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團十郎

kage

2017/08/18 (Fri)

團十郎團十郎
 團十郎と言えば通常は歌舞伎界の市川團十郎を指すが、鉢植えの朝顔團十郎を友人から頂いた。
 草花にはとんと疎い小生だが、「茶色の花の朝顔が咲くよ」との説明に興味を持って開花を待ちわびていたが、漸く一輪開花した。
 花は写真のように海老茶色で、二代目市川團十郎が、歌舞伎十八番の内「暫」で用いた衣装の色にちなんで命名され、黄緑色の明るい葉色と相まって美しいコントラストをなす。
 この種は江戸時代に固定化されたのだそうで、江戸時代の花を愛でる文化が継承されて現在に至るが、はっきりと團十郎の特長を持つものは珍しく「幻の朝顔」とも言われている。

 朝に開花し、昼には萎んでしまう儚(はかな)い花の命だが、早めに花を摘み取らないと種子を作るために次の花が咲かないと聞き、10時に花を摘み取った。これからも何輪か咲いてくれるものと期待している。


油汚染、市対応に疑問!! ②

kage

2017/08/16 (Wed)

油汚染、市対応に疑問!! ②

 今般、住民の願いとして「要望書」が市長宛に提出された。これに対して「県とも相談して対応する」とのことだが、米新によると「時期が示されない」と書かれている。

 行政マンが「善処する」「前向きに検討する」等の語彙を耳にする住民は、「やってくれるだろう」と期待するが、実行する期日を明示しない場合には「やる振りをして、何もやらない」と言うのが実態である。

 そもそも「遅れず、休まず、働かず」「何もやらないのが最大の美徳」を金科玉条とする市職員(議員を含む)であるから、今回の要望書に対してもそのような結果になると思われる。
 このような場合、市長が担当部長に「○○迄やるように」等の指示を出せば話は別だが、中川市長の就任後を観察しても「○○に任せてある」として、強い指導力は感じられない。

 改めて今回の「要望書」を眺めると、河川への油流出があった。市は対策として、河川への油流出口を塞ぐ・オイルフェンスの設置の措置を行い、「環境基準値を下回る汚染度なので健康に害を及ぼさない」との態度で放置しているが、現在でも河川汚染は続いている。
 もし、地下タンクに多量の油が残存した場合、地下水を利用している住民・企業に多大な影響を与えるし、その不安を持ち続けなければならない。
原因は、廃業した丸山染色の地下タンクからの流出の可能性が高いので、調査を依頼する。との内容だ。

 小生は「要望書」が提出される前に、担当部課長と面談したが、「現在は健康被害や、実害の届け出が無い」ことを理由に「静観する」との考えだ。

この考えこそが「行政マンは鬼のようだ」と当会が主張する要因だ。一般企業なら、後々の水質汚染による補償金や賠償金の事を考え、早急の対策を講じるところ、市の担当職員は「実害が無い事に対応しろとの決まりは無い」と嘯(うそぶ)き、実害が出たときは「想定外でした」と釈明し、「どうせ市民の税金で賄われる」「自分の懐は痛まない」と、市民のために奉仕する気などさらさら無い。そして手にするのは年収約800万円と退職金の約3千万円である。
 
 「市民のために奉仕する気などさらさら無い」の証明は「県と相談する」との文言にある。即ち、今般は米沢市の問題であり、油流出の源を特定し、今後の危険を調査するのに、県に何を相談しようとするのであるか?

 

油汚染、市対応に疑問!! ①

kage

2017/08/15 (Tue)

油汚染、市対応に疑問!! ①

鍛治川油

 昨年11/22に震度4の地震の後、鍛治川(東高北側から商工会議所-四中方面に流れる)へ油の流出があり、県・市・消防が調査を行い、オイルフェンスの設置や、川への油流出口を塞ぐ工事を行った。
 しかし9ヶ月経過した現在でも油の流出が止まらないことから、地元住民を始めに20数名の署名を添えて、対策を講じるよう8/10中川市長宛に「要望書」の提出が行われた。
 その全文を入手したので以下に掲載する。


【要望書】
 昨年11月22日早朝の福島県沖地震後、城北一丁目地内の鍛治川に重油の流出が確認され、県・市に対策を求めたところ、それなりの措置は施されましたが、未だに川面への流出が確認できる状況にあります。
 市当局の見解は、流出は健康被害を及ぼす程のものでは無い事を理由に静観するとのことですが、汚染被害は河川だけに限らず地下への浸透も想定されます。
 吾妻硫黄鉱山は廃坑後何十年経過した現在でも害を及ぼし、ユニオン電機がテトラクロロエチレンを地下へ廃棄したことから、地下水に害を及ぼすなどの例があるように、地下汚染は何年も市民生活に害を及ぼすことが懸念され、決して看過できるものではありません。
 さて、今般の油流出は、元丸山染色の地下タンクに重油が残留していて、地震によるタンク破損が原因と考えられます。その場合には河川への流出よりも地下への浸透の方が深刻な被害を起こす可能性が大であり、地下水を利用している市民・企業への影響は計り知れないものが有ります。
 よって、元丸山染色地下タンク脇の市道をボーリングを行い、地下汚染の程度が将来に影響を及ぼすものか否かの判断を求めたく、ここに住民の署名を添えて要望致します。
平成二九年八月吉日

