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第一ホテルにまつわる奇っ怪な噂

kage

2021/12/22 (Wed)

第一ホテルにまつわる奇っ怪な噂

 国は、新型コロナウイルス感染症の感染拡大と医療崩壊を防止する目的で、軽症・無症状の感染者を受け入れる施設として、ホテル等の借り上げに予算を組んだ。
 それを受けた県は、米沢市の“旧 東京第一ホテル米沢”(以後第一ホテル)を宿泊療養施設として使用し、その対価を支払う旨の合意書を締結した。

 上記の件に不審を抱いた米沢市の某氏が知事宛に質問状を送り、回答を求めているが、質問内容を入手したので披露したい。

【質問状の抜粋】
疑問1 県が“第一ホテル”を選考した基準とは
厚生労働省は令和3年4月7日に、各都道府県に対して“新型コロナウイルス感染症の治療を行う場合の換気設備について”【資料1】を通知しており、1ページには「換気設備につきまして点検が必要である」とあり、また「換気量の不足はクラスター感染の要因」とも表記しています。
当ホテルは本年6月1日、設備の老朽化を理由に本年10月1日をもって営業を終了することを公表し、空調設備は不完全であることが判明しています。にも拘わらず県は換気設備の点検を怠り、厚生労働省の基準を満たさない、クラスター発生の可能性が極めて高い“第一ホテル”を指定したのは何故ですか、経緯と指定した基準をお知らせ下さい。

疑問2 県が交わした“宿泊施設の使用に関する合意書”(以下同意書)の時期
一回目合意書を締結した相手は“株式会社ナウエル”(以後ナウエル)で、日付は令和3年10月4日ですが、この時期ナウエルはホテル営業を停止しており、当不動産の売買契約を10月6日に交わす手はず【資料2】になっていました。
県は、ナウエルと交わした“合意書の第3条”には、“本件施設の運営の譲渡”として譲渡条件が記載されていますが、二回目の“株式会社DEN ORIENTAL RELATIONS”(以後DEN社)と交わした“合意書”には“運営の譲渡”の条文が有りません。よって県は、ナウエルが本物件の売買を近日行われることを認識してナウエルと契約を締結したことは明らかです。
当時の米沢市に於ける新型コロナウイルス感染症拡大は懸念される状態では有りませんでしたし、まして換気設備が不十分で、軽症・無症状の感染者を受け入れることが出来ない当ホテルを、この時期に県がナウエルと同意書を交わす必然性とは何だったのでしょうか。

疑問3 県が交わした第二回目の“合意書”の相手
案の定、ナウエルは第一ホテルの不動産を“田邊勝己氏”に売却し、“田邊勝己氏”は令和3年10月29日に所有権移転登記【資料3の甲・乙】を行いました。
不動産の“賃貸借契約”は物件の“所有者”と交わすのが社会通念ですが、県は第一ホテルの営業を引き継ぐと報道【資料2】されたDEN社と合意書を交わしました。この行為は後日、当ホテル所有者の“田邊勝己氏”より契約の無効を主張され、トラブルの原因となる可能性の有る契約ですが、県がDEN社と契約を交わしたのは何故でしょうか。

報道サイト(http://hodotokushu.net/kaiin/kiji20210705s.html)【資料4甲・乙】によりますと“田邊勝己氏”は「反社会的勢力及び反社会的勢力への利益供与者」として警視庁組織犯罪対策総務課より家宅捜索を受けています。 よって、県は“反社会的勢力への利益供与者”として公になることを恐れ、隠れ蓑にDEN社と合意書を交わしたと推察されますが如何でしょうか。

疑問4 新型コロナウイルス感染者を当ホテルで受け入れる事態が生じた場合
第一ホテルは、本年10月1日をもって営業を終了して各設備は止まっており、特に空調設備は稼働できない状態(令和3年12月20日現在確認)が続いております。感染者を受け入れる事態が生じた場合には、相当な時間を要して各設備の点検・調整をしなければならず、同意書に定めた期間にホテルを使用することは不可能な状態です。現に本年10月から12月の間に空調設備は稼働出来なかったことから、この時期に感染者の受け入れは出来ませんでした。にも拘わらず県がナウエル及びDEN社と合意書を交わしたのは何故ですか。

疑問5 県が交わした“合意書”の内容と、県職員対応の齟齬
私は“公文書開示請求書”にて「建築物環境衛生管理基準に基づいた測定データ」を求めたところ、“公文書不存在通知書”【資料5】には“不存在の理由”として、「建築物環境衛生管理基準に基づく測定は、建築物の所有者若しくは維持管理権原者に測定及びその測定記録の保存義務があり、当課が保存するものではないため。」との返答がありました。
しかしながら“一回目合意書の第6条・二回目合意書の第5条”には「甲(県)は、本件施設の使用にあたり善良なる管理者の注意義務を負うものとする」とあることから、県は管理者としてホテルが軽症・無症状の感染者を受け入れる施設としての環境が整っているかどうかを調査する注意義務が生じます。それを「当課が保存するものではないため」と返答した根拠はどこにありますか。

疑問6 不正な利益供与の疑い
今月20日、松田課長補佐に「今後ホテルとの契約はどうしますか」と伺ったところ「再契約をする」とのことでした。
ホテルの設備は長期に亘り使用していないことから、いざ感染者を受け入れるとすると、各設備の点検・調整には1か月以上掛かるとの専門業者の説明があり、県が支払うホテルへの対価は、国が目的とする「医療崩壊を防止する目的」から大きく乖離するにも拘わらず、松田課長補佐が頑なにDEN社と合意書を交わそうとする行為に不正な利益供与の疑いを感じます。
【資料4甲・乙】で分かるように“田邊勝己氏”は「反社会的勢力及び反社会的勢力への利益供与者」として家宅捜索を受けた人物で、第一ホテル運営のDEN社が県から得たホテル賃貸料は、第一ホテル所有者の“田邊勝己氏”に還流することは容易に想定されます。
もしそうであったなら、県がホテルと再契約を行う行為は「山形県の事務及び事業における暴力団排除に関する要綱」で禁ずる“第3条 (7) その他暴力団を利するおそれがある事務又は事業”に加担する違法行為で、県は“反社会的勢力への利益供与者”となる可能性が大でありますが、第一ホテルとの再契約はどのように考えますか。

