。社会は自由競争の時代だ。希望業者に認可の窓口を広く出来ないわけは何か。規制業者の毒まんじゅうを食らった以外に正当な何があるというのだ。鬼の会では、この問題にかぎらず 行政担当者の一言一句を市民に広く知らせ、つつがない行政の在り方を模索していただくことにする。25日には希望業者が第二回の会合を開いて運動方針を検討する。税金の使い道を行政に任せている以上、公平を期した行政を行なってもらいたいとは希望業者の強い意見のようだ。

基本的なリサクル活動を

kage

2004/01/23 (Fri)

 農地のない都会ならば「生ゴミ」の焼却法はいたしかたないとしても、置賜地方は第一次産業農業地域である。ひと昔は生ゴミは各家庭で堆肥場を持ち腐らせて堆肥にし、畑に還元して良質な土づくりをしておった。世界の限りあるエネルギー対策が報じられている。それによると生ゴミを油をかけて焼却するような愚挙はすべきでないとの報告だった。作物が良くないのは士地が痩せているのが原因であろう。そこで再度行政に提言する。生ゴミの焼却法を改めて堆肥として還元し、有機栽培野菜・果物・米として米沢の産物に特色をつけることが農業の回帰につながるだろう。他市でやらないことを実行して効果をあげる知恵と行動が何よりも大切なことであり世界の動向でもあるのだ。生ゴミの焼却量が減ることは油の軽減にも繋がる。一石二鳥の良策だと思うが行政マンにやる気があるかどうかだけの問題だ。

やはり日本は亡びるのか!?(おきざりにされてきた心の問題)

kage

2004/01/23 (Fri)

 かつて勝海舟は「国唯自亡」、つまり「国というものは決して人が取りはしない。内からつぶして、西洋人に遣るのだ」といったことがある。海舟がこう 予言したのは、明治二十年代のことだったが、その時期がついに到来したのかも知れない。国を「遣」ろうとしている相手が「西洋人」なのかどうかはかならずしも判然としないけれども、国を「内からつぶそう」としている力は今や 縦横無尽に作用しつつあるといわざるを得ない。と江藤淳氏は著作「日本よ、亡びるのか」で論破している。

 今朝のニュースは医科大学の病院への医師免許貸しが報道されている。名義 借りまでして病院の対面を繕ろわねばならぬ医療の不確かさ。診療もなく名義を貸すだけで異常な高収入を得る医師の現実とは。「医は仁術」から「医は算術」に変わり今やまさに「医は忍術」の時代に突入した感がある。医術とは病める人たちを病気から解放する仕事であったはずだ。だから医師は人たちから 尊敬も受けた。僧侶も同じだった。そこには医師と患者、僧侶と壇信徒との間に相互の信頼感があったからにほかならない。信頼とは心の問題である。その心がいまはない。医師は医師の、僧侶は僧侶の一人称の立場で行動するように なった。対象はいずれも弱い立場におかれた人たちが相手だ。弱者対強者の立場においてあらがう手段は弱者にはない。したがって、心のない世界では強者 の思いのままである。これが心を喪失した戦後民主主義国家の形骸である。

 戦後の崩落した国家再建のために汗を流した人々は老齢化し、次期世代は経済万能主義に成長してきたが、同時に日本国家は「心」の重要さを教育してこなかった。日本には「教育勅語」という日本人の規範とすべき精神論が示され ていた。世界から評価されている「教育勅語」は敗戦と同時に埋没して今はない。日本人の精神的退廃の行き着くところは精神的砂漠化であり国家滅亡の危 機ではあるまいか。政治家業はさらなる集金主義に、学歴社会が学歴詐称さえも生む。山形県議会の伊藤耕次郎議長は東京豊大卒業と堂々公言して詐称を問われる前に死去。酒田北高定時制が最終学歴だった。