【続く】

東京の友人の友人氏へ④

kage

2017/08/14 (Mon)

東京の友人の友人氏へ④

 度重なるご意見に感謝申し上げる。

 地元の偉人や象徴を、フィギア・モニュメントとして設置することは何処の地域でも見られることである。その場合に頭を悩ますのが何処に置くかだが、小生は前田慶次に限らず設置場所選定に関わったので述べたい。

◆上杉神社参道に上杉鷹山公座像のとき。
 今から30年程前のことになるが、所属していた松が岬ライオンズクラブの周年記念事業として上杉鷹山公座像を米沢市に贈呈する事と決まった。
 市にそのことを申し出ると受け入れに難色を示したので、米沢駅前広場が候補地に上がり交渉したが、場所が無いとのことで断られた。

 再度米沢市に「上杉神社参道(現在の場所)」への設置を申し出ると、「あの場所は県の補助金を得て作った公園で、それを象徴するのが噴水だ。そのモニュメントに尻を向けることは罷り成らん。噴水と正対する向きなら良い」とのことで設置する事と相成ったが、訪れる方から「何故、上杉神社参拝客に尻を向けているのか」との苦言が多く寄せられた。

 苦肉の策として「鷹山公は今でも市政を心配し、市役所のある方向を向いて目配りしているのです」と説明したが、何とか参道に向きを変えたいとするのがクラブの願いであった。
 そこで小生が会長の時、高橋幸翁市長に「要望書」をもって願い出ると、「予算が無いので直ぐには出来ないが善処する」との回答を得た。数年後、県から補助金が出たので現在の向きとなり、安堵した。

 かように、如何に良かれと思われるモニュメントでも設置場所には苦労するが、送る側とすれば、ゆかりの地(生誕地や住居地)に拘る場合と、ゆかりの場所ではないが、モニュメントをもって、ゆかりの地に多くの人を誘導するを目的とし、駅前等の人の集まる場所に設置する場合が有る。

 慶次の館の場合、本市で一番観光客が訪れる地に隣接していることから、開館時には多くの観光客から「堂森の善光寺に行くには?」と質問を受け、用意した案内図があっという間に無くなった経緯がある。しかし観光は点として展開するのでは無く、面として展開すべきと考える小生なので、中川市長が道路の復元に応じた場合は慶次の館を起点とした「まちなか回遊観光」を仕掛けたいと思っている。

東京の友人の友人氏へ③

kage

2017/08/11 (Fri)

東京の友人の友人氏へ③

 前田慶次のフィギュアを何処に設置するかを検討して「慶次の館」を建てたのでは無く、観光に寄与することの出来る土地利用が、行政の市民いじめにより倉庫しか建築できない状況下での有効利用から、この館が出来た経緯はお分かり願えたと思う。

 当会が数年に亘り市当局と対峙してきたのは、市民の利益を考慮せず、低能市長を後ろ盾に、副市長の権力を笠に着ての越権行為に対してである。

 そもそも、接道の許認可は建設部の管轄であり、副市長にその権限は無い。当時の渡部建設部長は、近隣住民の承諾無しに道路を止めたことに「道路を復元する」と言明したのをぶち壊したのが町田副市長で、理由が「道路の復元は市の利益にならない」であった。

 小生は、「市の利益にならないからでは無く、副市長個人の利益にならないから」で、暗に「私に金を積まなければ接道は認めないぞ」と言うことだなと思った根拠は、十数年前に遡る。

 米沢市立第六中学校の建て替えに伴う入札が行われた。町田職員は当時総務部長として入札の責任者であり、彼の他に2名の職員が立ち会った。
 応札したのは5JVであり、入札の結果、5億円台・6億円台・7億円台の5枚の札から低価格の札を入れた置賜建設JVが落札者であると発表された。
 すると、金子建設JVから「もっと低価格の札があるはず」との発言に、町田職員は「間違いました。落札者は最低額の入札者、金子建設JVです」と訂正したのである。

 このことは「金子建設は、高額と定額の2枚の札を入れ、金子建設が落札するように町田係官と予め示し合わせていたが、町田係官がチョンボしたのさ」との噂が広まった。

 たった5枚の札を3人の係官が検査して、果たして間違うものであろうか?これが噂のような不正によるのであれば問題だし、不正が無いとしてもこの程度の作業を間違う職員の能力も問題だ、との市井の声があり、「市民が行政を監視しなければ」との思いから立ち上げたのが当会である。


 立ち上げたばかりの鬼の会は、「今回の間違いをどう思っているか」と町田係官に電話すると、「間違いは良く有る。この場合マニュアルに従って適正に処理したので問題はない」との回答であった。