 以上のように県が“旧 東京第一ホテル米沢”を借り上げたのには裏がありそうだ。
 12/08の当ブログ“県借り上げ「東京第一ホテル米沢」の謎”と一緒にご高覧頂けたらと思う。

 疑問1の「県が“第一ホテル”を選考した基準とは」については、県職員が口を滑らし「第一ホテルを選考するよう県に要請したのは、米沢市長と米沢のS県議」と漏らしたという。
 空調設備が故障していて感染者を受け入れられないホテルに、月3千万円弱の公金を6ヶ月も払うのは、県職員と関係者にキックバックが有ると疑われる行為だ。

差出人のない手紙

kage

2021/12/13 (Mon)

差出人のない手紙
 
 過日、小生宛に差出人のない手紙が届いた。それは、本市職員の“怠慢・ふしだら”な勤務態度に憤懣やるかたない内容だ。
 このような内容の手紙は、今回だけでなく過去に数度あり、そのたびに人事課及び問題課の上司に善後策を質してきた。
 その後、問題職員への投稿がなかったことから改善されたとものと理解し、今回もそのような対応を考えている。

 小生が、このところ述べているように、公務員の体(てい)たらくぶりは目に余るものが有る。 公務員である官僚が優秀であったのは、第二次世界大戦以後、我が国が敗戦による壊滅的な状況下で、敗戦国として如何に復興するかを模索したときだ。
 その後、経済大国となってからは“遅れず・休まず・働かず”を金科玉条の“平和ボケ症状”が進み「働いても、働かなくとも給料は同じ、同じ給料なら働いて損々」と我が世の春を満喫しているのが昨今の公務員の勤務態度ではなかろうか。

 小生は元の“機屋”のとき、従業員への給料は“出来高払い”を採用し、他業種と比較しても遜色のない額を支払っていた。しかし“出来高払いは違法”との労働基準局の指導により“固定給”に切り替えたときがある。 すると生産高は何と半分に激減したことから「人間の性とはこんなものか」と感じる実体験があり「働いても、働かなくとも給料は同じ、同じ給料なら働いて損々」とする公務員の態度は良く理解できる。

 この現状を打破するには、有能な首長が人事権を駆使すればある程度可能と思われるが、そんな首長が現れることを期待する。 

美(うま)し米沢 写生大会

kage

2021/12/09 (Thu)

美(うま)し米沢 写生大会

 小生が属する“米沢御堀端史蹟保存会”主催による、市内中学校の生徒対象に「美し米沢 写生大会」を企画したところ100人の応募があり、その作品を12月8日より22日の期間で新庁舎ロビーに展示している。

 狙いは「若い人に郷土愛を持って貰いたい」との願いから、風景や建造物を写生し、それらの歴史的事柄を調べた文章を添えての企画なので、文章も一読願いたい。

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 ロビーに展示するには、管轄する財政課に申し込む必要がある為、空いている日を尋ねると「11月28日より12月4日が空いてます」と言うことなので予約を入れたところ、後日に「12月4日を他の団体に譲ってほしい」との連絡が入った。 当方は日程に縛られてはいないので承諾した。

 すると、又数日して「11月28日より12月4日は先に予約が入っていたので、12月8日より22日に変更してほしい」との連絡が来た。 いわゆるダブルブッキングによる期日変更である。 期日変更には吝(やぶさ)かではないが、市当局は何故このような管理ミスを行ったのか、文章で求めたのが以下である。

 前述した県職員による市民への対応や、今般の市職員に見られるように「公務員の能力はこの程度である」ことを、市民は認識すべきである。 

無題2



県借り上げ「東京第一ホテル米沢」の謎【その2】

kage

2021/12/08 (Wed)

県借り上げ「東京第一ホテル米沢」の謎【その2】

 前述の【謎その4】で「センター方式のエアコンと、老朽化した水道管の水には配慮が必要だが、そのことに県は全く無関心で調査を行わないのは何故だ?」に対して、県当局に文書による返答を求めたところ、驚くことに下記の回答を得た。

「建築物環境衛生管理基準に基づく測定は、建築物の所有者もしくは維持管理権限者に測定及びその測定記録の保存義務があり、当課が保存するものではない」

しかし、
 令和3年11月1日に、県(甲)とホテル賃借人で交わされた契約書によると「第5条:甲は、本件施設の使用にあたり善良なる管理者の注意義務を負うものとする」
とある。

 そして令和3年4月7日には、“厚生労働省”が各県に以下の事務連絡を行っている。

「2 新型コロナウイルス感染症患者の治療に当たり、換気設備について以下の対応を検討することとして下さい。
① 換気設備の換気量の測定等を行い、適切に機能していることを確認して下さい。
② ①の測定の結果、適切な換気量が確保できていない場合は、フィルター等の清掃や老朽化した換気設備の補修等を行うことにより、換気状況の改善を図れるよう検討を行って下さい。」

 以上を踏まえれば、県が換気設備を管理する必要があることは明白だが、「建築物の“所有者”もしくは維持管理権限者に測定及びその測定記録の保存義務があり県にその義務はない」というのなら、“建築物の所有者”と賃貸契約を結ばないのは何故だ?

 以上を鑑みれば、
① 県担当者は国からの新型コロナウイルス感染症対策として支給される一億円弱を消化すべく利権者に支給し、キックバックを目論んでいるものか?
② はたまた「米沢市では新型コロナウイルス感染症患者がこのホテルを利用することはない」との見立てから、公務員の金科玉条「遅れず、休まず、働かず」を頑なに実行しているのか?
③ あるいは、感染症の疑いがある患者がこのホテルを利用すれば、老朽化したセンター方式のエアコンでクラスターが発生することは必至であるから、そのことを喜びとする愉快犯(社会を恐慌におとしめて、その醜態や慌てふためく様子を陰から観察する・あるいは想像して喜ぶ行為を指す)か?
 