 ひと頃、問題になった高橋知事の「笹かま」事件。中身の二千万は知事の懐に収まったという常識論が復活している。鹿島建設が病院建設の謝礼として送ったものであり、知事不在中に保管していた出納長は引責辞任したことになっているが、さらなる高待遇の任地先が用意されていた不思議。天下の腰くだけ加藤代議士も鹿野代議士も一皮剥けば配金主義者の類。故鈴木金造決死の著作、某地元代議士の恥部を書いたものが一部流出しているとの報が入ってきた。幻の著すでに一部流出し弁護士が介入しているという。ぜひ手にしたいものだ。

 世に出れば選挙民、仰天の裏ばなしの連続だとか。

雲井祭と芸能神社修復と安置

kage

2004/01/22 (Thu)

 米沢市を初めて訪れた人々が口々に不満を述べるのは「上杉の城下町としての風情がない」という言葉だ。これは観光協会が適切に機能していない証左であろう。米沢市は元来観光行政にうとい。そして隣街の会津若松市の観光行政は凄いとただ指をくわえているだけだ。多少遅きに失した感じもするが、八幡原の企業誘致も大切だが、同時に観光客を呼び入れる観光政策が大事なことだ。

 上杉祭りや川中島模擬合戦のように、ただ観せるだけのショウでは肝心の収入源にはならない。舞台設定にも無理がある。どうせやるなら日が落ちてから始めればいい。ライトアップしたグリーンもきれいだが、鎧兜にライトがあたったことを想定してみたことがあるだろうか。加えて槍・刀がある。周辺の建物も闇に隠れて川中島の古戦場を彷彿とさせるではないか。しかも、ライトアップすることによって、参加する軍勢を三倍に観せる演出法も成り立つし、同時に宿泊客を増やすことを考えるべきであろう。

 余談になるが米沢牛肉祭りは地元の人間だけで独占するようでは何んの足しにもならない。都会の観光業者に「米沢牛祭りと宿泊」をセットにして販売することだろう。天下に知られた米沢牛の「すきやき祭り」と「吾妻名揚の旅」とでも名うって都会からの客を呼び入れる政策はどうだろうか。観光業者にしてみれば集客するにも魅力ある企画がなく困っているはずである。必ず猫にマタタビのごとく成功するのは必至だと信じている。

 新市長とその同級生たちが毎年実施している雲井篭雄祭は大々的に行なうべき米沢の鎮魂祭だ。明治政府に楯突いた米沢の英傑である。いまでも雲井龍雄のことは当市では禁句となっているが、もはや日本の代表的な人物として評価が高いものだ。雪ふる龍雄の墓前に流れる詩吟は参列者の魂をゆさぶるものがある。毎年、都会から参加する若い女性もいる。考えてみてはどうだろう。

 故木村東介氏が東京湯島にあった芸能神社を、自費で米沢市に運んでくれた神社だ。現在では参詣する人のかげもなく愛宕神社の登り口に放置されているような状態だ。木村氏は米沢市の名所になるようにと寄贈されたものだが、その活用の仕方を研究もせず放置しておくだけではあまりにも芸がなさすぎるのではあるまいか。芸能神社を米沢の観光資源材料として考えるならば活用の仕方では多くの芸能人がよべると思われる。と、同時に訪れる芸能人を見たさに集まる観光客もいる。人が集えば土産の開発は必然的に起きるものだ。城下町の風情に裏切られた観光客をもう一度呼び戻すための提案である。

 ただし、あくまでも大切なことは演出力の技量である。

産業廃棄物終末処理場建設反対運動をめぐって

kage

2004/01/21 (Wed)

 廃棄物処理場と火葬場は、どこの地域でも紛争の種になっているようだ。野馬追いで知られる相馬市には長年火葬場が無く、隣町の原の町市にダビを依頼しておった。料金は倍額、しかも火葬場使用は午後からという条件に相馬市民は不便を感じてきた。そこで相馬市は火葬場建設を企画し、建設場所の選定をはじめた。できるならば山の麓であるとか目立たないところを物色。三候補地にしぼった。ところが共産党市議がことごとく地権者を扇動して反対運動を展開、紛争はテレビを通して全国に放映されるまで激しいものだった。県道沿いの田を提供した市民によって建設され今があるのだが、同じようにゴミ捨場などは自分の居住する場の近くでない方が良いに決っている。今さら反対運動を起こすのであれば企画した企業が申請した時点で山形県に向かい許可しないよう住民運動を起こすべきであった。