 この回答に、町田職員への不信感と、行政に対する不信感から、その後当会は活動を継続している。

 「慶次の館」が何故今の場所にあるのかの貴殿の疑問に、相当膨らませて説明したが、観光行政の貧困の事例はこればかりでは無いので、今後も貴殿の投稿を期待申し上げる。

東京の友人の友人氏へ②

kage

2017/08/10 (Thu)

東京の友人の友人氏へ②

 観光に対するご意見を頂いたことに感謝申し上げる。観光は産業であるとの考えを持つ自治体は多く、その手腕により優劣が出るが、本市の観光行政は「お粗末」の一言に尽きると思っているので、貴殿が慶次の館に関心を寄せてくれたことに鑑み、もう少し述べたい。

 小生が若かりし頃、織物の産地である米沢に、特産品である「米織」を販売するところが無いのは残念であるとの思いから、観光客への販売を主とする、「織陣」と称する小売店を立ち上げ、その経営に深く関与していた。
 業績は順調に推移したが、平成三年に「城史苑」が開店したことから売り上げが激減して廃業に追い込まれた経緯があり、観光行政に対する思い入れには強いものがある。

 行政が関与する「城史苑」であれば、単なる利益追求に非ずして市民の利益を考慮すべきところ、「城史苑」は一部の利権者の懐を肥やし、市への利益還元が無いばかりか、既存の小売店が廃業に追い込まれる状態を招いていることは、三セクの本来の姿ではないとの考えを持ち続けている。
 しかしながら、現在は観光客の多くが「城史苑」を訪れ、言わば「観光米沢のメッカ」となったことは、それなりに市観光に寄与していることは認めざるを得ないが、多くの観光客が訪れる城史苑に隣接する土地が「死に土地」として草ボウボウの荒れ地で放置される事は小生にとって耐えがたいものであった。

 行政は、市民が観光に関連する事業を行うのであれば、便宜を図るのが当然と思っているので、慶次の館が建つ土地を「死に土地」にした行政に「道路を、近隣住民の承諾無しに廃したことは違法である。よって道路を復元すべし」と安部三十郎に会見を求めたが「今後とも会う意思は無い」と公文書で回答したのである。

 そこで、当時の町田副市長を窓口に道路復元の交渉を行ったところ、驚いた返事が返ってきた。
「行政の利益にならなければ、市民に利益を与えることは行わない」と言うのである。そこで小生は、「市民の利益を考えるのが行政ではないか。O氏は飲食店を営む計画であるので、雇用が増え、建物の固定資産税が市に入る行政の利益ではないか」と迫ったが、「聞く耳持たず」の町田副市長であった。
 この時、町田副市長が発した「行政の利益にならなければ・・・」の行政とは「自分の利益」を言っているのだなと感じ、噂通り、金を掴ませなければ動かない男だなと思った。
 
 町田元副市長が「金を掴ませなければ動かない男」との噂については、次回述べる。【続く】
 
 

東京の友人の友人氏へ

kage

2017/08/08 (Tue)

東京の友人の友人氏へ

 「前田慶次の館はなぜにあんな場所にあるのでしょう?」との質問を頂いたので以下に述べる。

 数年前にO氏は、現在慶次の館の有る土地を求めた。そこには建築確認申請に必要な4m道路(接道)の条件を満たすアパートが建っていた。
 O氏はアパートを取り壊して別物件を新築しようとしたところ、「これまでの道路は駐車場にしたので接道は無くなった。よって一切建築を認めない」との当局対応から、当該地は利用することが出来ず荒れ放題の状態が続いた。

 困り果てたO氏から当会に相談があったので、「近隣住民の承諾無しに道路を無くすことは違法である。元の状態に戻すべし」と安部前市長と談判したが応じなかった。
 担当職員に「一切建築を認めないというのは職権乱用罪に当たる。現状の接道でも倉庫は建築可能である」と県の通達を示して慶次の館を建設した経緯がある。

 説明の順序が逆になったが、ちょうどその頃、前田慶次の会(堂森)から、「博多から山笠の山車で作成した前田慶次像を贈呈するとの話がきているが、土地は借りるとしても、運賃その他の経費が約70万円に、収容する建物の建築費を考えると到底無理なので何とかならないか」との相談を受けた。

 そこで小生はO氏に「観光のメッカの土地を、草ボウボウにしておくのでは観光米沢の名が廃る。倉庫の建築は可能なので館を建て、そこに前田慶次の像を飾らせてくれ」と願ったところ、O氏が応じて前田慶次の館を建ててくれたことが、館がここに存在する理由である。

 安部市長から中川市長に代わり、交渉が可能となったことから、「住民の承諾無しに道路を止めたのは違法であるから、接道に必要な部分を元に戻してくれ」と話し合い中である。接道4m認可後の利用については、観光米沢に寄与する計画を練っている。