  以上の如く“県借り上げ「東京第一ホテル米沢」の謎”は深まるばかり!!

県借り上げ「東京第一ホテル米沢」の謎

kage

2021/12/01 (Wed)

県借り上げ「東京第一ホテル米沢」の謎

 県は、新型コロナウイルスへの感染者の内、軽症者の療養を目的に「東京第一ホテル米沢」と賃貸契約を結んだ。賃貸料は国(厚労省)が補助するので県の負担は無いようだが、謎だらけの賃貸契約だ。

【謎その1】 この制度の適用は米沢市以外に県内2例有るが、感染者の多い山形市や天童市にはなく、感染者の少ない米沢市が指定されたのは何故か?

【謎その2】 この契約が県と「ナウエル」で交わされたのは今年の10月4日であるが、第一ホテルは10月1日のチェックアウトでホテル業務を終了し、ナウエルは10月6日には東京の某氏(公表していない)と「東京第一ホテル米沢」の売買契約を結んでいる。と言うことは4日の時点で「ナウエル」及び「県」は、この契約が無効となることを認識していたのか?

【謎その3】 案の定、10/4交わした賃貸契約は無効となり、改めて県と、新潟市のホテルを経営する(株)DEN社と賃貸契約を結んだ。 驚いたことに、このDEN社は「東京第一ホテル米沢」の地権者ではない。 前述したように、ナウエルが売買契約を行ったのは「東京の某氏」であるから、アパートに例えればDEN社は単なる間借り人となる。
 社会通念として、アパートの借家人に「あなたの部屋を私に又貸して下さい」などの契約は行われない。
 地権者の大家と借家人の双方との契約をしなければ、米沢市の「ポポロ跡地問題」のように禍根を残すこととなる契約を行ったのは何故か?
 
【謎その4】 「東京第一ホテル米沢」は「設備の老朽化で数億円の改修費が見込まれ、営業を断念した」と報じられたように、感染者が入居するとなると、それに相応しい設備であるか疑問が生ずる。 特にセンター方式のエアコンと、老朽化した水道管の水には配慮が必要だが、そのことに県は全く無関心で調査を行わないのは何故だ? 

 かように謎だらけの県によるコロナ軽症者の療養施設借り上げだが、万が一感染者が入所した場合の経費は全額県負担である為、濡れ手で粟の「月額2,700万円強」支払われる賃貸料に有るのではないか?

 昨今世間を賑わしている日本大学のように、金が絡むと社会通念を失する場合が多い。

ある御婦人からの電話への回答

kage

2021/11/25 (Thu)

ある御婦人からの電話への回答
長井市役所
 当ブログ10/22で「福祉部門が身障者に配慮せずに、新庁舎の入り口玄関から一番遠い奥にあるのか?」との苦言に、当局より回答が来たので、同時期に完成した左図「長井市役所」と比較されたい。
 「思いやり駐車場」が玄関前にあり、かつ入り口は庁舎中央にある。
無題-1

「美(うま)し米沢」写生大会

kage

2021/11/09 (Tue)

「美(うま)し米沢」写生大会

 米沢御堀端史蹟保存会は名の通り史蹟を顕彰する団体であるが、歴史は観光の最大の要素と考え、観光産業に寄与すべく種々の企画に取り組んでいる。その一環に市内中学生を対象に、画題の歴史を知ることにより郷土愛を育もうと“「美(うま)し米沢」写生大会”を行って今年が第3回である。
 9月30日を応募締め切りとし、コロナ禍で点数は少ないと思っていたが、99点の応募あり、主催者側としては嬉しく思っている。 

 早速新庁舎ロビーで展示すべく、ロビーを管轄する財政課に使用許可を申し出たところ「衆議院選が10月行われそうなので11月以降の日程にして下さい」との事だった。 空いている日程を尋ねたところ「11月の29日~12月4日が空いています」と言うので「その日程で御願いします」と予約を入れた。

 しかし、一週間ほどして「12月4日を他の団体に譲ってほしい」との連絡が有ったので快く承諾した。しかし、しかし、また一週間ほどしたら「11月の29日~12月4日は先に予約が入っていたので、12月8日以降に変更してほしい」とのこと。

 当方の展示会は、期日の変更には何ら不都合は生じないから応じたものの、一般社会で金が動くイベントでの「ダブルブッキング」は、速賠償問題に発展するという意識は市職員にはないのであろうか? それとも「上司の指示は真面目に聞くが、市民の話はいい加減な対応で良い」との認識を持っているのだろうか? はたまた「一事が万事、市職員のレベルは低く、こんなもの」なのだろうか?
 
 12月8日から22日まで、市庁舎ロビーで作品を展示するので御覧頂きたい。

写生大会
 

コロナ禍に思う“不思議なこと”

kage

2021/11/02 (Tue)

コロナ禍に思う“不思議なこと”

 コロナ禍も沈静化の方向で安堵の気持ちが広がっている10月に、下記のチラシが米沢市中央地区の一部に配られた。
 配布者は「山形県」で、日付は今年「10月6日」とあり、「旧 東京第一ホテル米沢」を新型コロナ感染者を受け入れる施設として借り上げ、整備するという内容である。

◆疑問-1
 当県、ことに米沢市では感染拡大に向かっている時期にさえ病床不足は発生していないのに、何故コロナ禍が沈静に向かっているこの時期に「旧 東京第一ホテル米沢」と契約し整備費を投入するのであろうか?
◆疑問-2
 チラシ配布が米沢市の中央地区一部だけだが、感染力の強い患者を市の中央部で扱うとすると、当然米沢市民の関心は強いので、市と連絡を密にし「広報よねざわ」等で報道し、市民の理解を得るべきと思うが?
◆疑問-3
 チラシにある「10月6日」は「東京第一ホテル米沢」のオーナーである「ナウエル」と東京在住の篤志家間で「売買契約」を結んだ日である。【参照】あくまでも売買の契約であるから「所有権」の移転登記は為されず、オーナーは「ナウエル」で 「東京第一ホテル米沢」は実在していたことになる。にも拘わらず、県は「旧 東京第一ホテル米沢」を借りると表記したのだろうか?
◆疑問-4
 県は誰と賃貸契約を結んだのであろうか? 譲渡先の篤志家との契約はどうなっているのだろう? 新潟のDEN社が来春ホテルを開業すると言うが、県が整備した客室はどうなるのであろうか? 新潟のDEN社との契約はどうなっているのだろうか?