 ことさらに「最上川源流を守る会」などの団体を結成しての反対ならば、施設と最上川源流との相関関係すなわち反対派が唱える因果関係を示しもしないムードだけの反対論は適性とは思えない。排水不可能な土地に工場は育たないと同様に排水は河川を利用する。米沢市の糞尿処理場から出る排水さきは最上川源流なのだ。河川が汚れるのと終末処理場から排水される水質とは別の問題として、最上川源流の水質だけが問題だとするならば、終末処理場の排水を厳重に監視すればよいのではあるまいか。反対派の論旨に矛盾がある。

 2月19日まで市長が回答する約束してるようだが、いかなる回答を示すのか安部市長の資質が問われる場面だ。

危険な女性ドライバーたち

kage

2004/01/21 (Wed)

 米沢駅から田村電気に通じる南北道路と旧13号線が交わる信濃町交差点は朝夕のラッシュ時はとみに混みあうことで知られている。

 通勤上の女性ドライバーはと見ると、一様にくわえ煙草で携帯電話を使用している。ハンドルを操作する手が足りないような有様が見うけられた。最近は携帯電話の使用に規制が加わったせいか、くわえ爆草は相変わらずだが携帯電話の使用は減ってきたようだ。が、雪道をものともしないで、狭い道路でも対向車同士譲り合うどころか、スピードを落とすことなく突進してくるドライバーは女性に限定されているようだ。慌てて道路を譲るのは大方は男性ドライバーに老齢者のようだ。雨の日は泥まみれの水を跳ね、夜道はライトを遠目にしたまま対向車のサインにも屁のカッパ。そんな態度ではせっかく取得した免許証に汚点がつく。社会性に欠ける自分を反省し、まず社会のルールに順応してはじめて一人前のドライバーであることを知るべきである。

除雪と排雪に問題あり

kage

2004/01/20 (Tue)

 除雪によって自動車道路は確保されているが、人間の歩く場所に対しては全く配慮に欠けた行政処置である。ラッシュを潜り抜けガレージに車を入れようとしても肝心のガレージ前には除雪された残骸があって排雪しなければ車庫入れも出来ないのが現況の除雪体制である。各々の駐車場は雪置場ではない。老人所帯などに配慮し出来るならば除雪と排雪を同時に行なう形式が望ましいのだが。車道ともに歩道の確保も考えにいれるべきだと願う。

葬儀の季節に考えること...高額な僧侶のお布施

kage

2004/01/20 (Tue)

 葬儀は結婚式などと違い、突然起こる不慮の出来事である。したがって、互助の性格によって、寄せられた香典で葬儀費用は賄われたものである。が、近年の葬儀は様変わりして葬儀で赤字を出す家庭が多くなってきた。赤字は喪主と家族の重い負担となって苦しむことになるが、その原因となっているのは何であろうか。

 葬儀にかかせないものは導師(僧侶)のお布施と最近使われてきた葬儀場の費用である。まず、導師の高額なお布施に問題はないか。どんなに考えてみても導師のお布施は高額だとの結論に達する。お布施はどのような基準で請求されるものであろうか。本来は「お気持ちで結構です」という僧侶もいるが、枕経をあげにきた僧侶は哀しみに伏せている喪主に向かって「導師は50万円、 伴僧は一人8万円ずつで、伴僧様は何人か?」と直談判である。まして、僧侶の言葉を信じて、気持ちで30万円包んだら、晩になって僧侶の妻から20万たらないから、すぐに届けろ」という電話が入ったという話も聞いた。壇信徒の少ない寺はたまにある葬式のお布施が収入源であろう。それにしてもお布施は高額であるという謗りは免れない。山形県内では米沢市が高額だとされている。僧路はお布施の基準を示すべきである。まさか談合した価格ではあるまいが僧侶の面目次第で価格はきまるのであろう。しかし、高額なお布施では葬儀の形態すら考える必要に迫られてくる。いわく、新式で人前結婚があるようにお経の必要としない人前葬儀も生まれてくるだろう。いわゆる僧侶を介在しない献花だけで済ます形式や音楽葬などが増えるのではあるまいか。それには寺に縛られない市民霊園の造成と運営が用意されなければならない。葬式革命は必ずや近い将来に起こりうるものだと信じたい。原因は僧侶と葬儀屋のビジネス化に去来するものである。