 来年は直江兼続の400回忌の節目でもあり、兼続の住まいから2~300mのこの場所に、盟友の前田慶次が居ることは、何らの不自然も無い。


おまつり広場のこと②

kage

2017/08/07 (Mon)

おまつり広場のこと②

 城史苑と、お祭り広場の駐車場に付いては、数年前より当局と掛け合ってきた。城史苑は、当駐車場をさも自分の駐車場の如く宣伝していることに「城史苑は駐車場の賃貸料を支払っていない。市は相当額を請求すべし」と進言したが、お祭り広場の管理者である「市観光課」にその気は無い。

 過日、城史苑と本市との賃貸契約書を情報公開条例に則り入手したが、契約内容に気になる部分があるので述べてみたい。(契約書の名称は「地上権設定契約証書」となっている)

1.地上権の存続期間は、平成3年12月12日から平成33年12月11日迄の30年間となっており、地上権の期間が満了したときは、城史苑の費用負担で更地として市に返還するとある。
 となると、あと4年で城史苑の建物は壊すことになるが、その間に県道米沢猪苗代線の拡幅工事が絡んでくるので、次にどうするかボチボチ議論の対象とすべきではないか。

2.契約時の地代については5年間据え置くとあるが、25年経過した今までに、適正価格であるか審議されたことは事は無い。当会は一般市民の支払う固定資産税なみに改定すべしと提言しているが、当時のままの格安が続いている。

3.城史苑が市から借りた土地には、鉄骨造堅固建物しか建築できない条件があるが、城史苑西側の建物は木造であり、完全に契約違反である。このことを指摘しても当局は馬耳東風である。 

 第三セクターによる事業は「公共目的」となっているので、城史苑を運営することで市民へ利益が還元されれば良いが、城史苑が開業したために閉鎖を強いられた商店があったり、一部の出資者だけが利権を貪って、市に還元されないなどの批判があったが、今でも継続していることに危惧を感ずる。

 来年度は「道の駅よねざわ」が開業するが、10数億円の市民の税金が投入されることなので、城史苑のような「一部の出資者の利益」ではなく、市民全体の利益を優先する経営を望むものだ。

おまつり広場のこと①

kage

2017/08/06 (Sun)

おまつり広場のこと①

 当広場の使用に関して、多くの投稿が有ったことに感謝申し上げる。条例や規則については、行政側の都合で市民無視の理不尽な運用が多々行われているので、住民は当局に糾すべきであるが、市議に相談という手も有る。
 さすれば彼らの無能力ぶりが分かるので、それはそれとして価値あることと思う。

 さて、「米沢市松が岬おまつり広場の設置及び管理に関する条例」の小生なりの解釈を述べてみたい。

 条例の第2条2項には『松が岬おまつり広場(以下「おまつり広場」という。)は、多目的広場及び駐車場により構成する。』と明記している。
 又、第8条には『駐車場は、・・・一時的に駐車すること以外に使用してはならない。』と明記されている。

 ビアパーティーを行うことは第8条に抵触するようにも見えるが、「おまつり広場」を構成する「多目的広場及び駐車場」の区割りは明記されていないので、当局側の抗弁を想定すれば、「おまつり広場の内、通常は駐車場として使用している部分を、三日間は多目的広場として貸し出したものである。条文には駐車場として使用している部分を多目的広場に変更できない等の制約は記載されていない事から、条例違反には当たらない」との文言が返ってくるのではないか。
 確かに、「駐車場を多目的広場に変更してはいけない」との制約は記されていないので、問い詰めることは難しいと思われる。

 又、「米沢市公有財産の取得、管理及び処分に関する規則」との整合性についても、第21条2)の「住民の福祉を増進するような行事又は事業の用に供するとき。」に合致する。と抗せられると、崩すことは難しい。

 かように、条例や規則の条文は不確かな部分が多く、行政側に都合の良いように運用されるのが常であり、本来、住民の利益にならない法の運用なら議会で審議すべきだが、現職市議にその能力は無いので、小生等は「住民訴訟」で争っている。
【続く】

長岡市[米百俵]

kage

2017/08/04 (Fri)

長岡市[米百俵]

米百俵群像 長岡藩の「米百俵」の話はつとに有名である。左写真の群像の説明によると、
『北越戊辰戦争で焦土と化した長岡に、支藩の三根山藩から見舞いの米が百俵送られてきました。食べるものにもこと欠く長岡藩士にとっては、喉から手が出るほどほしい米でした。しかし時の長岡藩大参事小林虎三郎は「食えないからこそ、教育をするのだ、学校をつくるのだ」と米を売り払い、その代金を国漢学校にそそぎこみました。
 この故事は「目先のことにとらわれず、明日のために行動する」という精神風土を長岡に根づかせ、未来を担う新しい世代を育む思想の原点となりました。』
(群像は「米を分けろ」と迫る人々に虎三郎が切々と説いている場面)