 県によるチラシ配布に、市井には「神の声」が有ったのてはないかとの噂もあり、当会は情報収集に当たっているので後日詳しい内容を伝える予定。
県チラシ

雲井龍雄を語る

kage

2021/10/28 (Thu)

雲井龍雄を語る

雲井竜雄
 10/23に笠井尚(かさいたかし)氏による「土俗的革命家雲井龍雄」と題する講演を拝聴した。米澤藩士「雲井龍雄」は戊辰戦争での活動家である。
 戊辰戦争では「奥羽越列藩同盟」のもと、米澤藩は会津藩と共に薩長軍と戦うも、米澤藩は早々と敵軍に恭順したことから、今でも米沢市民を快く思わない会津住民も居るという。
 講師の笹井氏は会津生まれの会津育ちと言うこともあり、米沢市民への感情はあまり良くないと思っていたが、講演内容は「雲井龍雄」を賞賛するものであった。

 小生は講演内容よりも、主催者が配布した文芸春秋10/10の記事「河野家三代の血脈」の一文に興味を持った。そこには、河野太郎代議士の祖父である一郎氏について次のように載っていた。・・・朝日新聞の入社試験では、英語がちっとも分からず、「有為な青年を選抜するのにこんな試験をするのはおかしい」と猛然と批判。幕末の志士・雲井龍雄の「天門の窄(せま)きは甕(かめ)より窄し」の詩を答案用紙いっぱいに書いて提出した。・・・とある。
 結果は不合格であったが、このように雲井龍雄の詩は政治家に限らず、多くの人々に口にされ、士気を鼓舞したという。

 NHKの大河ドラマでも明治維新を取り上げている今、米沢市民は雲井龍雄に関心を持って貰いたいと思っている。

【雲井龍雄のこと】
 時は幕末、260余年続いた江戸幕府も、農業中心の時代から商業中心の流れの変化や、列強諸外国の我が国への干渉など、これまでの幕藩体制では抗しきれない状況が日増しに強くなっていた。
 此の状況に、薩摩藩を主とした「公武合体派」は、日本の植民地化を防ぐべく開国し、朝廷との協調運動を進めようとする一方、長州藩を主とした「尊皇攘夷派」は、弱体化した幕府を打ち倒し、干渉してくる諸外国を排除しようと主張し、各派の衝突が京の随所で勃発していた。諸藩は、此の流れに如何に対処するべきかを模索していたが、慶応3年12月9日(1868年1月3日)に、京都で王政復古の大号令が断行されると、米沢藩は情勢探索の命を雲井龍雄に下したのであった。
 雲井龍雄は秀才の誉れ高く、慶応元年(1865年)藩主上杉齊憲に従い江戸に出府すると、安井息軒の三計塾に入門し塾長にまで上り詰める。ここで雲井は全国諸士の知遇を得て此の塾を拠点に政治情報を収集したことが、後々彼の行動に大きな影響力を与えることとなる。
 情勢探索のため雲井が京に赴くと、強引な倒幕・倒会津を進める薩摩藩の方針に異を唱え、薩摩藩を政権から排除すべく討薩を広く呼びかけていくが、諸藩の態度は曖昧であった。
 勢いを増す薩摩藩は江戸で火付・強盗・殺戮の暴挙をもって幕府を挑発したことにより、ついに幕府は1868年(戊辰の年)に鳥羽伏見にて薩摩藩への攻撃を開始する。すると、薩摩は朝敵である長州及び倒幕派の公家と手を結び、未だ幼き天皇を蔑ろにして「錦の御旗」を掲げ官軍であることを表明した。官軍に抗えば賊軍になることを恐れた多くの藩が薩長軍(以下西軍)に寝返ったことから、勢いを増した西軍は東北へと進攻すると共に、東北諸藩に会津討伐の命を下したのである。
 東北諸藩は、西軍の会津討伐に義のないことから、会津藩を援護すべく奥羽越列藩同盟を結成し、雲井は「討薩の檄」なる書状をもって、東北に限らず諸藩に西軍との抗戦を訴えた。かくして戊辰戦争は東北を戦場として激戦が展開されることとなる。しかし、銃砲に勝る西軍に東北諸藩は恭順するに至り、東北での戊辰戦争は終焉を迎え、翌年函館戦争を最後に旧幕府勢力は排除され、薩摩・長州両藩出身の官僚層を中心とする急進的な近代化政策を推進する新政府が設立された。
 雲井は安井塾の旧友稲津渉により新政府の集議院(政府の諮問機関)に推挙されるも、薩摩を批判してきたこれまでの言動から集議院での身の置き所は無く、一ヶ月足らずで集議院を去ることとなる。
 新政府が設立されると、これまでの幕藩体制の士族は浪士の身となり、彼らの鬱積する状況は反政府運動の兆しとして全国的に広まっていた。
 集議院を去った雲井は、浪士らを天兵として採用するよう明治3年に新政府に嘆願書を提出したことにより、雲井に多くの賛同者が集まることとなった事態を危惧する新政府は、反政府運動を圧殺する手始めとして雲井を政府転覆陰謀の名の下に捉え、深く取り調べも行われず罪名の不確かな「仮刑律」が適用され、同年12月26日(1871年2月15日)に判決が下った2日後に小伝馬町牢獄で斬首刑に処され小塚原刑場に梟首された。
◇雲井龍雄の辞世
死不畏死 死して死を畏(おそ)れず
 生不偸生 生きて生を偸(ぬす=盗)まず
 男兒大節 男児の大節は
 光與日爭 光(かがやき)日と爭(あらそ)う
 道之苟直 道 之(これ)苟(いやし)くも直(なお)くんば
 不鼎烹憚 鼎烹(ていほう=釜茹刑)をも憚(はばか)らず
 渺然一身 渺然(びょうぜん=極小)たる一身なれど
 萬里長城 万里の長城たらん        享年27才。
 雲井龍雄は旧士族の待遇を嘆願し、薩摩藩専制による藩閥体制の新政府を批判し続けて明治3年に処刑されたが、明治7年頃、旧士族や農民たちは雲井同様に明治政府の体制である藩閥政治を批判し、国民の政治参加や国会開設、立憲政体などを要求する自由民権運動が盛り上がり、運動の志士たちは好んで雲井龍雄の漢詩を口にしたように、雲井の藩閥政治批判の思想は、後の自由民権運動に繋がって行くのであった。
※参考文献 友田昌宏著「東北の近代と自由民権」 高島真著「謀殺された志士 雲井龍雄」 