改弦更張という言葉に学ぶ

kage

2004/01/19 (Mon)

 中国の古典「宗書」に為政者がとるべき大事なことが記述してある。

「いわんや天下を治めるには、この要(要項)いずくんぞ忘るべけんや」

 いわく、天下を治めるには、琴の要項に従って国家の「弦」を改める必要があると説く。琴の本体と弦との間の「琴柱(ことじ)」は、演奏中に移動することによって音の高低を変える重要な部品だ。西洋楽器では「駒」といって移動することはない。「宗書」が記述するのはその大切な琴柱に膠(にかわ)をぬって琴柱を移動できないように固定することを戒めている。これを「琴柱に膠す」という故事とされている。この意は、これでは臨機応変の才を欠き、融通のきかないことを指す。そこで膠を剥がす手は一人よりも二人が良いに繋がったことが記述されている。ようするに、四角四面な決りを盾に、頑固で一切妥協しない為政者では国民が困るということである。

 米沢市も時に応じて臨機応変な行政を行なうことが寛容なことである。

納得できない行政の網

kage

2004/01/16 (Fri)

 他市から大手古紙回収業者の参入によって、行政担当者が慌てだしている。当該の古紙回収業者が役所に出向くと、その許可をめぐって難癖とも思えるような態度で、いかにも業者の参入を迷惑しているがごとき振る舞いをしているようだ。一般廃棄物処理業の許可については「既存の業者の数で間に合っている」からと言って、許可を出さないつもりらしい。既存業者を保護する立場で 競争を避けたいとする担当職員の考えらしい。だとすると、職業の競争原理を否定することになる。いかなる業界でも新らたな参入によって利益が左右されるからだが自由競争の原理は変わらないはずである。業者の選定はあくまでも自由であるべきで、業者同士が切磋琢磨することによって、便利さが増すのは市民である。業界に許可制を持ち出すのは役所のセクト主義で、本来は余計なお世話である。市民本位に考えるならば自由競争を阻止するかごとき枠を設定すること自体、単なる行政のエゴであるか行政マンの毒饅頭嗜好なのかの疑いが出る始末だ。

 たとえばパッカー車(圧縮収集車)使用は市では間に合う台数があるからと使用するのに面倒な手続きがいる。本来、どんな車を使用して古紙集めしようと本人の自由な裁量でいいはずだ。古紙回収業者に規制をかけるとは何事。米沢市民の姑息さが他市から嫌われるゆえんだ。合併問題でどこの町も米沢との合併を拒否する理由の一端を見せられた思いがする。

 一般廃棄物収集を望んでいる業者に許可を与えない基準も行政のエゴか毒饅顕かのどちらかに思えるのだ。

 いずれにしても、市民が古紙回収によって収入になる時世到来なのだ。市民が潤うことを、なぜ行政が介入しなければならないのだ。

 市民単位、町内会単位で自由に古紙で収入をあげればこんな良いことはないはずだ。事実、団地や学生寮など単位に動きはじめたところも多い。

 古紙価格は以前と違って「国際相場」が主流になっている。米沢市は長年にわたって古紙回収で市民の手になるメリットはゼロだった。

 他市からの業者参入によって、市民ははじめて収入になることを知ったのだ、いかに米沢の業者が市民を騙していたかの証明だが、行政まで介入する理由はない。「古紙回収市民協力会」を結成する動きがあり、すでに第1回の会合を開いているようだ。

「鬼の会」から

kage

2004/01/15 (Thu)