 長岡市界隈は戊辰戦争の激戦地であり、長岡城の争奪戦等により、米沢藩の死者も120名を超えたとの記録が有る。この時、長岡城下は戦火に見舞われ焦土と化したが復興するも、昭和20年のアメリカ軍長岡空襲により焼夷弾が大量に投下され、これにより中心部市街地の約8割が焼失した。何故、長岡が空爆の対象となったかは「山本五十六」の出身地であると言われ、原爆の投下も検討されたとの説もある。

 かように長岡は戦災にもめげなかったことから、市の紋章は不死鳥をイメージして、「長」の文字を図案化したものになっている。

長岡市[大花火]

kage

2017/08/04 (Fri)

長岡市[大花火]

 長岡花火2 8/2日本三大花火と称される長岡市の大花火を見物した。この花火大会は昭和20年8月1日の長岡空襲の後、長岡市民が復興に立ち上がり、昭和22年に花火大会を開催し、先人たちの「慰霊」、「復興」、「平和への祈り」の想いをつなぎ、今年で70年になるという。

 この催しの人出は102万人(2日間)と言うだけに、その混雑ぶりには驚いたが、それにも増して打ち上げられた花火の規模・内容に圧倒された。

 伝統の祭りが地元住民パワーにより継承され、年ごとに規模を拡大するには何と言っても企業の協力が必要である。長岡には一流企業の存在があり、この行事を支える一因となっているが、一流企業の存在は総合的に市の経済力を高めるものだ。

 その点、我が米沢市はどうであろうか。関ヶ原合戦後の上杉藩は減封されて疲弊の一途を辿り、上杉鷹山公の質素倹約令で持ち直したという歴史を持つだけに、派手な行事は抑制され、祭りの規模が小さいことは否めないが、ガチャマン(織機がガチャッと言う度に万と儲かる)と米沢織業界が好景気に沸いたとき、当地の祭りもパワーが有ったように記憶している。

 米沢牛がGI(地理的表示保護制度)を得たことは喜ばしいが、米沢牛の経済波及効果は商・工業の規模に比すれば小さいので、地方都市が力を付けるのには企業誘致と共に、山大との連携による起業に努力すべきと考える。

米沢市松が岬おまつり広場のこと

kage

2017/08/01 (Tue)

米沢市松が岬おまつり広場のこと

 この広場に多くの投稿が有ったことに感謝する。
 我が国が法治国家であることは紛れもなく、最上位に憲法が有り、その下位に、○○法、条例、規則、通達、運用、申し合わせ、等の条文で、円滑なる住民の生活が営まれることを目的としている。

 ところが、法は得てして権力者の都合で解釈・運用され、住民が不利益を被ることが多々あるので、今般のように多くの市民が施政に関心を持ち、意見を述べることが肝要と思う。

 市長がビアパーティーを開催したのは問題ないと思うが、城史苑が駐車場で行うことには投稿者の疑問のように、若干問題があるので、ここを管轄する観光課と話し合ってみる予定だ。

又、城史苑の賃貸契約は情報公開で求めているので、間もなく入手できると思う。その時もう一度米沢市松が岬おまつり広場のことを述べる予定なので、更なる関心を期待申し上げる。

匿名希望氏へ

kage

2017/07/29 (Sat)

城史苑
匿名希望氏へ

 『現職市長である中川勝氏の後援会が7月27日に「上杉城史苑駐車場」でビアパーティーを開いたそうです』から始まる投稿が寄せられた。
 当会並びに複数の投稿氏が、これまでこの場所を「松が岬おまつり広場」と称していた事への疑問と捉え、後述する。

 中川市長のビアパーティーの開かれた場所は「米沢市松が岬おまつり広場の設置及び管理に関する条例」によって管理される「松が岬おまつり広場」が正式名称であり、上杉城史苑はこの場所を米沢市より三日間有償で借り受け、左写真のような「夏まつり 大ビアパーティー」を例年行っている。

 27日の中川市長の催しで販売されたパーティ券には、名称は「中川勝後援会ビアパーティー」と冠され、主催「中川勝ビアパーティー実行委員会」・場所「上杉城史苑駐車場」となっている。

 前述から分かるように、城史苑が行う三日間のビアパーティーの内、一日を「中川勝ビアパーティー実行委員会」が借り切っての催しで、その場所を「上杉城史苑駐車場」と表記した訳だが、この名称は広く市民に認識されている呼称であり、問題は無い。

 問題なのは、上杉城史苑が「松が岬おまつり広場駐車場」を常時無料で使用していることにある。城史苑はこれに限らず、地代を一般市民が納める固定資産税の1/4しか納めておらず、利益を「S」「N」「Y」氏の懐を暖めて居ることに有り、本市(一般市民)にメリットが無い事だ。

 「城史苑は市民の固定資産税並の地代を払うべし」と市議団にも賃料更改を提言しているが、成澤市議を先頭に「松が岬おまつり広場を有料駐車場に」と議会で述べ、市民と観光客から料金をせしめようとする事に異議を述べてきた。