NHKラジオ中継放送所の移転が具体化

kage

2021/10/26 (Tue)

NHKラジオ中継放送所の移転が具体化

 上記は現在「米澤城二の丸跡地」に設置され、米沢御堀端史蹟保存会は「鉄塔や張り巡らされた鉄線の景観は、価値ある史蹟に相応しくない」として10年前より市当局に「NHKと移転交渉を行うよう」要請を続けてきた。が、担当職員の働きは捗々しくなく、そこで個人的に他県の大物代議士の力を借りてNHKと交渉を進めて貰ったのが5年前である。そのとき指摘されたのが「市は本腰を入れてNHKと交渉していない」と言うことだった。
 そのことを担当職員に伝えたが「蛙の面に小便」の態度で進捗は見られなかったが、芳賀道也参議院議員が今年6月の国会でNHKに質したことから具体的な移転時期の回答を得ることができた。詳細は以下に米新10/25の記事を掲載する。
 
 松が岬公園西南角付近に設けられている「NHKラジオ米沢中継放送所」の移転先が米沢市直江石庭1番3地内に移転することが分かった。すでに所有権移転登記がことし9月28日に終えていることも分かった。

 NHK米沢中継放送所は昭和27年度に市の働きかけで、松が岬公園に設置、ローカル天気予報や郷土紹介などが行われてきた。
 しかしNHKの方針などで山形市に重点施設は移動し、高いアンテナと無人の施設について目立つようになっていた。付近住民からは「観光地にアンテナなどの施設は必要ない」などの声が高まって移転要望が出され国会でも取り上げられていた。
 移転地は直江石堤1番3で、ニツセキハウスグラウンド貸し施設付近。所有権移転登記は今年9月28日に終了、面積は1万611平方㍍。
 移転に向けた今後のスケジュールによると今月から設計・建設開始、令和5年移転先からの放送開始、令和6年度現在用地を市に返還予定となっている。
 市では、跡地利用について市庁内で協議のほか地元関係者からの意見も確認することにしている。(以上米新より)

 跡地利用については「米沢御堀端史蹟保存会」が中心となって「NHK跡地整備推進協議会」を立ち上げ検討を進めている。

ある御婦人からの電話

kage

2021/10/22 (Fri)

ある御婦人からの電話

 御婦人曰く「福祉課受付窓口が、入り口玄関から一番遠くて奥にあるのは納得できない、障害者や高齢者を思いやるなら入り口に近く設けるべきではないか!!」と憤懣やる方ない様子だった。
 そこで小生は福祉部の神保課長を訪れ「何故一番奥なのか?」を質したところ、理解し難い説明だったので書面での回答を求めた。返事が来たらこのブログで公開するつもり。
無題-1


 米沢市の新庁舎は、外構及び旧庁舎取り壊しを含めると約80億円という巨額の建設費で、今年5月1日にオープンした。 しかし使い勝手は前述御婦人に限らず、安部三十郎前市長に「議場の設計が悪い」と山新に投稿されたし、小生も複数の階に用があった場合など、関係窓口までの導線の長さにウンザリする。 庁舎東西の真ん中に、玄関や階段・エレベーターを設ければ使い勝手が良いというものだ。
無題-2


 新庁舎はそれだけではない。写真は庁舎南側の部分だが、半年も経たないのにこの景観だ。一般市民が大金を掛けての新築自宅なら、工事会社に文句の一つも言いたい所だろう。
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 新庁舎の入札は公募型プロポーザル方式で、竹中工務店・後藤組・置賜建設・久米設計・特定建設工事共同企業体が落札したものだが、小生はこの時点からキナ臭さを感じていた。
 というのは、応募業者の工事額が同額である点と、落札した竹中工務店は「鉄骨構造」にも拘わらず、鉄骨構造より坪単価が高い称される「鉄筋コンクリート構造」の競合他社と同額である。同額ならメリットの多い鉄筋コンクリート構造を選ぶのが常識であろう。
 百歩譲って「工事費にとらわれず、市民・職員の使い勝手の良さで竹中工務店に決定した」と言うのなら納得もするが、前述の如き甚だ使い勝手が悪く、「責任者出てこい」と叫びたい心境だ。

 因みに審査委員会の面々は以下である。

会 長  山形大学工学部 建築・デザイン学科 教授 三 辻 和 弥
副会長  仙台高等専門学校 建築デザイン学科 教授 坂 口 大 洋
委 員  山形県県土整備部 建築住宅課営繕室 営繕室長 髙 橋 光 一
委 員  公益財団法人 山形県建設技術センター地域支援部参事(兼)建築課長 庄 司 久 一
委 員  米沢市副市長 井 戸 將 悟

 お気づきであろうが、立派な肩書きで市民を納得させようとする、行政の常套手段。

リモート芋煮会

kage

2021/10/15 (Fri)

リモート芋煮会

 年初に企画し、全国に発信して参加者を集い、10/10に松川河川敷で「上杉衆 これぞ芋煮会」を大々的に行おうとしたが、コロナ禍は収まらず、止むなくリモート芋煮会となった。
 これには、山形県立米沢女子短期大学の協力を得て、10/10にオンライン会議で実績のあるZoomで送受信を行った。その様子は同校の米短ホームページを覗いてもらいたい。