 権威をかさに理不尽なことをおしつけられ、お困りの方や不満やるかたない方どしどしお知らせください。調査の上、ネットに乗せて全国に発信し、意見を交換しながら、住みよい地域づくりを目指したいと考えております。

 「鬼の会」は権力や他の圧力団体などに屈しないという哲学をもって行動し、弱者がいつまでも弱者でおらないことを願っております。

 市民各位の活発な意見が「鬼の会」を支えるエネルギーになるのです。

 時として市民は怒り、立ちあがらねばならない時がある。

 本年の干支は猿。「見ザル、聞かザル、言わザル」では大人とはいえまい。

役所のミスを市民に押しつけるなんて

kage

2004/01/15 (Thu)

① 児童扶養手当過払いの解決もみない矢先、下水道の受益者負担金不足を理由に市民ともめている事件がおきた。事のいきさつは、固定資産税は宅地勘定でおさめ、下水道の受益者負担が予想より多額なため分割で納入した。当然、対象地目は宅地になっている。が、宅地ではあるが数種類の野菜を栽培していた関係上、役所の調査では畠として免税処置とした上で宅地分だけの受益者負担金を請求してきた。宅地ではあったとしても畠として使うのは持ち主の自由だ。ところが問題が発生した。固定資産台帳と下水道の受益者負担台帳の誤差に気づいた役所は、畠と見違えて免税処置をした下水道調査員の明らかなミスではあるが役所の台帳に誤差が出たのでは困るからと、負担金の不足分を支払えと迫った。

 当人は宅地として税金を払っているのだから、いまさら役所の計算違いとして請求されても迷惑な話だとして頑として支払いを拒否している。常に市民に信頼される役所ならばいざ知らず、やることが入札ミスから過払い、使いこみに空出張等などの公僕時代である。今頃になって不足分を受益者に支払えはないだろうと当人は当惑しながら怒っているのだ

 「許せないのは、自分たちの見過ごしをミスだと認めない態度だ。しかも、正当性を示すために5年ごとに見直しをした結論からだ」という。本人の土地の地目ははじめから宅地であり「それが証拠には固定資産台帳を見ればわかるはずだ」と本人は書類で提出することを希望している。



② 下水道予定地にも不満はある。東二丁目の問題。旧町名信濃町と小国町との間に家も多くあるが、下水道の予定地に入っているため浄化槽設置の補助金の対象にならないのだ。

 理由は水道予定地として網がかけられているためだ。が、当局は「信濃町の下水道施設は早くて十年後、お宅の場所は本管からさらに50メートルも奥まっているから下水道の施設は永久に出来ない」というのだ。ならば浄化槽の補助金の対象になるはずだが「お宅の場所には予定地の網がかけられているから補助金の対象にはならない」とう役所の返事。

 出来もしない地域に下水道予定地の網をかけ市民の受益権利を抹殺していることになる。

 役所がいう市民サービスの定義とはいかなるものであるか、そして公僕とは公務員の役目とは何か? 広辞苑や百科辞典を紐解いてみるがいい。使命の重さに目が覚めるおもいをするだろう。

行政は市民霊園を計画すベし

kage

2004/01/14 (Wed)

 葬儀に参列するたびに、葬儀に要する費用の高さに胸を締め付けられる思いがする。まず、導師のお布施や伴僧の高額な費用にはどんな基準で定められているのだろうか。

 山形県内では特に置賜地方なかんずく米沢が高額だとのデーターがある。加えて、セレモニーホールの費用が馬鹿にならないほどだ。

 先祖代々の寺があり墓地があるからだけの理由で、導師や納骨場所もままにならない。「これでは安心して死ぬことも出来ない」と、年寄は嘆く。

 特にこれから菩提寺を選ぶ人たちのために、市民霊園は市民サービスの必須条件であろう。かつて木村莞爾元県会議員は「米沢に市民霊園をつくり、都会の田舎をもたない人たちに無償で提供すれば、米沢市の墓詣り人口は確実に増える。米沢市との関係が深まり米沢のはかり知れない未来が望める」と言っていたことを思いだす。小生の義妹は長井市の霊園に亭主の骨を埋葬して満足している。故人の遺言で密葬で行なったが、しめやかな献花にピアノ曲をそえて惜別の別れとしたが、なんともいえない清々しい儀式として今もって脳裏から離れない。