 本市と城史苑で交わした、直近の賃貸契約書を情報公開で求めているので、その内容を近い内に公開する予定である。

政治不信と行政不信[諮問機関]③

kage

2017/07/28 (Fri)

政治不信と行政不信[諮問機関]③

 諮問機関とは、審議会・協議会・調査会・専門委員会・第三者委員会などの名称がつけられ、行政機関から諮問された問題を、複数の委員が合議制によって判断を下すシステムだが、法的強制力は無い。
 しかし行政側は諮問機関の意見を無視することも出来ないので、行政に与える影響力はそれなりに有る。

 問題はその委員の人選だが、市民目線で行政を批判する委員では、行政のやりたい放題にブレーキが掛かるので、毒にも薬にもならない「行政に対するイエスマン」が選ばれて任命される。間違っても小生のような行政に楯突く市民が任命されることは無い。

 さて、今般の「行政不服審査請求審査会」の羽生田智会長だが、弁護士を生業(なりわい)としている。
 弁護士バッチには天秤ばかりが描かれ「いついかなる場合にも、自由と正義を求め、公正と平等を期す」という弁護士の仕事のモットーを表しているのだが、羽生田智会長にはその辺が理解できていないようだ。

 前回に「消去した電子媒体は公文書に当たらない」との羽生田智会長の言に小生がブチ切れたと述べたが、その理由は次による。

 冒頭述べたように、この審査会は複数の委員による合議によって事の判断を下すシステムだが、小生の陳述が終わるやいなや、合議する事無しに「行政側に落ち度が無い」との判断を口にした事や、秘密会であるとしながら、直接関係の無い市職員を5名も配して小生等を囲み、威圧感を与えるなど、とても弁護士の象徴である天秤の意味を理解しているとは思えない事などによる。

 しかし、よく考えれば、弁護士業とは依頼者を弁護することが商売で、この審査会の場合、羽生田智会長に報酬を支払うのは米沢市であるから、弁護士業の習性から「行政擁護」が使命と勘違いしたのではなかろうか。

 諮問機関が行政側のイエスマンによって委員構成されていることは問題であるが、選任するのが行政側であるから、改善されることは無いと思う。

 このような出来レースが政治不信と行政不信を招く一要因と思っている。


政治不信と行政不信[諮問機関]②

kage

2017/07/27 (Thu)

政治不信と行政不信[諮問機関]②

 公文書の情報公開はすべからく公開が原則だが、自分に都合の悪い文書はTPP問題で「海苔弁」と揶揄された黒塗り開示や、自衛隊派遣・森友・加計問題での公文書隠蔽などの悪巧みを駆使し、住民への公開を阻むのが行政だ。

 以上の行為は国政に限らず、米沢市政でも公然と行われている。このような卑劣な行いや、公開を拒否された場合に、不服があれば「行政不服審査請求」と言う制度がある。
 
 この制度は、市長から任命された市民で構成される審査会に、不服を申し出た住民の意見が正しいか、行政の措置が正しいかを、行政が諮問する制度である。
 当然、小生等は公文書を勝手に消去した行為に対し「公文書等の管理に関する法律及び、刑法第258条:公務所の用に供する文書又は電磁的記録を毀棄した者は、3月以上7年以下の懲役に処する」との法に触れる行為として「行政不服審査請求」を行った。

 米沢市の審査会は一般市民が審査するので「社会通念」をわきまえた判断を下すと思いきや、「100%行政の措置が正しい」と、行政擁護の判断を下すのが常である。

 過日、「行政不服審査請求」の審査会が、羽生田智会長のもとに開催され、小生は「公文書を毀棄した行為は違法である」旨の陳述を行った。
 すると羽生田会長は「私的メモのようなもので、公文書に値しない。よって破棄しても問題ない」と発したのである。
 この文言に小生は「何故一方的に行政を擁護するのか。審査会は公平公正であるべきだ」とブチ切れた。

 法に於ける「公文書の定義」は「行政機関の職員が職務上作成した文書(電子媒体を含む)」とある。
 NPOに調査を依頼した会議は当然にして職務上作成したものであり、法に定める公文書に値することは紛れもない。では羽生田智会長は、法を無視してまで何故に行政を擁護したのであろうか?
【続く】

政治不信と行政不信[諮問機関]①

kage

2017/07/26 (Wed)

政治不信と行政不信[諮問機関]①

 我が国は二元代表制の民主主義国家である。即ち住民が選挙で首長を選任して政(まつりごと)を任せ、これ又住民が選挙で議員を選任して、執行権のある首長(行政)計画を精査して、議会にて議決権を行使する。

 これにより、強力な首長の執行権を市民代表の議員によってコントロールするシステムではあるが、得てして行政は「○○に諮問した結果である」と議案上程の正当性を主張するテクニックを駆使する。すると、市議団は「専門家も認めたので議案に賛成票を投じよう」との思惑が働き、市民にとって不利益な議案も可決される場合が多い。