 初めての試みと言うこともあり、至らない点が多々有ったと思うが、参加者には概ね好評であったので、来年は松川河川敷でリアル「上杉衆 これぞ芋煮会」を開催し、その様子を全国にWeb発信しようと思っている。

 以下は、事前に少数で河原に行き、実際に芋煮を作ったときの写真で、10/10のリモート芋煮会に使用した。

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季節外れの啓蟄

kage

2021/10/12 (Tue)

季節外れの啓蟄

 2年近く続いたコロナ禍は世界中に影響を与え、人々の行動は萎縮した。この間、持病持ちの小生は正に「巣ごもり」状態で過ごし、ブログ更新も怠っていたが、コロナ禍も漸く沈静化の方向にあるので、季節外れの「啓蟄」(冬ごもりをしていた虫が気候が暖かくなって外に出てくる時期)の如く、以前のように当サイトを更新する予定。

 直近に思うこと!!
 数日前に日本大学の付属病院設計に関する背任事件が報道され、それによると、
・・・病院の設計業務契約について、設計料の金額に関係なく、提案内容などを審査して決める「プロポーザル方式」で設計業者を選定することとし、プロポーザルには4社が参加し、都内のある設計会社に発注先が決まった。
 この際に、井ノロ容疑者は審査に関与し、この設計会社が受注できるように評価点を上げ、他の3社を下げるといった改竄を行い、受注した設計会社に対し、井ノロ容疑者の指定する会社に2億2千万円を送金させた・・・

 米沢市民にとって「日大の背任事件などは無関係」と関心は薄いだろうが、米沢市でも市立病院の設計業者を選定する際に、上記のような背任行為が行われたのでは?と思わせる行為があった。

 市立病院の設計業者選定に当たっては、今般の日大と同じ「プロポーザル方式」によるもので、複数の応募があったが、令和元年8月京都の(株)内藤建築事務所に1億六千六百万円で発注された。
 が、驚いたことに、この内藤事務所は愛媛県より令和元年6月10日から令和2年6月9日までの1年間の指名停止処分を受けているのである。この1年間の指名停止と言うのは異例とも言うべき長期であり、「余程の悪行を犯した業者だろう」と業界通の間で噂された。
 
 因みに、(有)今田土建の道路補修工事に、米沢市は刑事告訴を行い有罪が確定した結果、平成30年12月10日から平成31年 3月31日の三ヶ月と20日程の処分であったことを鑑みれば、刑事罰を受けてもいない内藤事務所への1年間の指名停止は如何に異常か分かろうと言うものだ。

 通常、行政は脛に傷ある業者への発注は避けるもので、前記の今田土建には指名停止が解けた後も市からの発注は無いという。

 プロポーザル方式での業者選定は、選考委員数名が総合的に評価した合計点数で決められるため、日大の井ノロ容疑者の如く彼らの匙加減でいかようにも決せられる。
 小生は、証拠は無いが市立病院の場合にも「神の声」が有ったと思っている。

 議会で、小中学校の児童生徒に提供する給食に当たっては「センター方式」を採用することが議決されたが、「センター方式」と決めた教育委員会に、日大の井ノロ容疑者と同じ匂いが感じられ、現在しらべている。

上杉氏へ

kage

2021/09/05 (Sun)

上杉氏へ

 当ブログは、なるべく面談し裏を取って掲載することをモットーにしているが、このコロナ禍で面談も捗々(はかばか)しくなく、巣ごもり状態で更新も滞っていたが、上杉氏より10/10の芋煮会に付いての投稿があったので答えたい。

 9/3に役員会を開き関係者には以下の連絡を発信することにした。しかし開催日当日配布する小冊子はできているので紹介したい。

「上杉衆 これぞ芋煮会」ご参加の皆様へ

 この度は、多数のご参加を賜り誠にありがとうございました。深く感謝を申し上げます。
 皆様に本企画をご案内申し上げました当時、コロナウィルス感染問題は沈静化に向かうものと考え、開催日の10月10日に皆様とお会いできる日を楽しみに催事の段取りを進めて参りましたが、意に反し9月に入りましても下火の兆しどころか蔓延にストップがかからない状況が続いております。
 3密防止を図りながらの屋外イベントと申し上げましても限界があり、ご参加者皆様のご健康と安全を第一に考えれば一堂に会してのリアル開催は難しいと判断せざるを得ないことから止む無く中止することとし、リモート発信に切り替えたいと思う次第です。(当初のご案内に記載致しました注意事項により)
 延期も検討致しましたが、コロナ問題の収束時期が不透明な上、芋煮会のシーズンから外れてしまうことから、断腸の思いでリモート発信に切り替えますことをここにご連絡申し上げます。
 何卒、事情ご賢察の上、ご了承下さいますようお願い申し上げます。
 尚、最初からリモートでの参加を申し込みされた方並びにリアル開催に参加をご希望された方には、「芋煮セット」を前日の10月9日着でお送り申し上げますよう手配しておりますのでお受け取り下さい。
 芋煮セットの到着日に関し変更を希望される方は、9月30日(木)までにお知らせ下さいますようお願い申し上げます。
 又、リモート発信の要領に関しましては別紙説明書をご覧になって頂き、当方からの発信スタート時間帯迄に受信可能な状態に段取って頂きたく、ご準備下さい。
 来年度も「第2回上杉衆これぞ芋煮会」の開催を予定しておりますが、それまでにはコロナ問題も落着し、来年こそは楽しい芋煮会を通し皆様と強い絆で結ばれますことを強く願っております。
 次回も是非ご参加を賜りますよう、重ねてお願い申し上げます。  以上


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米澤城二ノ丸の謎

kage

2021/06/01 (Tue)