 市民霊園の存在があれば、葬儀の形も自由に選択できるし、高額な僧侶のお布施に悩むこともなくなる。一度、議員研修などで各地の霊園を見てぜひ米沢方式で実現してほしいものだ。

「毘沙門会」の市議メンバー18名

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2004/01/14 (Wed)

高橋嘉門 斎藤春美 木村政信 佐藤俊弘 高橋義和 佐藤伊左ェ門

佐藤 晃 我妻徳雄 小島卓二 五十嵐謙一 須藤紘一 小竹博男

我妻壽光 木村勇一 菊地冨蔵 鳥海茂太 伊藤亮一

 (以上17名)議員数28名のうち共産党議員2名、公明党議員2名


 米沢市議会議員の過半数が結集して発足した「大久保侯捕推薦議員団」は、大久保候補当選必勝を期して粉骨砕身、奮闘努力の甲斐もなく大差をもって破れたが、市民の奥底を流れていたのは高橋院政に対する不満を起爆剤とした巨大なうねりだった。見せかけの謙虚さで市民の目は騙されなかったというお粗末。同時に市民から議員たちの信望がなかったということになるか。

元ミス花笠の不倫が招いた寺騒動

kage

2004/01/13 (Tue)

 悪徳坊主どもが暗躍するにはわけがある。住職なき空寺の壇信徒の仏事を狙って大儲けするためだ。それだけに坊主丸儲けの時代背景が存在するのだ。坊主のお布施が年々高騰をつづけ「これでは安心して死ぬことも出来ない時代になってしまった」と、年寄は嘆くのだ。なるほど、導師のお布施が50万円、伴奏者の一人あたりのお布施が8万、通常2名の伴奏者をつけるから合計で62万円かかるわけだ。地域によっては加えること戒名費用は別。ともあれ、どう考えても葬儀で請求される導師のお布施の高額さに納得がいかな いものだ。と、しながらも断りきれない請求に借金しても応じなければならない。これほど費用対効果のあがる仕事は仏事以外にはないであろう。しかも領収書も出さないのだから税務勘定にも当然ながら優遇されている。この信徒たちの仏事が住職の収入源となる。

 悪徳坊主ともの暗躍する狙いは、高額な収入を保証される空寺の壇信徒らの仏事を手中 におさめることだった。

 曹洞宗の名刹耕源寺(山形市)壇信徒数600人は山形県きっての寺だが、前住職は十数年前、愛娘をひとり残して黄泉に旅立ってしまった。寺役員は愛娘淳子さんに寺を継がせようと婿殿に適した住職候補探しに奔走したが、いずれの候補者も淳子さんのお気に召 さず、本音を尋ねてみれば好きな男はホテルマンだった。もともとホテルマン氏はミス花笠武田淳子さんの美貌に人目惚れした事情から、二年間の住職修業に永平寺に出掛ける。二年間の辛い修業から帰ってくると、あろうことか離婚話しがホテルマン氏を待っていた。美貌の愛妻は子持ちの男性と不倫関係に墜ちていたのだった。修業帰りで仰天したホテルマン氏は十年の離婚訴訟で、愛妻に心を残しながらも北海道に渡って住職をしているとの風の便り。慌てた壇信徒役員は淳子母子に寺立退き費用として3千万円を提示。しかも壇信徒の寺立退訴訟に敗訴してなお頑として立退きに応じようとしないばかりか、時間稼ぎとも思える高等裁判所に上告しながら取り下げるという手を悪用して居座りを続けている始末に壇信徒役員たちは苦渋するばかり。そこに母子を支援する新らたな坊主集団が現れたのだ。 その集団「寺族を考える会」には問題が残る。同宗派に属する曹洞宗第1宗務所の宗会議員たちと、事務局長の坊主3名が名を列ねた会であることが紛争を煽ることに なっていた。曹洞宗の最高機関宗務庁は名古屋から住職を耕源寺に配置すべく「特別兼務住職伊藤治雄老師」を派遣することに決定、檀信徒も安堵したのも束の間「寺族を考える会」の安国寺(山形市)三吉由之住職が特別兼務住職に対して「地元の寺に口出し無用」と桐喝したあげく伊藤治雄老師に「耕源寺新体制として」経営の核となる副寺・会計として山形市の万徳寺・細谷住職を入れさせて発表させた。これに驚いた耕源寺壇信徒役員は訴訟も辞さない構えで「細谷罷免」を叫んでいる。前述したように悪徳坊主たちの手の内が公に露呈したことになって紛争は高まって行くばかりだ。仏に仕える僧侶もひと皮むけば悪業三昧、仏も浮かばれまいに。耕源寺壇信徒の安泰のために尽力すべき宗会議員・事務局長らが束になって紛争にまぎれ、壇信徒仏事強奪計画は決して許せるものではない。
 「鬼の会」はインターネット網にのせて全国に向かって発進するものである。