 小生は、行政の「○○機関に諮問した」と責任逃れをする行為が、政治不信と行政不信を増長させた要因と思っている。
  
 具体例を挙げれば、
「ナセBAの工期遅延は、経験の無い「壁柱工法」に対処出来なかった請負業者の技術不足が原因であるからして、3,000万円の支払いは不法」と住民監査請求を行ったところ、監査事務局は答えに窮し、「技術フォーラム」という怪しげなNPO団体に調査を依頼し、「専門家の判断でも行政側に落ち度は無いと言ってる」として請求は棄却された。

 調査したNPOメンバー数名には「工学博士」の肩書きが付いていて、市に提出された報告書の冒頭「我々は技術面でのみ調査を行い、法的な部分は触れない」と述べながら、「契約の仕方は問題ない」「インフレスライドの採用に問題は無い」と法的手続きのみに終始し、肝心な技術に関する見解は何処にも述べられていない。(このいかがわしいレポートに30万円の公金が支払われた)

 小生等は、このようないかがわしい報告書が、どのような打合せで作成されたものかを知るべく、会議録の存在を確認した上で情報公開条例により提出を求めた。
 
 すると驚いたことに、「会議録は電子媒体で存在したが、大沢監査委員長が消去したので不在である」として公開を拒んだ。

 こんな事で「ハイそうですか」と引き下がる当会ではない。
【続く】

政治不信と行政不信[三権分立]

kage

2017/07/25 (Tue)

政治不信と行政不信[三権分立]

 日本は民主主義国家で、権力の濫用を防止し、国民の政治的自由を保障するため、国家権力を立法・司法・行政の三権に分け、それぞれ独立した機関にゆだねようとする三権分立の原理が根幹をなすが、はたしてどうであろうか?

 元最高裁の瀬木比呂志氏は「裁判所はいまや権力の番人だ」と次のように語っている。
 『裁判所は憲法の番人といわれますよね。だから、国家が変なことをすると、「そういうことをしちゃいけませんよ」と釘を刺す。それが憲法の番人の意味するところでしょうが、違います。今は権力の番人といってもいいんじゃないですか? 裁判官は独立しているというのは誤解で、上や多数派は、法衣を着た役人です。だから、支配と統治の根幹に関わる部分では、権力側の意向を忖度するんです。』
 『それを示した例は本当にたくさんあるんですね。木で鼻をくくったように門前払いされる行政訴訟とか国策捜査による冤罪事件とか。行政側がいつも勝つ』

 瀬木比呂志氏が「裁判官は、権力側の意向を忖度するんです」と指摘するように、明らかに刑法に触れる事件以外は、法の定めを無視して行政側勝訴の判決を下すのが通例である。

 これは、江戸時代にお上を批判すれば処刑された史実が「国民・市民の分際でお上に逆らう不埒な輩」との考えは現代でも脈々と継承され、本来公正・公平であるべき司法が行政の肩を持ち、国民無視の判決を下すことから、「お上には何を言っても勝ち目が無い」との厭世感が、政治不信と行政不信を増長させた要因の一つと思っている。

 「ナセBAの工期延長に伴う3,000万円の公金支出は違法である」として、安部三十郎元市長を始め、市職員に損害賠償を求める裁判の陳述が7/18に終結し、10/10に判決が下るが、瀬木氏が指摘するように、住民が勝訴する確率は極めて低い。

 もう一度訴えの要旨と、行政側抗弁の要旨を述べるので、裁判の結果を刮目願いたい。

【訴えの要旨】 
① ナセBAの一階工期予定は平成26年10/15より同年12/10であった。しかるにその一階工事が平成27年3月31日迄遅延した理由を、12/14以降の降雪によるとの抗弁は成り立たない。
② 工期遅延の場合、工事請負契約書の23条には「工期遅延が発注者の責めに帰すべき事由においては、必要な費用を負担しなければならない」と定められている。工期遅れは請負業者の技術不足が原因であるから、発注者(米沢市)に「責めに帰すべき事由は存在しない」ので支払いは不法である。

【行政側抗弁の要旨】
① 契約書に「支払ってはいけない」とする制限は記載されていないことから、契約金を増額することに問題は無い。

 上記を一般市民目線で考えると、「契約書では12/10に完成する予定の新宅が12/14以降に雪が降ったので、完成は3/31迄延びました。よって追加工事料を払って下さい」と言われて「はいそうですか」と支払うお人好しは居るであろうか?
 この場合支払わないのが社会通念であるが、裁判官は何らかの理由を付けて「公金支出は違法で無い」との判決を下すものと思われる。
 もしそうであれば、今後、市との折衝は「契約書の金額は○○円だが、それ以上支払ってはいけないとは記載されていないので増額してほしい」と市民にとって極めて有利となるので、どんな判決が下るか待ち遠しい。

政治不信と行政不信[自民党の凋落]

kage

2017/07/24 (Mon)