米澤城二ノ丸の謎

 初代米澤藩主「上杉景勝公」の居城である米澤城を訪れ、天守閣はおろか、石垣もない造りに「ここがお城ですか?」といぶかる観光客が多いという。 何故このような「地味な城」であるかの解説は別の機会に譲るとして、注目すべきは二ノ丸である。
 景勝公が城主の時代には「法音寺」「大乗寺」を始め20もの寺院があり、このような城は他に類を見ない希有な存在なので、「二ノ丸の謎」としてその解明に取り組み、いずれは米澤城二ノ丸の特異性が観光の誘客に供することを願っている。
 しかし、このように歴史的貴重な二ノ丸跡には、昭和27年(1952)以来、NHK放送中継所が設置され、鉄塔や鉄線が著しく景観を阻害する現況にあった。
 そこで、小生が属する「米沢御堀端史蹟保存会」では、平成24年(2012)に安部三十郎市長宛に陳情書を提出し、放送中継所の移転を願い出た。

 しかし、行政の反応は鈍く進展が見られないことから、当時の鈴木章郎市議に議会での発議を御願いしたり、諸代議士にNHKへの進言を御願いしたが、話が劇的に進展したのは、安倍晋三総理の側近であるO代議士がNHK経営企画局のY特別主幹との折衝を行った平成27年(2015)の年である。
 O代議士は他県の選挙区であるが、その秘書が米沢市出身と言うことで力を貸してくれたという次第で、今後NHKと市との交渉についての注意点を記した手紙が小生宛に送られてきた。

 早速、担当の企画調整部長に報告に行ったところ「ここまでやって貰えば、後は私どもにお任せ下さい」と、民間が市行政に口を挟むとスムースに事が運ばないから手を引いてくれとのことだった。

 その後、当局を訪れ進捗状況を尋ねても「NHKと折衝は行っていますが、詳細に付いては口外できません」との返答が令和2年(2020)まで続いた。
 お役所仕事とはいえ余りにも時間が掛かっていることから、今年に入って参議院議員の芳賀道也氏にこれまでの経過を説明し、力添えをお願いしたところ、本日6/1の参議院総務委員会で「米沢のNHK放送中継所移転の進捗は?」とNHKへの質問に、児玉圭司NHK理事・技師長は「2023年に移転し、2024年には米沢市に更地で返還します」と返答した。
 続いて芳賀議員の質問「移転費用の負担を米沢市に求めますか?」に対しては「考えておりません」との返答があった。

 苦節10年、漸く米澤城二ノ丸が史蹟としての価値を世に広めることができると、小生は芳賀道也参議に感謝の意の一報を入れた。

上杉衆 これぞ芋煮会

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2021/05/21 (Fri)

上杉衆 これぞ芋煮会

 秋の風物詩として、山形市の馬見ヶ崎河原で行われる大鍋芋煮が全国的に有名になったが、小生としてはショベルカーがお玉の代わりと言うのは馴染めない。
 当地の芋煮会と言えば、松川河川敷などで石の竈を作り、鍋に材料を入れ各自で味付けしたものをグループで食したものだが、最近は業者に頼んで出来上がった芋煮を椀に盛るだけの芋煮会が主流のようだ。

 米沢には次の伝承がある。

 応永三十一年(1406)八月十五日大井田経宗は、尹良親王を奉じ、一族を率いて諏訪から三河に向かう途中、野武士に襲われ戦死する。尹良親王は自刃し、羽川刑部他二十数名が親王に殉じたという。
 その後、大井田氏は上田長尾氏と同盟関係結び、御館の乱では上田衆として出陣して上杉景勝の下で活躍した。
 時を経て、一族が先阻の地「魚沼」を去った日は旧暦八月十五日とされており、その別れを惜しむ人々が里芋等を持ち寄り、一族の息災と、戦で亡くなった先人の鎮魂を願って、野外で芋煮の宴を開いたとの伝承があり、末裔は現在でも旧八月十五日に芋煮の宴を開いている。

 小生の属する米沢御堀端史蹟保存会では、この伝承を米沢衆芋煮の発祥と捉え、来る10月10日に昔ながらの芋煮の会を開こうとゆうことになった。
 初期費用の捻出はクラウドファンディングで行い、全国的にPRすることにより町の活性化に繋がればと願っている。
 ネットで「上杉衆これぞ芋煮会」と入力するとファンディングのサイトに入れるので、是非ご覧頂きたい。


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新庁舎オープン②

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2021/05/16 (Sun)

新庁舎オープン②

 5/14に初めて新築の市庁舎に印鑑登録証明書を貰いに訪れた。申請用紙に記入する台の一番東側テーブルは人がいるので2番テーブルで申請書に書き込もうとしたが印鑑登録証明書の申請用紙がない。係員に尋ねると「一番東側テーブルにだけ置いております」とのこと。 旧庁舎ではどの申請記入台には用意されていて便利だったが、新庁舎でこうしたのは何故か後で尋ねてみる。

 小生は本市の人口動静に興味があり、月に一度は旧庁舎ロビーの掲示板を常に注視していたが、新庁舎にはそれがない。係員に尋ねると「ここに掲示しています」と指さしたのは、何とペラのA4用紙に印刷したもので、その前にはその数字を隠すが如く観葉植物の鉢が置いてあった。
 中川市長は「人口減少に歯止めをかける」と選挙公約で謳ったが、豈図らんや(あにはからんや)本市人口は減少の一途を辿り、有効な具体策も示されない状況から、市民に余り知られたくない心境の表れか? 

 新市庁舎西南にあるレリーフ像に気づいた市民もいると思うが、これは直江兼続公である。この像は数十年前に米澤新聞社が市に寄贈した物だが、旧庁舎西側の人目に付きにくい場所に設置されていた為、市民の多くは気づいていない。
 そこで市の、財政課に「庁舎が新築されるのを機会に、米沢市のまちづくりを行った公であるから人目に付く良い場所に・・・」と要望していたところ、現在の場所に設置された。
 一説によると「直江公は冑山を目印に町割りを行った」とあり、その公が冑山を眺めてのレリーフ像の設置場所に満足して、過日財政課を訪れ感謝の意を表してきた。
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新庁舎オープン

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2021/05/06 (Thu)

新庁舎オープン

 米沢市・長井市・川西町の庁舎が同じ時期に新築され、同じ時期に開庁式が行われたが、これは新耐震基準導入前に建設され、耐震化が未実施の市町村の本庁舎の建て替え事業(令和3年度完成)に国が補助金(井戸副市長からは建築費の22%と聞いている)を支給する制度によるものだ。