寺族を考える会メンバー

 安国寺 ・ 三吉住職 宗会議員
 長源寺 ・ 葦原住職 宗会議員
 会林寺 ・ 後藤住職 宗会議員
 万徳寺 ・ 細谷住職 事務局長

弔問者のド肝を抜いた前市長のパフォーマンス

kage

2004/01/10 (Sat)

 故鈴木金造氏の告別式は9日午後中田セレモニーホールに400人の列席をえてしめやかに執り行われたが、まさしく、導師入場をまっている弔問者を尻目に、堂々と中央通路を祭壇中央に向かい、しかも導師の入場を待たず焼香をしそのまま式場を後に帰っていったご仁は高橋前市長。さすがに弔問者のド肝を抜くようなパフォー マンスと思われる一連の行為は不評をかった。

 焼香だけならば式場の入口に備えてある祭壇で十分意は通じるものを、今まさしく始まろうとする式場に顔を出し、喪主を目の前にしてその不遜な態度は何事。現職ならばいざ知らす時間の制約がなくなった現在、論客の告別式が済むまでせめて式場にいるべきではなかったかという誇りが弔問者大方の感慨であった。

 「ふざけた野郎だ」「選挙が不要になったからといってあの態度は 許せない」「普通の行動が出来ないわけは、現職から離れた淋しさからではあるまいか」「そうだとすれば、前市長は常に虚構の中でパフォーマンスを繰り返していたのか」「故人の意見を聞いてみたかったな」

 前市長のとったパフォーマンス的な態度は織田信長が父の葬儀の場に突如現れ、遺骸に向かって灰を投げつけた故事を思い出す。

 なんとも不可思議な光景を見たと列席者らの声。

400人の弔問をうけて、巨星旅立つ!

kage

2004/01/09 (Fri)

 議会の鬼と恐れられ、毒舌居士とうとまれつづけた故鈴木金造元議員の告別式に各層から弔問に訪れた人達で用意された告別式場は立錐の余地もなくしめやかに行なわれた。各界から寄せられた弔辞には、故人が如何に多方面にわたって奉仕活動を行なってきたかが克明に忍ばれるものであった。

 会場は言葉にならない会話で包まれていった。

 「あのとき、これだけの市民が結集してたら議場に送れたはずだ」

 「いまさら言っても始まらないが、米沢市は逸材を失った」

 導師は語る 「人間の徳は棺の蓋を閉めたときにわかるものだ」

「新米沢市長に望みたいこと」をテーマにご意見を

kage

2004/01/09 (Fri)

掲示板を活用して、思い思い自由に希望意見を述べてください。寄せられたご意見を集約して、市長に提出いたしたいと思います。

 堂々とご自分の考えを述べることが大切なことです。陰にこもって不満を我慢するような事は止したいものです。米沢市民として考えていることを掲示板でどうぞ! 大いに議論することにいたしましょう。