政治不信と行政不信[自民党の凋落]

 与野党が対決する構図となった仙台市長選挙は23日に投票が行われ、無所属の新人で、民進党宮城県連などが支持する元衆議院議員の郡和子氏が当選を果たしたが、先頃の東京都議選でも大幅に自民党議員が落選した事は、我が世の春を謳歌した安倍政権に凋落の兆しが謙虚に現れた事象と思われる。

 反面、受け皿となるべき民進党の支持率も落ちていることから、この兆候は国民による政治不信と行政不信に原因があるのではなかろうか。

 日本の政治は、江戸幕府から明治政府になり近代国家が進められたと云われるが、150年を経過した現在、その改革の中心となった薩摩藩や長州藩の行動に「明治維新は正しかったか?」とする書籍の出版も現在話題になっている。

 小生も「明治維新は正しかったか?」との疑問を持つ一人である。
 天皇に政(まつりごと)を返還するとした薩長の大義名分は、政権を手にするや「勝てば官軍」のことばを生んだ如く、やりたい放題・勝者の理論が世を支配し、その兆候は長州出身の安倍晋三首相の言動に継承され、国民は「安倍晋三首相の強権」を危惧するが、安倍首相に限らず、政権を得た者の殆どが「国民ファースト」ならぬ「自分ファースト」とする行動が、政治不信を招いたと思っている。

 「雲井龍雄」が明治政府にどのような思いで楯突き、首を刎ねられたか、来年は戊辰戦争150年の節目の年であることから、米沢市より「施政とは如何にあるべきか」を発して行くべきではなかろうか。
 

高齢者氏へ

kage

2017/07/20 (Thu)

高齢者氏へ

 鬼の会のモットーに、『市民の知る権利のために 市民の声がとどく市政であり、人権を遵守する米沢市であるために 権力に脅えたり、泣き寝入りすることを止めよう。』とあるように『権力に脅えたり、泣き寝入りする』市民に加担するか、代弁者として市民の声を行政に届けて来た。

 その間「一般廃棄物の運搬許可問題」での当会活動では、対抗する同和の600人が本市で許可反対集会を開いた時は脅威を感じたが、めげずに会活動を継続して足かけ15年になる。
 
 高齢者氏の報復の心配も理解するが、投稿の内容だけでは情報不足なので、直接ご説明に来訪頂くか、詳しい内容を送信頂ければ対応致します。この場合、個人の不利益や迫害を受けるような情報を公にすることはありません。

 極く最近も、『河川の異臭と汚染』問題で、「市行政に相談しても対応しない。市議・県議も逃げまくる。」と困り、当会事務所に来られて協力要請があったので、今日より対策を検討しているところです。
 
 「鬼の会」の名称は「鬼のような行政マンを退治する桃太郎のような会」が由来であり、決してブラックジャーナルではないので安心して情報を提供して頂きたい。

米沢市の繁華街

kage

2017/07/19 (Wed)

米沢市の繁華街

 かつて米沢市の繁華街と言えば、平和通り商店街と即座に答えることの出来る時代もあったが、尚山氏の「米沢市の繁華街は何処ですか?」の問には、現在確かに答え辛い。

 他所からの大型店舗が広い駐車場を設けて土地代の安い郊外に進出し、既存の商店街が疲弊したのは当市ばかりではないが、まち造りに真摯に向き合った首長の存在の有無が、地方都市間格差を広げたのではないか。

 小生が傾倒するのは1990年に金沢市長に就任した「山出保氏」である。氏は「荀(まこと)に日に新たに、日に日に新たに、また日に新たなれ」を座右の銘に、5期20年金沢市政運営に尽力された。

 山出氏が市長に就任すると「地方分権推進」が衆参両院で決議され、国は地方に思い切って権限と財源を移譲し、地方の責任が重くなった。これは取りも直さず、首長(議会を含む)の能力が格差を生むシステムで、山出市長が取り組んだ施策は「歴史と文化を磨こう。そしてこれらを世界に発信しよう。この歴史と文化が映える美しいまちを仕上げよう」というものだ。
 そして現在の金沢市は、新幹線の開通も伴って大変な活況を呈しているが、山出氏が陣頭指揮した20余年に亘るまちづくりが大きな効果を上げていることは否めない。
 
 その間米沢市の首長は、高橋幸翁・安部三十郎氏であったが、両氏共に山出氏のような長期を見据えるまちづくりの能力は無かった。特に安部市長の場合はひどかった。そこで中川市長に期待したいところだが、その片鱗は未だ感じられない。
 となると、能力有る市長を求めるか、市民力を高めるかだが、どちらもハードルが高く、他の住みよいまちへ移住を考える市民が出て来るのも致し方のないことか。
 
 つい先頃、久しぶりに会った友人の「もう社長業は他人に任せたので、他県に移住することを考えている」との弁に愕然としたが、尚山氏の「知り合い3人が高畠に移住」の件も、さもありなんと感じられる昨今である。