 本市の旧市庁舎は、吉池慶太郎市長時代の昭和45年に建設され、耐震化は施されていないことから建て替えられたものだが、新庁舎の西側の敷地に吉池慶太郎氏の半身像が新庁舎に向かって(東向き)に設置された。このことに異議はないのだが、銅像の向きに関しては・・・・

 松が岬神社の東側に「上杉鷹山公座像」があり、以前は参道にお尻を向けていたが、現在は参道を向いている。これに関して小生が関わったので述べてみたい。

 参道にお尻を向けて設置した経緯は、30数年前に小生が属する米沢松岬ライオンズクラブが周年事業として「上杉鷹山公座像」を市に寄贈することになった。市の担当者は「県の助成金を貰って整備した公園で、メインは噴水だから、それに背を向けることはできない。像が噴水向きに設置するのが条件」と言うので不本意ながら参道にお尻を向ける格好となった。

 上杉神社を訪れる観光客の多くが、ボランティアガイドに「何故参道にお尻を向けているのか」との質問に答えるに窮して「鷹山公は市庁舎の方向を向いて職員の働きぶりを監視しているのです」と説明していた。

 その後、小生が米沢松岬LCの会長のとき、高橋幸翁市長に「市の予算で参道向きに変えていただきたい」旨の陳情書を提出した。市長は「今は予算が取れないので何れ」との回答に余り期待はしていなかったが、数年して「予算が付いたので工事を行う」との連絡が入り現在の向きになった。

 このように、国・県の助成金や補助金を利用した事業には、お上の顔色を窺いながら業務を進めることから、国の補助金を導入しての新庁舎に、お上の威光は如何なものかと「上杉鷹山公座像」の向きの経緯を思い起こした。

 間もなく見納めとなる新旧庁舎の揃い踏み
 
進級市庁舎
 

桜花爛漫

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2021/04/22 (Thu)

桜花爛漫

 世はコロナ禍で不要不急の外出を自粛するよう叫ばれているが、各地の桜は「我関せず」と本年も見事に開花した。そうなると桜見に出かけたくなるのが人情である。

 昨年計画していた福島県猪苗代町の「観音寺川の桜並木」はコロナ騒ぎで中止したが、本年は三密を避ければ感染の恐れはないと独断し、4/16桜見に行くことにした。
 混まない早い時間に到着するよう米沢を午前6時に出発し、現地には8時前に到着すると、案の定人はまばらで、ゆったりと花を観賞することができた。  
 写真のように、川幅5mほどの堤防両側に並ぶ桜は人が植えたもので、苗木からこのように育つのは30~50年の年月を要する。
 ところで、米沢の桜は殆ど老木が目立ち、その状況を心配した上杉家第17代当主の上杉邦憲氏が、一般社団法人霞会館にお声をかけた結果、2018年に桜の苗木200本が本市に贈呈されることになった。
 植樹や更新は米沢市が主体となって行う計画とのことで、先ず、旧愛宕小学校界隈から始めると言うが、見応えがあり多くの見物客が訪れるようになるには数十年を要し、果たして米沢市の職員によるお役所仕事でどうなるものかと危惧する次第。
(観音寺川の桜並木)           (松川河畔敷の桜並木)                
観音寺川 松川河畔







山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ⑤

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2021/04/20 (Tue)

山形大学xEV飯豊研究センター(飯豊町)の怪!! ⑤

 後藤幸平町長が掲げた「飯豊電池バレー構想」に専門職大学の誘致がある。
 内容は仙台の赤門自動車整備大学校を経営する学校法人赤門学院が飯豊に私立4年制大学の「モビリティシステム専門職大学」を開校し、「電池」「駆動」「車体」「情報」を柱に、電池とモーターで動く様々なシステムを学習するのだという。 そして専任教員の4割以上は実務家教員(企業などで活躍した優秀な方)で、最新の活きた知識と技術を学べるとある。

 開学に向け、2019年10月に文部科学省へ申請し、本年4月に開校すると広報していたが、未だ開校したとは報じられていない。山形大学xEV飯豊研究センターのつまずきで「飯豊電池バレー構想」が大きく揺らいでいるように思えるが?

 新しく大学を開学し運営するには相当難しい問題をクリアしなければならず、まして永年に亘り継続するには高度の経営ノーハウを必要とする。

 30数年も前の話になるが、時はコンピューター時代の草創期で、各企業が自社に合ったアプリケーションソフトを求めていた。それに伴い、各地にコンピューターアプリケーションソフトの開発会社が設立され、システムエンジニア(SE)がもてはやされていた。
 当地、米沢にも白布温泉に向かって泉町踏切を越えた右手にソフト(アプリ)開発会社の高層ビルが建設され、それに付随して同敷地内にアプリを学ぶ学校も開学された。
 開校間もなくして、知人より「学校運営に手を貸してくれないか」との依頼があったことから、早速校長と面接し小生のやるべき仕事内容を尋ねたところ、学校運営には金が掛かるので「企業からの資金集めが仕事」だと言う。
 企業が学校に資金を提供するには、開発しているアプリが優秀であるか、卒業生が優れたSEとして採用できるか等のメリットを期待するものなので、その辺を質問したが、とても小生が考えるレベルに開きがあったので丁重にお断りしたことがあった。そして間もなく学校は倒産した。

 その頃、特許保有件数世界一の西澤潤一教授が東北大学にいて、多数の企業が資金提供を申し出ているテレビ番組が放映されていた。そして西澤教授の指導を求めて入学した学生に、舛岡富士雄氏、江刺正喜氏、小柳光正氏等がいて、その後、世界に名を馳せる研究者となった。

 自動車無しでは考えられないこの時代に、電気自動車や自動運転の車の草創期を感じ、それに伴う技術者の養成を目的とする飯豊町の「モビリティシステム専門職大学」の開学は時代にかなった計画だが、小生は30年前の経験を思い起こし、飯豊町はこの「難事業」をどう達成するか興味津々であり、成功することを祈る。
【完】